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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年02月02日

僕という肖像“時代”

僕は自称「音楽家」である。

これまでの生涯を通して楽器を演奏したり、歌を歌ったり、ギターを作ったりを生業に生活をしてきた。
それが一流であろうと二流であろうと・・・・・・
言い訳がましいが、場末の「三流楽士」であろうと、とりあえず人に尋ねられれば、

「音楽家です」

と、僕は答えることにしている。
先方はどう思っているかは知らないが、それ以外に自分を言い表す言葉がない。

今風に言うなら「ミュージシャンです」とでも言うことになるのだろうか・・・・・・
しかし、髪の毛を金髪にしているわけでもないし、ピアスをつけているわけでもないし、
ただ、知った、交響楽団かなんかの団員にそうした場で出くわすと些かこそばゆくなたりするから自分ながら情けない(笑)。

しかし、僕をそこそこに知る連中はに言わせれば・・・・・・

「あいつはそんなやつだろう」

くらいに思っている。
まあ、腹の中では「結局、うだつの上がらないやつだ」と思っているのかも知れない・・・・・・
しかし、そう人を疑ってしまう自分が、やはりなんとも情けない。

あの時代、それは雨後の竹の子のように生まれた「イラストレーター」とか、「キャメラマン」と言ったカタカナ職業。
それが僕らの時代の「形」だった。
そこで僕は自称、「音楽家」として、僕の見てきた時代の風景を「音」に例えて四の五の言うことにしてみた。



はっきり言えば僕らには「平成」という時代は用はない。ここの選挙区、その昔は群馬三区「福中戦争」といわれた地にあって、谷間のラーメン屋と揶揄された、「平成オジサン」小渕恵三のそれが「平成」だったとしても、その平成にはなかなかなじまない。年のせいなのだろうか。
また昭和も軍国主義高らかだった戦中戦前のそれも用はない。と言うよりは全く知らない。「知らぬが仏」というところの戦後のもやしっ子なのかも知れないが―――

とはいうものこの「平成」には用ないなどと強がりを言ったところで、本当のところはその「平成」にしてみれば僕ら世代は用済みなのかも知れない。
なにせ五〇も半ば過ぎ下手をすれば赤いちゃんちゃんこなのだからそれはそれで仕方がないことにする。
しかし、「平成」と言うのは実にいやらしい時代のような気がしてならない・・・・・

その日常は殺伐としていて新聞、テレビが伝えるのは、陰惨な犯罪、陰湿な事件のニュースばかりでなんとも時代が酸っぱい。「酸っぱい」のはよろしくない。それは梅雨時のものの饐えたような臭いで・・・・・・
僕らの子ども時代のような「塩っパイ」、「塩っ辛い」それがまるで感じられない。

テレビで見かける政治家もなんか酸っぱい臭いがする「門前の小僧の手習い」のような詰めのないもの言い。
それにひと目で「嘘」と顔に書いてあるような言い訳と、取ってつけたような自信のなさそうな討議討論が陳腐にも透けている。

バカヤローと叱られそうだが、「あんなんなら俺にも出来る」(笑)。
二世、三世の「地盤、看板、鞄」におんぶに抱っこのようなが「わが国は」では、ついそうも言いたくなる。

あれは昭和四〇年代だっただろうか。井上陽水の歌った「傘がない」という題名のフォークソング。

〈都会では・・・自殺する若者が増えている・・・〉と、歌ったやつだ。

僕のように感性に乏しい人間はあの当時昭和四〇年代、
その「傘がない」を聴きながら〈ほんと?〉、と疑ってみたりもしたが・・・・・・

しかし、それが世相の実態だったのかも知れない。
二十歳そこそこではその実・・・・・・・

ベトナム戦争だの平和だの、オイルショックだのよりは、確かに自殺する若者は多かったかも知れないが、
せっかく彼女と会う約束をしたのに、雨が降ってきちまって・・・・・
 
出かけようにも「傘がない」。

ならば「冷たい雨に濡れてでも彼女に会うために行かなくちゃ」

〈待てよ、でもそんなことで良いのだろうか〉

君のこと以外は考えられなくなる、君のこと以外はまるで見えなくなる」―――

〈待てよ、そんなことで僕は良いのだろうか?〉と、そんなことを自問自答する。

なんと手前勝手だが、そんな、その意味ではピュアな時代が僕らの、僕等だけの時代だったような気がしてならない。

ある意味ロックにしろフォークにしろ、その時代時代の若者、青春の叫び声であるのではないだろうか。
それは一二歳くらいから二十歳そこそこ辺りまでの、非現実と現実との間を春秋する戸惑いと揺れ。

今は全くそれがないような気がする。というのも僕等、戦後生まれの膨大な塊が何もかもし尽くしてきてしまったからなのか。
歌を聴いても、演奏を聴いてもそれはそれは暗闇にうめく夜行性動物のそれ・・・・・・・
けしてそれは嘶きではなく、雄叫びでもないそれにしか聴こえない僕。
等世代の後ろめたさ。その後ろめたさが今日の傘のない状態を、状況を生んでしまったのではないだろうかと・・・・・・
今は思わずにはいられない。



「都会では・・・自殺する、中高年が増えている」

皮肉だろうか。

あの昭和四〇年代に歌われた「自殺する若者」。
そして、その傘のない若者達が―――

ぼっとかしたらあの時代に自殺しそびれた、平成の自殺する「中高年」なのかも知れないと思えるのは。

「自分のことしか考えられない、自分のことしか見えない」―――

〈待てよ、そんなことで良いのだろうか〉とは、もう思えなくなってしまったほど疲れきってしまったのかも知れない。

少し休むだけで良いのに、ほんの少し自分を見つめなおすだけで良いのに―――
なにも終わってしまうこともないのに。そんなに急いで逝かなくても。

「若者たち」でも歌っていた―――――

「なのに、なぜ――――君は行くのか、そんなにしてまで」と。



いずれにしても、それは僕らが過してきたあの「昭和」という時代は・・・・・・目を閉じればあの時代の風景が僕の心に「パー」っと広がる。

それはその時代この目で見た、連合赤軍「浅間山荘事件」の、また大久保清「連続婦女暴行殺人事件」のそれを伝える取材ヘリコプターのけたたましさ・・・・・・・・
そして、白黒テレビで見た東大安田講堂の放水、新宿西口のフォークゲリラの狂騒を伝える音も―――

それらの「音」はけして作り物ではなく、それが遠い、遠い、過去のことであったとしても、
思想などと言う高邁なものを持ち合わせているはずもない僕らノンポリの音楽家風情だったが・・・・・・・
その時の社会の形は時代は、それのひとつひとつが僕等の「これから」を諭すように見せつけてくれていた。


  


Posted by 昭和24歳  at 17:54Comments(2)

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