グンブロ広告
ビジネスライセンス料 3,000円/月
飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告 1,600円/月
お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2008年12月27日
チャルメラ横丁
「たかさき」でラーメンを語るには、一時、田町通りに軒を連ねた、「夜鳴き」なくしては後も先もない。
あれは、昭和の三五、六年頃だっただろうか・・・
「来来軒」。
僕の家の傍に住んでいた・・・いや、住んでいたというか、それは「居た」と云う趣であった。
あの時代、それぞれに訳ありのご時世だったし、ご多分に漏れずその来来軒ファミリーもまさにそれそのものだった・・・・・
縦に二畳一間、正真正銘の「うなぎの寝床」の間借。
そんなうなぎの寝床に親子三人で暮らすなんて言うのも別になんとも思わなかった時代だったし・・・・・・
周り中が似たか寄ったかの暮し向きの時代だった。
そのうなぎの寝床の店子の「来来軒」マスターファミリー。
ま、マスターと言ったかどうかは知らないが、そのマスター、なんでも出は良かったようで、高崎の「大店」の「ボン」だったと言う噂はその近所には知れ渡っていた。
来来軒、既に彼岸に旅立ったと風の便りに聞くが・・・その昔、高崎商業高等学校では野球部で腕を鳴らし「甲子園」にも行ったと言う、兵だったらしい。
僕よりも四歳年下の「息子」がその来来軒には居た。
マスターには訳在りの小母さんが時々入替わりに寄せていたが、もちろん「クレイマー・クレイマー」を地で行くような趣であった。
その息子、学校から帰ると健気にも来来軒、親父の「屋台」の支度を手伝い七輪に炭を熾すのも慣れた手つき・・・けして「幸福」とは言ないが、これが滅法明るい横丁の少年だった。
まあ、何処も彼処も似たようなもの、生活環境だったのだから暗くなりようがなかったのだろう。
来来軒のマスターと来た日には、兎に角「酒癖」が悪い。それは「悪い」と言うよりも、多分、酒に「弱い」のではないだろうか・・・〈弱いくせに酒好きで、飲むと人が変わるタイプ〉の人・・・時に良く見かける。
マスター、朝方には、その屋台を枕に酔い潰れている。
「父ちゃん、父ちゃん、風邪ひくよっ」
と、孝行息子。何処までも健気に酔いつぶれた親父を介抱する。
酔っ払った挙句喧嘩でもしたのだろうか、唸りながらブツブツ言ってる来来軒。
「しょうがねえなぁ・・・父ちゃん」
いたわるように呟く息子
「父ちゃん・・・俺、学校、行って来るからね」
と、学校に行く時間になるとそんな孝行息子の優しい声が路地に流れる。
日清製粉の板塀。そこの路地の奥まった所に「来来軒」の屋台はいつも置かれていた。
ある日僕はそんな孝行息子にしばらくぶりに出会った。
「元気ーーー!!」
と、僕に呼びかける無茶苦茶明るい昔の面影を残す来来軒の息子。
その孝行息子も、今度55になると言う。
ラーメンは延びてはいけないが、「幸せ」は延びれば延びるほどよいかも知れない。
その時僕の耳元にあの来来軒の“チャルメラ”がふとよぎった。
♪ピラリーラリ、ピラリラリーラリ♪
来来軒の息子、あの時のままの明るさと満面の笑顔・・・・僕は、その孝行息子にとっておきの元気を貰ったような気がして嬉しくなった。
ふと目を閉じると、日清製粉の板塀と奥まった突付の日清製粉の社宅を背景の来来軒の屋台。
そんな高砂町、横丁の風情に孝行息子の「父ちゃ~~~ん」が聞こえた。
「本郷軒」
江木の方からは「本郷軒」。ここは2代目だと云う。僕は、「たつみ」が良いと言う方も居られるが、なんと云っても「本郷軒」が好みだ。ラーメンの「上がり」が早い。麺はいつも固めで、スープ味はさっぱり目。本当の「支那そば」って云う感じがする。
夕方5時過ぎ頃には「チャルメラ」を鳴らしながら町内を引いていく。先代は歩いて引いたが、2代目は「ホンダスーパーカブ」を、そろりそろりと横丁を往来した。
「ラーメン屋さ~ん」
あちこちからドンブリを手に屋台を囲む。不思議なもので一人が声をかけだすとつられるように四、五人がいつも決まって集まってくる。
当時は未だ「出前」ものを取るとかと言ったような贅沢は無かったし、子供が三、四人もいた日には「ラーメン代」だけでも大変な額になってしまう。
そんな時に決まって声をかけるのはこれから夜のお給仕に出かけるお姉さんかお兄さん。
どちらかと云えば僕等はそれを羨ましそうに眺めていた口であった・・・・・
もちろんそんなお姉さんお兄さんの暮らし向きは貸間住まい。アパートなどと言う代物ではなかったし「バス、トイレ」なんて言う時代ではないので、銭湯帰りだろうか・・・
「兄さん男前ねっ、チャーシュウおまけしてね」
「あいよ」
と、互い、軽口を交わし、柔肌だったかどうかは知らないが得も言えぬ芳香を振りまきながらそのドンブリを手に順番を待っていた。
「本郷軒」は二代目とか言っていた。
そうだ・・・この親爺も「酒好き」の意気地なし(失礼、そう見えた)・・・そして多分「弱い」のだろう。
その本郷軒、朝方は五時頃まで商っている。出掛けにはその途中、横丁の酒屋でコップ酒をすでに軽く一杯引っかけてくる「本郷軒」。車の通りの引けた頃合を見計らって大通りに屋台を張る。夜も更けて九時、十時が食べるなら丁度の時間かもしれない。
「午前様」を迎える頃ともなるとあとはいけない。あとは「へべれけ」で、目を据わらせながら「麺」を上げている。そうなると、折角の「本郷軒」のシコシコ麺もさっぱりスープあったもんじゃあない。
「親爺っ、このラーメン伸びてるぞ」
なんて客が文句のひとつも言おうものならさあ大変。
「なにを…じゃっ、ラーメンもうオシメエだっ。やならよしゃあがれ、ゼニはいらねぇ」
と、言ってさっさと火を落として提灯を消しちゃう本郷軒。
兎に角酒が入るとコロッと変わっちまうのだから始末が悪い。普段はどちらかと云うと物静かなお兄さんなの本郷軒なのだが。このところ、話も聞くことはないが・・・
どうしているだろう。
あれは、昭和の三五、六年頃だっただろうか・・・
「来来軒」。
僕の家の傍に住んでいた・・・いや、住んでいたというか、それは「居た」と云う趣であった。
あの時代、それぞれに訳ありのご時世だったし、ご多分に漏れずその来来軒ファミリーもまさにそれそのものだった・・・・・
縦に二畳一間、正真正銘の「うなぎの寝床」の間借。
そんなうなぎの寝床に親子三人で暮らすなんて言うのも別になんとも思わなかった時代だったし・・・・・・
周り中が似たか寄ったかの暮し向きの時代だった。
そのうなぎの寝床の店子の「来来軒」マスターファミリー。
ま、マスターと言ったかどうかは知らないが、そのマスター、なんでも出は良かったようで、高崎の「大店」の「ボン」だったと言う噂はその近所には知れ渡っていた。
来来軒、既に彼岸に旅立ったと風の便りに聞くが・・・その昔、高崎商業高等学校では野球部で腕を鳴らし「甲子園」にも行ったと言う、兵だったらしい。
僕よりも四歳年下の「息子」がその来来軒には居た。
マスターには訳在りの小母さんが時々入替わりに寄せていたが、もちろん「クレイマー・クレイマー」を地で行くような趣であった。
その息子、学校から帰ると健気にも来来軒、親父の「屋台」の支度を手伝い七輪に炭を熾すのも慣れた手つき・・・けして「幸福」とは言ないが、これが滅法明るい横丁の少年だった。
まあ、何処も彼処も似たようなもの、生活環境だったのだから暗くなりようがなかったのだろう。
来来軒のマスターと来た日には、兎に角「酒癖」が悪い。それは「悪い」と言うよりも、多分、酒に「弱い」のではないだろうか・・・〈弱いくせに酒好きで、飲むと人が変わるタイプ〉の人・・・時に良く見かける。
マスター、朝方には、その屋台を枕に酔い潰れている。
「父ちゃん、父ちゃん、風邪ひくよっ」
と、孝行息子。何処までも健気に酔いつぶれた親父を介抱する。
酔っ払った挙句喧嘩でもしたのだろうか、唸りながらブツブツ言ってる来来軒。
「しょうがねえなぁ・・・父ちゃん」
いたわるように呟く息子
「父ちゃん・・・俺、学校、行って来るからね」
と、学校に行く時間になるとそんな孝行息子の優しい声が路地に流れる。
日清製粉の板塀。そこの路地の奥まった所に「来来軒」の屋台はいつも置かれていた。
ある日僕はそんな孝行息子にしばらくぶりに出会った。
「元気ーーー!!」
と、僕に呼びかける無茶苦茶明るい昔の面影を残す来来軒の息子。
その孝行息子も、今度55になると言う。
ラーメンは延びてはいけないが、「幸せ」は延びれば延びるほどよいかも知れない。
その時僕の耳元にあの来来軒の“チャルメラ”がふとよぎった。
♪ピラリーラリ、ピラリラリーラリ♪
来来軒の息子、あの時のままの明るさと満面の笑顔・・・・僕は、その孝行息子にとっておきの元気を貰ったような気がして嬉しくなった。
ふと目を閉じると、日清製粉の板塀と奥まった突付の日清製粉の社宅を背景の来来軒の屋台。
そんな高砂町、横丁の風情に孝行息子の「父ちゃ~~~ん」が聞こえた。
「本郷軒」
江木の方からは「本郷軒」。ここは2代目だと云う。僕は、「たつみ」が良いと言う方も居られるが、なんと云っても「本郷軒」が好みだ。ラーメンの「上がり」が早い。麺はいつも固めで、スープ味はさっぱり目。本当の「支那そば」って云う感じがする。
夕方5時過ぎ頃には「チャルメラ」を鳴らしながら町内を引いていく。先代は歩いて引いたが、2代目は「ホンダスーパーカブ」を、そろりそろりと横丁を往来した。
「ラーメン屋さ~ん」
あちこちからドンブリを手に屋台を囲む。不思議なもので一人が声をかけだすとつられるように四、五人がいつも決まって集まってくる。
当時は未だ「出前」ものを取るとかと言ったような贅沢は無かったし、子供が三、四人もいた日には「ラーメン代」だけでも大変な額になってしまう。
そんな時に決まって声をかけるのはこれから夜のお給仕に出かけるお姉さんかお兄さん。
どちらかと云えば僕等はそれを羨ましそうに眺めていた口であった・・・・・
もちろんそんなお姉さんお兄さんの暮らし向きは貸間住まい。アパートなどと言う代物ではなかったし「バス、トイレ」なんて言う時代ではないので、銭湯帰りだろうか・・・
「兄さん男前ねっ、チャーシュウおまけしてね」
「あいよ」
と、互い、軽口を交わし、柔肌だったかどうかは知らないが得も言えぬ芳香を振りまきながらそのドンブリを手に順番を待っていた。
「本郷軒」は二代目とか言っていた。
そうだ・・・この親爺も「酒好き」の意気地なし(失礼、そう見えた)・・・そして多分「弱い」のだろう。
その本郷軒、朝方は五時頃まで商っている。出掛けにはその途中、横丁の酒屋でコップ酒をすでに軽く一杯引っかけてくる「本郷軒」。車の通りの引けた頃合を見計らって大通りに屋台を張る。夜も更けて九時、十時が食べるなら丁度の時間かもしれない。
「午前様」を迎える頃ともなるとあとはいけない。あとは「へべれけ」で、目を据わらせながら「麺」を上げている。そうなると、折角の「本郷軒」のシコシコ麺もさっぱりスープあったもんじゃあない。
「親爺っ、このラーメン伸びてるぞ」
なんて客が文句のひとつも言おうものならさあ大変。
「なにを…じゃっ、ラーメンもうオシメエだっ。やならよしゃあがれ、ゼニはいらねぇ」
と、言ってさっさと火を落として提灯を消しちゃう本郷軒。
兎に角酒が入るとコロッと変わっちまうのだから始末が悪い。普段はどちらかと云うと物静かなお兄さんなの本郷軒なのだが。このところ、話も聞くことはないが・・・
どうしているだろう。
2008年12月27日
バカに点けるクスリ
バカにつけるクスリ
「バカに点けるクスリ」っていうのが週刊誌にある・・・・・・
別に、小泉が、安倍が、福田が、そして麻生が“バカ”でもそんなことはどうでもいい(笑)。
ついでだから言っておくけど、“高橋ナントカ”いう東大理工科系の元官僚が「財務省オサラバ」みたいな本を書いているので読んでみれば“マンガ”・・・・・
まあ、そんなわけで、今の派遣切り失業者2万人とか3万人とかの話なんだけど・・・・・
優秀のはずの、日本の官僚、とりわけ“東大法学部”はどうしたの(笑)。
優秀だからこそ、税金をたんまり使って“公費留学”とか、生涯の生活を保障しているわけでしょ!!???
それが「今日この日を」全く想定してなかったかのような“政府答弁”・・・・・・
それが「100年に一度の危機」が笑わせる(笑)。
“金融工学”かなんかは知らないけれど、まるで「打つ手なし」でどうですか・・・・・・
派遣労働者救済やら、失業者対策やらで2兆円!!???
「お金が天から降ってくるわけではない!!」
なんて、厚生労働大臣が言ったばかりじゃあないか(笑)。
実は「お金は天から降ってくる」んだ!!
ある人から僕にメールがあった・・・・・・
僕の書き込み、「この国は借金などはない」に対してなんだけど・・・・・・
改めて言うけど「この国に借金はない!!」、これ本当の話です。
“借金”と言えば、それは、全くの「赤の他人」から借りる話で・・・・・・
それを「国民から借りている」(笑)。これこそ、こんな馬鹿げた話はない(笑)。
先の大戦でも、外国が貸してくれるはずもなく、国民の預貯金を強制的に“戦時債権”、つまり、国債にして・・・・・・
戦争に負けて知らん振り。つまり、敗戦で「なかった話」にされちまった(笑)。
この1年、世界で2番目の経済大国・・・・・・
いや、実質は、外国に債権は天文学的にあれど、債務は“ゼロ”。
つまり世界一の“経済大国”のわが国ニッポン!!
まあ、東大法科のとりわけ優秀な、国家公務員が一体今まで何をしてきた・・・・・???
その昔でいえば“帝国大学”だが、その極めて頭脳明晰なはずの輩がどうしたことか、300万余人の国民犠牲にしながら開戦、敗戦(笑)。
残念ながら、今の日本の政治を牛耳るのも、多くがその子弟の戦後焼け跡世代、そのなかでもモーレツな“受験戦争”を勝ち抜いたとされる東大卒法科卒の“キャリア官僚”。
そんな、優秀であるだろう“キャリア官僚”が負け犬じゃあないけど「尻尾まいて」四の五の言い訳をしている・・・・・・
さっき、去年の今日の新聞を見ていた・・・・・
「サブプライムローンで大変なことになるやも知れない」
とかの記事に思わず笑った・・・・・
必ず、それは当時、戦前でも欧米に洋行、つまり“公費留学”をしているキャリア官僚・・・・・
そこで、何を学んだかは“ひみつのあっこちゃん”、“崖の上のポニョ”とかなんだけど、しかしここまで来ると、国民がいちばん貧乏くじを引かされちまった。
だいいち、そこでいう何のための「統計学」とか「経済学」なのか・・・・・
もし、その彼らが言われるように極めつけ、優秀な官僚なら、今日のこの様は、“計算”の範囲ではなかったのか。
そしてそれが、もし「計算の範囲」になかったというなら、彼等は「大バカモン」である。
この「100年に一度の津波」とか言っていたグリーンスパンの後任FRB議長の発言だが・・・・・
金融規制、不十分だった=FRB議長が後悔の念-米紙
<12月27日1時0分配信 時事通信>
【ニューヨーク26日時事】バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は、26日付の米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された記事で、
深刻な金融危機とリセッション(景気後退)を招いた住宅・信用バブルとその崩壊に関連し、金融機関や住宅金融業者の規制が不十分だったと後悔の念を示した。
・・・・・と、政策の失敗を自白したかっこうなんだが、そんなことはあるまい。
前任のそのグリーンスパン氏にしたところで、「金融の神様」「マエストロ」とまで言わしめた人物だ・・・・・
FRB退任後、氏は英国財務省、ブラウン財務大臣(現首相)の名誉顧問就任という世界を股にかけての天下り(笑)。
それが、06年だからすでに“サブプライム問題”はくすぶり始めていたその時にだ。
日本でも同じことが言える。つまり「金融の神様」だとか「マエストロ」だとかを自称するかの元高級財務官僚や経済学者は掃いて捨てるほどいる・・・・・
民間から金融担当相となった“竹中平蔵慶応大学教授”とか、ミスター円とかの“榊原英資氏”らもその一人だ。
そんな連中が、今のこの事態を「想像できない」はずがない(笑)。
それができないとしたら、それはただのバカでそんなモンが日本、世界経済、金融をコントロールしていることになる。
当然、この未曽有の“金融危機”は想定の範囲で・・・・・・
早い話、“ポーカーゲーム”の「ゲームオーバー」と「リセット」で、つまり、大泥棒、大盗賊の仕掛け通りということ。
福田さん、なった時、「貧乏くじ」とか言ってたけど、麻生さんはなんて言っていたか定かではない・・・・・
しかし、国民、たまらない・・・・・・
すくなくとも彼らの、政治家、高級官僚のすべての給金を返還させてもその責任はぬぐえないだろうに。
しかし、このことへの責任への言及は誰からも聞かない・・・・・
次の手、悪だくみをしながらの、大泥棒、大盗賊の高笑いが聞こえる。
「バカに点けるクスリ」っていうのが週刊誌にある・・・・・・
別に、小泉が、安倍が、福田が、そして麻生が“バカ”でもそんなことはどうでもいい(笑)。
ついでだから言っておくけど、“高橋ナントカ”いう東大理工科系の元官僚が「財務省オサラバ」みたいな本を書いているので読んでみれば“マンガ”・・・・・
まあ、そんなわけで、今の派遣切り失業者2万人とか3万人とかの話なんだけど・・・・・
優秀のはずの、日本の官僚、とりわけ“東大法学部”はどうしたの(笑)。
優秀だからこそ、税金をたんまり使って“公費留学”とか、生涯の生活を保障しているわけでしょ!!???
それが「今日この日を」全く想定してなかったかのような“政府答弁”・・・・・・
それが「100年に一度の危機」が笑わせる(笑)。
“金融工学”かなんかは知らないけれど、まるで「打つ手なし」でどうですか・・・・・・
派遣労働者救済やら、失業者対策やらで2兆円!!???
「お金が天から降ってくるわけではない!!」
なんて、厚生労働大臣が言ったばかりじゃあないか(笑)。
実は「お金は天から降ってくる」んだ!!
ある人から僕にメールがあった・・・・・・
僕の書き込み、「この国は借金などはない」に対してなんだけど・・・・・・
改めて言うけど「この国に借金はない!!」、これ本当の話です。
“借金”と言えば、それは、全くの「赤の他人」から借りる話で・・・・・・
それを「国民から借りている」(笑)。これこそ、こんな馬鹿げた話はない(笑)。
先の大戦でも、外国が貸してくれるはずもなく、国民の預貯金を強制的に“戦時債権”、つまり、国債にして・・・・・・
戦争に負けて知らん振り。つまり、敗戦で「なかった話」にされちまった(笑)。
この1年、世界で2番目の経済大国・・・・・・
いや、実質は、外国に債権は天文学的にあれど、債務は“ゼロ”。
つまり世界一の“経済大国”のわが国ニッポン!!
まあ、東大法科のとりわけ優秀な、国家公務員が一体今まで何をしてきた・・・・・???
その昔でいえば“帝国大学”だが、その極めて頭脳明晰なはずの輩がどうしたことか、300万余人の国民犠牲にしながら開戦、敗戦(笑)。
残念ながら、今の日本の政治を牛耳るのも、多くがその子弟の戦後焼け跡世代、そのなかでもモーレツな“受験戦争”を勝ち抜いたとされる東大卒法科卒の“キャリア官僚”。
そんな、優秀であるだろう“キャリア官僚”が負け犬じゃあないけど「尻尾まいて」四の五の言い訳をしている・・・・・・
さっき、去年の今日の新聞を見ていた・・・・・
「サブプライムローンで大変なことになるやも知れない」
とかの記事に思わず笑った・・・・・
必ず、それは当時、戦前でも欧米に洋行、つまり“公費留学”をしているキャリア官僚・・・・・
そこで、何を学んだかは“ひみつのあっこちゃん”、“崖の上のポニョ”とかなんだけど、しかしここまで来ると、国民がいちばん貧乏くじを引かされちまった。
だいいち、そこでいう何のための「統計学」とか「経済学」なのか・・・・・
もし、その彼らが言われるように極めつけ、優秀な官僚なら、今日のこの様は、“計算”の範囲ではなかったのか。
そしてそれが、もし「計算の範囲」になかったというなら、彼等は「大バカモン」である。
この「100年に一度の津波」とか言っていたグリーンスパンの後任FRB議長の発言だが・・・・・
金融規制、不十分だった=FRB議長が後悔の念-米紙
<12月27日1時0分配信 時事通信>
【ニューヨーク26日時事】バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は、26日付の米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された記事で、
深刻な金融危機とリセッション(景気後退)を招いた住宅・信用バブルとその崩壊に関連し、金融機関や住宅金融業者の規制が不十分だったと後悔の念を示した。
・・・・・と、政策の失敗を自白したかっこうなんだが、そんなことはあるまい。
前任のそのグリーンスパン氏にしたところで、「金融の神様」「マエストロ」とまで言わしめた人物だ・・・・・
FRB退任後、氏は英国財務省、ブラウン財務大臣(現首相)の名誉顧問就任という世界を股にかけての天下り(笑)。
それが、06年だからすでに“サブプライム問題”はくすぶり始めていたその時にだ。
日本でも同じことが言える。つまり「金融の神様」だとか「マエストロ」だとかを自称するかの元高級財務官僚や経済学者は掃いて捨てるほどいる・・・・・
民間から金融担当相となった“竹中平蔵慶応大学教授”とか、ミスター円とかの“榊原英資氏”らもその一人だ。
そんな連中が、今のこの事態を「想像できない」はずがない(笑)。
それができないとしたら、それはただのバカでそんなモンが日本、世界経済、金融をコントロールしていることになる。
当然、この未曽有の“金融危機”は想定の範囲で・・・・・・
早い話、“ポーカーゲーム”の「ゲームオーバー」と「リセット」で、つまり、大泥棒、大盗賊の仕掛け通りということ。
福田さん、なった時、「貧乏くじ」とか言ってたけど、麻生さんはなんて言っていたか定かではない・・・・・
しかし、国民、たまらない・・・・・・
すくなくとも彼らの、政治家、高級官僚のすべての給金を返還させてもその責任はぬぐえないだろうに。
しかし、このことへの責任への言及は誰からも聞かない・・・・・
次の手、悪だくみをしながらの、大泥棒、大盗賊の高笑いが聞こえる。