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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年06月10日

天才の育て方




ところで、“郵便屋さん”をめぐって・・・・・・
鳩山兄弟の天下取り騒動が忙しくなってきました今日この頃です。

まあ、関東地方も「梅雨入りか」で、うっとおしいんですけど、

引退とかの小泉一派の中川秀直こと、佐藤秀直。
森鮫朗内閣官房長官時代に愛人への捜査情報漏洩問題発覚・・・・・・・・・
2000年、写真週刊誌等に中川が愛人と一緒に撮影した写真やビデオが掲載され、
で、内閣官房長官辞任に追い込まれたんだけど・・・・・・

今や自民党の郵政ハナモゲラ・グループの重鎮とかで、麻生桃太郎総理に、

「鳩山総務大臣を首にしろ!!」

とか迫っている・・・・・・

しかし、一般大衆の疑問ですけど、いろいろ言われてますけど、
郵政官僚が民生化阻止で巻き返しを図っているとか、それにしても、厚労省まで巻き込んだ・・・・・・
郵便屋さんの「不正事件」です。

まあ、「かんぽの宿」といい、郵貯、簡保資金の米国債化といい、
まあどう見ても、西川善文日本郵政株式会社CEOの醜態は、西川を温存して鳩山大臣を切るなんて言い張る、
小泉グループは異常としか思えないんですけど、皆さんのお考えは???

まあ、面と向かって委員会で、

「お辞めなさい」

って所轄大臣に言われているのに・・・・・・

「辞めません」

まあ、ホントのところは「辞めません」じゃあなくて、

「辞められません」

が巷の噂です(笑)。

で、小泉一派の神輿に乗っかっている麻生桃太郎総理としては・・・・・・
これで、悪評極まりない「西川ゴールドマン・サックス」を温存して、鳩山大臣を首、なんてえことになれば、
即、政権崩壊でしょう。っていうより、もう選挙ですからどっち道なんですけど(笑)。

で、世の中にはいろんな“バカ”がいます・・・・・・・

ちなみに僕なんぞは“音楽バカ”です。才能もないのにです(笑)。
その意味では、今の政治家、とくに世襲政治家は“政治バカ”です・・・・・・

ハッキリ言って、天才が求められているんですけど“政治天才”です。

しかし、世に天才とかホントの秀才とかはやっぱり引っ張りダコでサモシイ稼業にはつきません(笑)。

で、“http://www.nikaidou.com/”で紹介されていた朝日新聞の記事なんですけど、
「ナルホドネ!!」って思ったのでその朝日新聞の記事を引用してみました・・・・・


宇宙飛行士・若田光一のお母さん タカヨさん:1
我慢教えた「給料日のやりとり」

光一(45)は63年、当時の埼玉県大宮市で生まれました。弟の瑞穂(みずほ)(43)がいて、2人兄弟で育ちました。

 九州大学に入って家を離れましたが、浦和高校まではずっと親のもとにいて、手のかからない子でしたね。私はいま76歳ですが、光一が20歳になるまではしっかり育てなければと思っていました。

   *

 裕福な家ではありませんでした。光一は小学校のときに、「貧衆(びんしゅう)」ということばを発明したくらいでした。いまでもときどき思い出すのは給料日の光景です。

 98年に63歳で亡くなった父親の暢茂(のぶたか)は当時の建設省に勤める公務員でした。朝早く職場に行き、仕事や飲み会などで帰ってくるのは夜遅く。でも、給料日にはきちっと早く帰ってくるんです。

 その日は、父親が「ただいま」と玄関に帰ってくると、兄弟ふたりが食卓に飛んで来ます。おかずが1品多いことを知っているんですよ。1品と言っても、ハムエッグとか、オムレツとか、たいしたものではないんです。ご飯が混ぜご飯になったり、そんなものでしたけど。

 給料は多いときも少ないときもありました。少ないときは父親が「お母さん、今月はこれでなんとかやり繰りしてくれ」と。私は給料袋を押しいただいて、「ありがとうございます」と、汗水たらして働いたお父さんに感謝します。

 もちろん、多いときもあります。

 「お母さん、今月はちょっと余裕があるから、自分の服でも買ってくれ」

 「私の洋服はいいから、お父さん、あなたのコートでも買いなさいよ」

 「じゃ、ちょっと無理して、光一の自転車でも買ってやるか」

 光一は小学2年生まで、幼稚園のときに買った小さな自転車で我慢していたんです。あのとき、光一が跳び上がった姿は、いまでも目に浮かびます。

   *

 給料日のやりとりは、ひとつの教育だったと思います。お金のありがたみや、人に感謝する心、働く尊さ、思いやり、我慢を光一に教えたと思うんですよ。

 子どもは、日々の暮らしのなかから、いろんなことを学びます。まず、親がしっかり、きっちりと、まっとうに暮らす。それにつきると思います。
 
(敬称略、聞き手・石川雅彦)

まあ、昭和30年代・・・・・・
僕んちも親父がポッポ屋で、まあ、それでもあの時代です、隣近所は長屋で大家族がひしめき合い、
共同水道で、時代そのものが貧しかったんですけど、子ども心的には「不自由感」はなかった。

学校へ行けば、1年から6年まで1000人くらいだったから・・・・・・
まあ、いろんな意味で「競争社会」です。
だから、いろんな人間観察をしながら、そして己を顧みながら「大きくなった」、そんな思いです。

まあ、麻生桃太郎首相にしても、ポッポ兄弟にしても・・・・・・・
その時代、内閣総理大臣の膝に抱っこされながら「大きくなった」んですね。
下々の生活感覚なんて知るに及ぶはずがありません。

僕ら下々が、殿様の生活を歴史書物とか映画でしか知らないのと同じように・・・・・
桃太郎も、ポッポも、下々の生活はフィクションです。

まあ、だから、ポッポ兄が政権に就いて、総理になったら・・・・・・

「下々のみなさん、私には、下々のみなさんの生活感覚が分かりません、
想像することすらできません。
ですから、下々のみなさんの生活の実情を教えてください・・・・・」

で、

「消費者省じゃあなくて、庶民省、下々省を創設します!!」

とでも言って、政治の天才になってくださいな・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 18:40Comments(0)

2009年06月10日

東京ローズ



巣鴨プリズンに拘置された“東京ローズ” 


幻影の時代


為政者の目的は30年を経てその目的を完遂した・・・・・・

そして、それは新たな時代の始まりを意味するのか、
それとも時代の終わりを意味する物なのか・・・・・

僕らは「生き過ぎた」のかもしれない。

しかし、時代にはいつも「為政者」に体制を見、
そしてその体制に反動する「大衆」がいる(ここにはもう居ないが)。

だが、その「大衆」とて煽動された時代に蹲る「臣民」に過ぎない。

60年安保も、70年安保も、実は為政者はただの使い走りで、
神の如き「支配者」の管理下で働かされていただけ・・・・・・
深層で両者を操り、大衆の憤懣を適当に「ガス抜き」する「時代」と云う「支配者」。

ソ連崩壊で、次々に明るみに出る、この極東の「島国」の悲喜劇。

「時代」がそうなのだと云ってしまえばそれまでだが・・・・・

思想の仮面の下の為政者は、その両翼の思想大国からの下賎で「大衆」を欺いた。
60年代のソ連官僚の述懐に、

「日本社会党、共産党には、言われるままに資金提供した」

と・・・・・・
米政府にしてもそれと同時に「自由民主党」には秘密資金を提供したと・・・
それは「公文書」に晒されている。

日本の、現メディアは、そんなことへの興味どころか、
意味も解さないのではないか・・・・・・

 「巣鴨プリズンの取引」

占領米軍若手将校への賄賂と、戦前戦中のこの国の「国家機密」・・・・・
かくして、陸軍高級官僚は「絞首刑」。
海軍、政府官僚は「A級戦犯」にあっても、公職追放。
大方の30代若手官僚は新政府の「官僚」となり、
「陰」に「闇」現代と云う時代を創作してきた。

それが福田赳夫大平正芳であり、伊東正義中曽根康弘宮沢喜一・・・・・・
戦後政治、55年体制とかの自由民主党の派閥領袖、幹部はほとんどが官僚だった。

往時の詳細に記憶を留める「者」は中曽根康弘元内閣総理大臣しか今はいない。
全ての「官僚機構」、そして、その管理下の組織の管理者も・・・・・
今日に、悪名を連ねる、いわゆる事務次官、官房長は「60年安保」世代。
現役は、それら「戦中、戦後、官僚世代」、第三世代の世襲、あるいは閨閥から、
政・官・財、とそこに迷彩な彩りをなしている。

大衆の政治闘争時代が終焉して、30年・・・・・

労働紛争、政治紛争が失せ「拝金主義」、「経済至上主義」の時代の萌芽が「ロッキード、グラマン疑獄」。
以来、政治家の「贈収賄事件」は、暇がない・・・

政治家失格の「浜田幸一」が、テレビ芸者に堕ちて、若手(中年)代議士にご高説をのたまう。

「そう云うが、戦後57年、この国に平和を齎せたのは『自由民主党』ではないかっ」

と厚顔に、恥じない。

馬鹿も休み休み云え、戦争に参加させなかったのは「米国」、アメリカ合衆国ではないか。
太平洋戦争の「当事国」同士、その敗者に再軍備を促すとでも思ってるのか。
今日でもそう・・・・・米国は日本の意思で米国に次ぐ世界第二の「軍事大国」の直接的戦闘は、許すはずもない。

米国は知っている・・・そんなことをしたら、いつその「矛先」が、米国に向かうかも知れぬことを。

それは「1941年12月」のように・・・・・・

時代の幻影。 

「幻」の「影」には実体がない。
僕らが生まれ育った時代は、「幻の影」の時代だったのだろう・・・実体のない「時代」。
為政者の云う、思想信条の自由、教育、福祉、医療、公共の享受・・・それら全てが「幻影」。
ここにきて、ようやく気付いてきたのかもしれない・・・・・・
同世代が、従順な同世代が生き場を失って、自ら「命」を絶って行く。

自分さえも、己さえも、懸命な同世代大衆は、「幻影」実体の無い者だったのか気付き、「自殺」する。
僕には、自殺する「勇気」もなければ、ホームレスになる「度胸」もない。
ただ、ただ、「幻影」を生きるだけ・・・・・

最後の「幻影」を、「為政者」の世界に見た。それも、ほぼ同世代の、その「群れ」の中に。
そろそろ、幻影に「畏怖」する時代ではない・・・
しかし、新たな幻影が、子々孫々に襲い掛かるかも知れない。

僕たちの使命か・・・それが「幻影」、実体の無い物だと次世代に伝えることが。

今、時代は大衆の記憶を消しさることに夢中である。
為政者が自ら作った天文学的数字の“借財”。
大衆はそれが全て幻影であると知るべきだろう・・・・・・

もしそれが幻影でなく、現実だとしたらこの国の大衆は奴隷以外の何物でもない。

東京ローズ・・・・・・

けして忘れてはいけない、時代の現実がそこにある。
時代はつづいているのだから・・・・・・

消えた年金問題がいみじくもそれを教えている。

一般の労働者に対する厚生年金の起源は第二次世界大戦下の1942年に施行された民間企業の現業男子を対象とした「労働者年金保険」であり、戦時下における労働力の増強確保と強制貯蓄的機能を期待する目的があったとされているが、手っ取り早い戦費調達手段として導入されたとする見方もある。
1944年に、現行の名称と制度になった。


つまり今、戦争の後始末をしているところなのだ・・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 09:34Comments(0)

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