2009年01月10日
やきとり“ささき”三代目
時の移ろいに・・・・・
「店内禁煙」の札書きが新しい・・・・・・
今、“ささき”を食ってきた・・・・・
そんな“ささき”も、今は通町の界隈で三代目がその時分の酔客と新参に束の間の「宴」を手向けている。
「いつもどうもすみません」
やはりかつての店のようにカウンターだけの店で、
三代目今は“マスター”が縄のれんを背中の客にそう礼を言う・・・・・
品書きは当時のままだ。
ひとつ違ったと言えば・・・・・・
“湯豆腐”が数年ほど前から加わったことと下町のナポレオンが常連のキープになっている事くらいだろうか。
流石、往年の“角ビン”のポケットサイズを頼む客は知る限りはいない。
エビスを飲ませたり、アサヒスタイニーを飲ませたりとそれはそれでいつかの時代を心地好くみせてはくれている。
時代の移ろいか、殆ど映ることは無いが「廿吋」ほどのテレビがカウンターの中の真上に、
そして客を背中にCDプレイヤー付き、大型の「ラジカセ」。背中の壁には、「マスター」の趣味だろうか「CD」がぎっしりと詰まっている。
もちろん、有線も無いし、もちろんカラオケなんて論外である。
マスターの贔屓は「ボブディラン」だそうだが、時には、美空ひばりから、加山雄三、ブルースと幅広い。
そうだ・・・・・今夜は“ポータブル電気蓄音機”が“ニニ・ロッソ”を歌っていた・・・・・
「あっ、どうも」
「しばらくでした」
「調子、どう・・・・・」
とか、そこは“ささき”だけの友達の輪がかもち出す風情が・・・・・
やはり時間帯によっては「コーラス」状態。
それでも収まりがつかない時は暖簾の外の「縁台」とビールケースに跨り串を頬張る。
もちろん時季は暖かいころは言うまでもないが・・・・・
僕は、飲んで、食っちゃう方だが、それでも「3千円」がいいところだろう。
大方の客が千円そこそこで暇する客がほとんどだ。
そっと、冷蔵ケースを覗く。
「マスター、お新香ある」
「すみません、終わっちゃいました」
対面で、美味そうに白菜をかじる音、チラッと僕の方を見て得意そうである。
間が悪ければ、「ヤッコ」もない・・・・・・
ヤッコどころか、お目当ての―――
「すみません、ナンコツも今日は出ちゃいました」
僕が聞く前に先に断られる。
〈なんだ、これでは「ささき」に来た意味が無いではないか〉と呟いて落胆を隠す。
僕は出来るだけ、天気の悪い週末でない時に狙いを定めて行くことにしている。
そうでないと、「ささき」の「フルコース」は思う存分堪能できない。
「ささき」。
既に半世紀近い歴史があるのではないだろうか。
その独特のレトロな「ヤキトリ」も然ることながら、やはり「歴史」、
そしてその肴が味わえる数少ないこの「街の佇まい」だろう・・・・・・・
「ささき」から、「酒」の人生が始まったのも僕だけではないはずだ。
この街を歩けば、書いては消し、消されては書かれる看板の数々・・・・・・
ここ数年そのサイクルは忙しい。
そう云えば「井上ひろし」も「松島アキラ」も聞かない今日この頃。
駅前の馬車屋も、柳川町、ニュージャパンも、ニュー東京も、サクラメントも・・・・・・
その中にあって、僕の知るあの頃の場所は・・・・・・
「ここ」と「あそこ」くらいかも知れない。
どうやら、昭和四〇年代が時節を分けているようだ。
「藤五デパート」は今の「本店タカハシ」がそうだった。
それ以前は「有賀園デパート」で、有賀園は屋上に「飛行塔」や「動物園」が在ったような…うる覚えの記憶だが。
昭和三〇年そこそこの話だからその記憶も怪しいものではある。
その後に「藤五」が其処に出来たのではないだろうか。「藤五」はイケダヤを挟んで連雀町大通りに抜ける高崎最大の「デパート」だった。
今の「本店タカハシ」もそのようになっているはずだが・・・・・・・
その並びには「今坂屋」と云う大きな鮮魚店があったが今は無い。
昭和四〇年代、高崎の街は全盛を極めていたようだ。その、藤五を筆頭に「高島屋」、「十字屋」、「八木橋」、殿に「スズラン」と「田原屋」、月賦の「丸三」、「みどりや」、「三和」と百花繚乱。
「商店街」は活況の極みを呈していた。
しかしそれも時代の盛衰か「高崎銀座通り」の人通りは陰り、
時代は「慈光通り」から、スズラン百貨店の筋が目抜通りと「時の移ろい」に変貌していった。
そして今も変わらず・・・・・・“ささき”心地よい・・・・・
「店内禁煙」の札書きが新しい・・・・・・
今、“ささき”を食ってきた・・・・・
そんな“ささき”も、今は通町の界隈で三代目がその時分の酔客と新参に束の間の「宴」を手向けている。
「いつもどうもすみません」
やはりかつての店のようにカウンターだけの店で、
三代目今は“マスター”が縄のれんを背中の客にそう礼を言う・・・・・
品書きは当時のままだ。
ひとつ違ったと言えば・・・・・・
“湯豆腐”が数年ほど前から加わったことと下町のナポレオンが常連のキープになっている事くらいだろうか。
流石、往年の“角ビン”のポケットサイズを頼む客は知る限りはいない。
エビスを飲ませたり、アサヒスタイニーを飲ませたりとそれはそれでいつかの時代を心地好くみせてはくれている。
時代の移ろいか、殆ど映ることは無いが「廿吋」ほどのテレビがカウンターの中の真上に、
そして客を背中にCDプレイヤー付き、大型の「ラジカセ」。背中の壁には、「マスター」の趣味だろうか「CD」がぎっしりと詰まっている。
もちろん、有線も無いし、もちろんカラオケなんて論外である。
マスターの贔屓は「ボブディラン」だそうだが、時には、美空ひばりから、加山雄三、ブルースと幅広い。
そうだ・・・・・今夜は“ポータブル電気蓄音機”が“ニニ・ロッソ”を歌っていた・・・・・
「あっ、どうも」
「しばらくでした」
「調子、どう・・・・・」
とか、そこは“ささき”だけの友達の輪がかもち出す風情が・・・・・
やはり時間帯によっては「コーラス」状態。
それでも収まりがつかない時は暖簾の外の「縁台」とビールケースに跨り串を頬張る。
もちろん時季は暖かいころは言うまでもないが・・・・・
僕は、飲んで、食っちゃう方だが、それでも「3千円」がいいところだろう。
大方の客が千円そこそこで暇する客がほとんどだ。
そっと、冷蔵ケースを覗く。
「マスター、お新香ある」
「すみません、終わっちゃいました」
対面で、美味そうに白菜をかじる音、チラッと僕の方を見て得意そうである。
間が悪ければ、「ヤッコ」もない・・・・・・
ヤッコどころか、お目当ての―――
「すみません、ナンコツも今日は出ちゃいました」
僕が聞く前に先に断られる。
〈なんだ、これでは「ささき」に来た意味が無いではないか〉と呟いて落胆を隠す。
僕は出来るだけ、天気の悪い週末でない時に狙いを定めて行くことにしている。
そうでないと、「ささき」の「フルコース」は思う存分堪能できない。
「ささき」。
既に半世紀近い歴史があるのではないだろうか。
その独特のレトロな「ヤキトリ」も然ることながら、やはり「歴史」、
そしてその肴が味わえる数少ないこの「街の佇まい」だろう・・・・・・・
「ささき」から、「酒」の人生が始まったのも僕だけではないはずだ。
この街を歩けば、書いては消し、消されては書かれる看板の数々・・・・・・
ここ数年そのサイクルは忙しい。
そう云えば「井上ひろし」も「松島アキラ」も聞かない今日この頃。
駅前の馬車屋も、柳川町、ニュージャパンも、ニュー東京も、サクラメントも・・・・・・
その中にあって、僕の知るあの頃の場所は・・・・・・
「ここ」と「あそこ」くらいかも知れない。
どうやら、昭和四〇年代が時節を分けているようだ。
「藤五デパート」は今の「本店タカハシ」がそうだった。
それ以前は「有賀園デパート」で、有賀園は屋上に「飛行塔」や「動物園」が在ったような…うる覚えの記憶だが。
昭和三〇年そこそこの話だからその記憶も怪しいものではある。
その後に「藤五」が其処に出来たのではないだろうか。「藤五」はイケダヤを挟んで連雀町大通りに抜ける高崎最大の「デパート」だった。
今の「本店タカハシ」もそのようになっているはずだが・・・・・・・
その並びには「今坂屋」と云う大きな鮮魚店があったが今は無い。
昭和四〇年代、高崎の街は全盛を極めていたようだ。その、藤五を筆頭に「高島屋」、「十字屋」、「八木橋」、殿に「スズラン」と「田原屋」、月賦の「丸三」、「みどりや」、「三和」と百花繚乱。
「商店街」は活況の極みを呈していた。
しかしそれも時代の盛衰か「高崎銀座通り」の人通りは陰り、
時代は「慈光通り」から、スズラン百貨店の筋が目抜通りと「時の移ろい」に変貌していった。
そして今も変わらず・・・・・・“ささき”心地よい・・・・・
2009年01月10日
やきとり
But!!最近のヤキトリは頂けない・・・・
どうもこのごろの居酒屋の亭主は仕入れをケチってるようだ。
絞めたてで新鮮だとは云うものの、みんな永田町か霞ヶ関の屠殺場からの仕入れだというが。
その永田町、盛り場の一角にある“やきとり『じみん』”・・・・・
そんな『じみん』の亭主は矢鱈に脂ぎっていて人の話を聞くどころか口角に泡を飛ばして、
なんやかんやとただ喋りまくる(笑)。
そこで、その『じみん』の“やきとり”だが・・・・・・
“カシラ”頭はグズグズで直ぐに崩れてしまうし、全く歯ごたえが無い。中には赤門法科とかの養豚だとかだが・・・・・
で、“タン”ときたぁ日には「2枚舌、3枚舌」で、ゴムみたいに硬いし味もシャッカラケもあったもんじゃあない。
おまけに“ハツ”、心臓には毛が生えていやがる。
“レバー”はエサがいいのか、美味いモンの食いすぎか、矢鱈と脂っこく、まるでフォアグラ状態・・・・・
“シロモツ”・・・・・腹は真っ黒で食えたモンじゃあない。
“フエ”は焼いてると、そのそばから「カネカネカネ、金」と、五月蠅くてしょうがないい。
それじゃあてんで代々木の市場・・・・・
代々木の赤提灯『しい』のは、どれもこれも真っ赤かで「気色悪い」。
そこのオヤジときたら、まあ、理屈っぽいことこのうえなく・・・・・・
さっさと焼き物、出しゃあいいのに四の五の言って品書きの講釈をするだけ。
信濃町の『いけだや』のは、
なにやら線香臭くて、そこのは“焼き鳥”・・・・・・
焼いている最中から「ブツブツ、ブツブツ・・・・・仏仏仏仏」音を立てるだけで、焼けているのか焼けていないのかさっぱり。
まあ、“大衆酒場”だというのは話には聞いているんだが、品札は黒漆に金蒔絵・・・・・
カウンターは白檀、マナイタは黒檀、お手元は紫檀、熾きは備長炭、徳利杯ときたら薩摩、有田に古伊万里、唐津、備前、信楽エトセトラ・・・・・
とてもじゃあないが大衆、庶民の口に収まりがいいわけがない(笑)。
で、というわけじゃないが・・・・・
で、三宅坂の小料理『瑞穂』の縄暖簾。
まあ、その昔はさきの『じみん』とは双璧で、板長、仲居頭、賄いと大所帯。
時には帳場の番頭から下足番・・・・・表玄関、勝手口・・・・・
しかし、今じゃあ“閑古鳥”の“焼き鳥”までが往生際の悪さで、串に刺されてもジタバタ・・・・・
それも、北朝鮮製の冷凍焼き鳥が「護憲、護憲」と姦しいし。
ところで、音羽の高台・・・・・スナック『ぽっぽ』は開店休業。
鶏がいなくて“鳩菅鳥”、いや“九官鳥”の焼き鳥。
で、こちらの“焼き鳥”出所は『じみん』に、今は閉店しちまった『しゃかい』に『みんしゃ』とか・・・・・・
それはそれとしても、ここの亭主・・・・・「庇を貸して母屋を取られちまった」かどうかは知らないが、
その腕前の方は超一郎、じゃあなくて、超一流とかなんだけど、『しんせい』、『しんしん』、『じゆう』と、“渡り鳥”・・・・・・
そんな、合羽からげて三度傘の腕っこきに帳場盗られて、鳩ポッポ亭主、今じゃあ“焼き鳥”焼けずに手を焼いている(笑)。
それにしても霞ヶ関市場の養豚、養鶏は、餌なら何でも食っちゃってるから、下手に食おうモンならあとの食中りが怖い。
その豚種に鶏種・・・・・・
コッコー、コーセー、ホウムにモンカ、新種のボウエイがいきなりバチアタリで、ノースイときたら自殺やらバンソーコーだらけで、古米、事故米、汚染米。
ザイムはザイムで餌だけはジャカスカ、鱈腹喰らうくせにいつも腹は空っぽで卵を産むどころか、他所の卵を食いつぶすだけ。
それに高級偽装する“カンリョー”やら“ジカン”“シンギカン”とかの種類は・・・・・
小屋から小屋を渡りに渡り往生際が極めて悪い。
かける塩に漬けるタレ・・・・・打つ手なし!!
チト古いが、ミートホープにでもお願いしてミンチにして加ト吉で冷凍ハンバーグにでもしてもらって『みんしゅ』のスーパー、イオンで・・・・・・
しかし、食品表示がジカンやギインで原産が永田町、霞ヶ関では消費者後ずさり・・・・・
結局、消費期限切れでぶちゃるしかないのか。
今までの餌が全部無駄になるけど食えないモンは「どうしょうもない」雇用調整、在庫調整するしかない。
しかし、ぶちゃったけど、大企業、大手商社、丸紅だか、三井三菱、日商岩井あたりが再パッケージ、再々パッケージで、
賞味、消費期限偽装どころか、“商標偽装”で知らぬ間に・・・・・
またまたイオンになんてえことにならないように、国民、生活者よくよく注視、監視するしかない!!
さて、今年から“禁煙”になった「やきとり“ささき”」にでも行ってきますか・・・・・
ナンコツ、レバー、タン、コブクロを塩で、ヒモは秘伝のタレを肴に。
どうもこのごろの居酒屋の亭主は仕入れをケチってるようだ。
絞めたてで新鮮だとは云うものの、みんな永田町か霞ヶ関の屠殺場からの仕入れだというが。
その永田町、盛り場の一角にある“やきとり『じみん』”・・・・・
そんな『じみん』の亭主は矢鱈に脂ぎっていて人の話を聞くどころか口角に泡を飛ばして、
なんやかんやとただ喋りまくる(笑)。
そこで、その『じみん』の“やきとり”だが・・・・・・
“カシラ”頭はグズグズで直ぐに崩れてしまうし、全く歯ごたえが無い。中には赤門法科とかの養豚だとかだが・・・・・
で、“タン”ときたぁ日には「2枚舌、3枚舌」で、ゴムみたいに硬いし味もシャッカラケもあったもんじゃあない。
おまけに“ハツ”、心臓には毛が生えていやがる。
“レバー”はエサがいいのか、美味いモンの食いすぎか、矢鱈と脂っこく、まるでフォアグラ状態・・・・・
“シロモツ”・・・・・腹は真っ黒で食えたモンじゃあない。
“フエ”は焼いてると、そのそばから「カネカネカネ、金」と、五月蠅くてしょうがないい。
それじゃあてんで代々木の市場・・・・・
代々木の赤提灯『しい』のは、どれもこれも真っ赤かで「気色悪い」。
そこのオヤジときたら、まあ、理屈っぽいことこのうえなく・・・・・・
さっさと焼き物、出しゃあいいのに四の五の言って品書きの講釈をするだけ。
信濃町の『いけだや』のは、
なにやら線香臭くて、そこのは“焼き鳥”・・・・・・
焼いている最中から「ブツブツ、ブツブツ・・・・・仏仏仏仏」音を立てるだけで、焼けているのか焼けていないのかさっぱり。
まあ、“大衆酒場”だというのは話には聞いているんだが、品札は黒漆に金蒔絵・・・・・
カウンターは白檀、マナイタは黒檀、お手元は紫檀、熾きは備長炭、徳利杯ときたら薩摩、有田に古伊万里、唐津、備前、信楽エトセトラ・・・・・
とてもじゃあないが大衆、庶民の口に収まりがいいわけがない(笑)。
で、というわけじゃないが・・・・・
で、三宅坂の小料理『瑞穂』の縄暖簾。
まあ、その昔はさきの『じみん』とは双璧で、板長、仲居頭、賄いと大所帯。
時には帳場の番頭から下足番・・・・・表玄関、勝手口・・・・・
しかし、今じゃあ“閑古鳥”の“焼き鳥”までが往生際の悪さで、串に刺されてもジタバタ・・・・・
それも、北朝鮮製の冷凍焼き鳥が「護憲、護憲」と姦しいし。
ところで、音羽の高台・・・・・スナック『ぽっぽ』は開店休業。
鶏がいなくて“鳩菅鳥”、いや“九官鳥”の焼き鳥。
で、こちらの“焼き鳥”出所は『じみん』に、今は閉店しちまった『しゃかい』に『みんしゃ』とか・・・・・・
それはそれとしても、ここの亭主・・・・・「庇を貸して母屋を取られちまった」かどうかは知らないが、
その腕前の方は超一郎、じゃあなくて、超一流とかなんだけど、『しんせい』、『しんしん』、『じゆう』と、“渡り鳥”・・・・・・
そんな、合羽からげて三度傘の腕っこきに帳場盗られて、鳩ポッポ亭主、今じゃあ“焼き鳥”焼けずに手を焼いている(笑)。
それにしても霞ヶ関市場の養豚、養鶏は、餌なら何でも食っちゃってるから、下手に食おうモンならあとの食中りが怖い。
その豚種に鶏種・・・・・・
コッコー、コーセー、ホウムにモンカ、新種のボウエイがいきなりバチアタリで、ノースイときたら自殺やらバンソーコーだらけで、古米、事故米、汚染米。
ザイムはザイムで餌だけはジャカスカ、鱈腹喰らうくせにいつも腹は空っぽで卵を産むどころか、他所の卵を食いつぶすだけ。
それに高級偽装する“カンリョー”やら“ジカン”“シンギカン”とかの種類は・・・・・
小屋から小屋を渡りに渡り往生際が極めて悪い。
かける塩に漬けるタレ・・・・・打つ手なし!!
チト古いが、ミートホープにでもお願いしてミンチにして加ト吉で冷凍ハンバーグにでもしてもらって『みんしゅ』のスーパー、イオンで・・・・・・
しかし、食品表示がジカンやギインで原産が永田町、霞ヶ関では消費者後ずさり・・・・・
結局、消費期限切れでぶちゃるしかないのか。
今までの餌が全部無駄になるけど食えないモンは「どうしょうもない」雇用調整、在庫調整するしかない。
しかし、ぶちゃったけど、大企業、大手商社、丸紅だか、三井三菱、日商岩井あたりが再パッケージ、再々パッケージで、
賞味、消費期限偽装どころか、“商標偽装”で知らぬ間に・・・・・
またまたイオンになんてえことにならないように、国民、生活者よくよく注視、監視するしかない!!
さて、今年から“禁煙”になった「やきとり“ささき”」にでも行ってきますか・・・・・
ナンコツ、レバー、タン、コブクロを塩で、ヒモは秘伝のタレを肴に。