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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2008年05月15日

“家族主義“国家”

家族主義“国家”。

これには国民大衆は埒外である。

昭和から平成へ・・・・・ようやく本心を剥き出しにしてきた“国家”。
というよりも、昭和の敗戦で“国家”として生き残る手段として、そうする他はない被占領国家・・・・・・

その国家は国家として独自に生き延びる道のないことを知る。
また、その戦勝国、占領軍が絶対にその被占領国、敵対した国家を赦すことはない事を知る。

よしんば、真の独立を回復する手段があるとするなら―――――

それは莫大な対価での国家主権の回復を図るか、
もうひとつの手段は再びその占領軍、戦勝国と戦争をして、勝利し主権回復するか・・・・・・
そしてもうひとつのそれは、国民による、民草による革命だろう。

その三つに一つしかない。
そしてそれらは歴史が証明している事実なのだ。

それが成らないなら、主権のないまま未来永劫旧来どおり、
宗主国の中の“第二政府”のままで生き残りの道を探るしかない。

今日、この国家、政府の提出、可決させる、させようとする法案はこの国家の行く末を案じてのものだろう。
間違っても、国民の、国民生活の行く末を案じてのものではないことを今それが教えていることに気づく。

今日の時点で、国家、為政者は与野党、官僚を問わず直接、間接にその“国家”をより強固なものにしている。

国民保護法、有事立法、社会保障関連法、自衛隊法・・・・・等々。

これらの実態は全て国家が国民を、その管理をより徹底するものに他ならない。
明治憲法という幕府政治をそのまま引き継いだ近代政府・・・・・
日清日露戦争、日中、太平洋戦争・・・・・その結果、大きくはアジア諸国は開放されたが、
この“大日本帝国”は・・・・・占領され・・・・・・宗主国の第二政府となる。

それは今日いわれるこの国の“中央”と“地方”関係に酷似している。

戦後においてもこの国の国家体制はすでに第三世代の下になりつつある。

ましてや、ご案内のとおりに岸信介の孫が、福田赳夫の子息が首相であったり、ということであるならば、
その完成は紛れもないその証拠となり、その意味では世界にこの国家が非独立国であることを宣言することになる。

元首相小泉純一郎曰く、「この国は戦後たったの一人の外国人も武器を持って殺したことがない」とか。

しかし、 “武器を持たない” それは、戦勝国、占領軍の“命令”だからなのであって、この国、この国家の意思ではない・・・・・
そしてそれは““武器を持たない”“なのではなく、武器を持つことを“許されていない”だけなのである。

その代わりにこの国を占領する国家の強大な軍事力がこの国から出撃し日々大量殺戮を繰り返している。
それが例え正義の名の下であったとしても、その行為はこの国の行為とみなすのが正しい世界の常識なのではないか。

ましてや、その“安全保障”の見返りとして広大の国土を摂取され、徴用され・・・・・・
今日では、安全保障の“守ってもらっている”ための莫大な費用を負担させられている。

そしてこの国の国家財政は困窮する国民生活そのものの債権債務だけでも800兆円・・・・・
全く、処理不能の借金財政・・・・・・
しかもその国家の借金の担保が国民の財産とあっては、国民が貸し手、国家が借りて。
この関係がなにを意味するかは“大人”なら理解可能だろう。

国家は、国民の家族関係はズタズタに切り裂き・・・・・
国家という“家族関係”血縁はより強固なものにする。

国民は知るべきだろう・・・・・
いやすでに知っているだろうそのことの事実を。

今日の国家の法律は、20年後、30年後の為のものである。
当然僕らはいない・・・・・
そして今日生まれた子が成人する頃にはこの国の国家像、形がどんなものになっているか。

昭和の敗戦で、昭和という元号は死んだはずだったのではなかったか・・・・・
象徴天皇・・・・・その象徴天皇が、まさに戦前のその“象徴天皇”のように・・・・・
(天皇は何の政治的決定権を持ち得なかった。このことは昭和天皇の回顧録にも述べられている)

国家という“生き物”がその主権もない、人権もない、戸籍もない“象徴”という非科学的な一人の、というより、
『イッコ』の人間なのか、神なのか、そうした実態があるようでない存在にモノを言わせる。

やがては愛国心の下に、小中、公教育の現場では日章旗“日の丸”が掲げられ、
“国を愛する”ということを滔滔と唱和させられる・・・・・

20年後の話だ・・・・・

おそらく今の政治家、官僚の子、孫が、同じ席に鎮座しているはずだ。

吉田茂、鳩山一郎、岸信介、池田隼人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、大平正義、鈴木善幸、中曽根康弘、数えれば底知れない・・・・・・
100%の確立でその天皇を中心に国家をなしているこの奇異。

しかし国民、家族は分断され、国家という家族だけは、“政官財”に強固に族を成す。

“家族主義“国家”

  


Posted by 昭和24歳  at 16:57Comments(0)

2008年05月14日

・・・・・夢・・・・・

・・・・・夢・・・・・


何度も描いて、何度も描いては消して・・・・・
また描いて・・・また描いては消して・・・

キャンパスは色褪せて、筆は細る・・・・折れかける。

それでも・・・・・

何度も描いて、何度も描いては消して・・・・・
また描いて・・・また描いて消して。

いっそのこと、筆を折ってしまおうかと、
いっそのこと、キャンパスを破ってしまおうかと・・・・・

何度その衝動にかられたことだろう。

・・・・ある日・・・・・

それに終わりのないことを知った時・・・・・静にまたそれを繰返す。
遠い昔のように荒々しくもなく、熱くもなく、ただとつとつと・・・・・
そっと、またそれを繰返す。

それは筆を労わりながら、
キャンパスを・・・・・優しくそ、れは擦るようにして・・・・・

そっと、またそれを繰返す。



昨日、某有名百貨店の社員である「若者」と話をした。
当然、僕は、仕事上その彼にお願いする身なのだが、彼の目が輝いているのが分かった。

やはり、『夢と人生』の話だ・・・・

僕は僕の“来た道”の話をした。

そして彼は、彼の“行く道”の話をした。

その道の「結論」は、何れの道にしろ・・・・・

「夢の途中」。

この、就職氷河期に一流と云われる百貨店に就職できたこと・・・・・
その中で、その一流と云われていた他所の「某百貨店」が崩壊してしまったこと。

人生には自分で選択、決定の出来ない「行方」がある。
でも、自分で選択決定をしなくてはいけない「行方」もある。
そのためにも、大きな夢・・・・・不確かであっても、「夢の夢」を心を大きく開いて詰め込まなくてはいけない時がある。

20代。「現実」に拉げてしまうのはある種、人生の「終わり」を意味する。
そして、その「現実」には「見つめる」べき時、「見極める」べき時、「看過す」べき時がある。

一番大事なのはそれに慄いて「見誤る」事のないようにすること。

傷ついても、いつかは必ず「傷は癒える」。癒えない傷などはありはしない・・・
青春には「季節」がない。あるのは燃え滾る情熱の「夏」だけ。

「蝉」の一生と同じ・・・・・

そこで、精一杯の「恋」をして、精一杯の「夢」を見て、精一杯「傷つけば」、
後の、人生に優しくなれるし・・・夢も「沸沸」と、途切れることなく・・・
いつも「途中」でいられる。

僕は、「途中下車」ばっかりだけど・・・
それでも、未だ途中・・・・そんな話に時を忘れていた・・・・・

彼曰く、「僕の親父はどうなのかな・・・親父とこんな話できるかな・・・・」

聞けば、僕と同い年。「母は寅です」・・・と。

「今度、話してみれば・・・・・お父さんと・・・・」

と、言う僕に・・・・・彼はの目を「キラキラ」輝かせて・・・・・

「そうしてみます。照れくさいけど・・・・・」

と言うと、フッと一息、そして笑った。
  


Posted by 昭和24歳  at 08:26Comments(0)

2008年05月13日

埋蔵金

使っても使っても使い切れない埋蔵金―――

各省庁の特別会計。そこでの「使い遺し額」の総額は年間“10兆円超”とも。

そこで、何かと不評の中川秀直自民党元幹事長の公式ウェブサイト「埋蔵金『実在』に関するメモ」によると・・・・・・
http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress1/

それは、「財政融資資金特別会計(財投特会)と、外国為替資金特別会計(外為特会)に、
それぞれ20兆円前後の積立金・剰余金(歳入から歳出を差し引いた余剰金)がある。」

“それぞれ”20兆円前後と言うことは「20兆円+20兆円=40兆円」。つまり“40兆円前後”の余剰金(埋蔵金)がそこにはある。

そればかりではない。各省庁にそれぞれある“特別会計”・・・・・

「外為」、「電源開発促進対策」、「石油及びエネルギー需給構造高度化対策」、「食糧管理」「貿易再保険」など全部で31。
その“特別会計”の「使い遺し額」。つまり“不要”の国民から集めた税金の総額、会計検査院公表だけでも年間、なんと・・・・・・

“10.5兆円”

もちろん、国土交通省・地方道路整備局がタクシー代に数百万円使っても、社会保険庁がマッサージチェアー等に数百万円使っても、
厚生労働省がハコモノ、数百億円のものを数万円でバッタ売りしてもなお“10.5兆円”も毎年あまる。

当然、その額は消費税5%分の歳入にも匹敵する・・・・・・
消費税増税どころの話ではない。しかも際限のない役人の“無駄遣い”である。

毎年“10.5兆円”

これは埋蔵金なんかではない。
今日、この不況で生活にあえぐ国民一般大衆から強制的に徴収した“税金”ではないのか。

本来なら、国民の代表であるはずの国会議員がその使われずにいる“税金”、官僚がまるで自分の財布であるかのように隠し持つ特別会計。
それを国会という場で、国会議員が追求すべきところなのだが、残念ながらその国会議員の凡そ30%が官僚出身。
閣僚、自民党三役に至ってはその半数が元官僚、世襲、閨閥議員で・・・・・

「埋葬金などはない。財政は火の車」だとヌカス。

一般会計を火の車、今日発表の国債残高も―――――

「国の借金849兆円で過去最高に」

とまるで他人ごと。それどころかあたかも責任は国民にあるとでもいうかの言い分。

はっきり言って、今、衆院で再可決された、ガソリン税収を今後10年間、道路特定財源に充てる“改正道路整備費財源特例法”
福田首相はそれの一般財源化(閣議決定予定)を言いながら、もう一方では“10年間”の道路特定財源。

このままでは、国民生活は完全に疲弊し、内需、国内消費も増えることはない。
ということは、国内産業、当然、食糧の自給なんかは夢のまた夢・・・・・

“10.5兆円”も余っていながら、後期高齢者、障害高齢者から“1兆円”あまりをカスカスの年金から天引き。
二言目には“自民党”も“公明党”もその財源をいうが、まさに盗人猛々しいとはこういうことではないか。

やはり、今後、これら特別会計、年金、医療を焦点に2度、3度総選挙を繰り返さなければこの国は終わる。
なぜなら、民主党も半数以上が官僚出身、世襲議員、完全思想哲学は割れている。

ここまで、政府の実態が露見されればいかに“バカ国民”でも気がつくはずではないか。

支持率20%ワレでも、サミットまで・・・・・・
支持率、10%台、下手をすれば“一ケタ”、それでもサミット?
まあ、同じ派閥の“森首相”の沖縄サミットもあったから、実はこの国“首相”はただのお飾りなんだろう・・・・・

しかし、このままでは国民悲劇、いや、喜劇、バカ丸出し、それこそ・・・・・・

♪羞恥心~~羞恥心~~♪

日本国民、“一億総羞恥心”では(笑)。

笑ってる場合ではない!!   


Posted by 昭和24歳  at 21:01Comments(1)

2008年05月13日

“人”には『生きる力』がある。

“人”には『生きる力』がある。

例え家庭が貧しかったとしても、例え片親で育てられたとしても・・・・・
そしてどんな事情、境遇で育った“人”でも、

“人”には『生きる力』がある。

―――-絶対にある!!

あの敗戦がそうだったではないか・・・・・・
その敗戦の漆黒の社会に生まれた僕らにもこうして『生きる力』があった。
大方の“庶民”は多少のイザコザはあれ、善良に“生きる”ことを旨として生きている。

犯罪、事件には“人が生きる”それぞれの理由の中にある。

“幸福”とは凡そ、暖色・・・・・ただの一色だが・・・・・

“不幸”とはその“人の数”と同じ『十人十色』いく通りもの色をなす。

しかしそんな不幸、貧困が、恵まれない環境が“犯罪・事件”を起すとは限らない。
むしろそこそこに豊かに暮らした、所謂“普通”の『社会』から犯罪、事件は起きている。
そして当然のようにその“犯罪・事件”が呼び起こす新たな『不幸』の始まりが人間の、“人の生きる力”を験す・・・・・・

僕らもそう験されてきた誰しもがそうであるように僕にも一つや二つの“不幸の種”はあった(笑)。
しかし、その“不幸の種”が芽吹く前に恋をして、結婚をして、子どもをもうけ・・・・・・
できる限り“善良な”社会生活を自らに律した(それほどでもないが)。

一通りの人生は“苦あれば楽あり”そして“山あれば谷あり”・・・・・
今のところはその“苦”と“楽”そして“山”と“谷”が行ったり着たりと忙しいが、
多少なりとも、その“生きる力”に支えられて生かさせてもらっている僕だが。

昨今の犯罪、事件・・・・・

どなたかが仰るとおり、戦後と言う極めて不幸な時代から比べれば、比べようもない“善い社会”になったことは言うまでもない。

しかし昨今の忌まわしい殺人事件を言うまでもなくその発端はその“生きる”ということの“無力さ”から来ているのではないか。

そうした“生きる力”をそもそもに失った人間に差し伸べる手立ては社会にはない。
例えどんな境遇にあっても“生きる力”・・・・・・
自らの“生きる力”が自分を“生かせて”くれる。

とても悲しい事実だ。

何度も書いてしまうが、秋田の畠山鈴香、母親の娘殺し、そしてその娘殺しをカムフラージュするための殺人・・・・・・
しかし、そのような(報道によれば)“生きる力”を失った母親のもとでは早かれ遅かれ大きな不幸に見舞われる境遇にあったのではないか。

願わくば、成長して、綾香ちゃん自身が自分の力で“生きる力”に挑戦させてあげたかった・・・・・
多くの人たちはその人生において自分では避けきれない“不幸”を背負って生きているのではないだろうか。

今朝のニュースでもしきりに京都の女子高生殺人をテレビがやっている。

なぜ、高校一年生の女の子が真夜中に着飾って家を出るのだろうか・・・・・
なぜ母親はそれを見過ごすのだろうか。
中学もほとんど不登校だったと言うその被害者女子。
高校へも入学したもののほとんど登校してなかったという被害者女子。

きっと、言うにいえない寂しさに耐え切れない毎日だったのかも知れない・・・・・

しかし、それを幾ばくかでも、慰めてくれるのが宗教であったり、社会であったり、当然家庭あったりするのではないか。
そうした温かさに触れた時“人”また“生きる力”に目覚めるのではないだろうか・・・・・・

その被害者女子にはそんなシェルターはなかったのだろうか?

僕もそんなひとり。

いや、ほとんどの人間がそんな一人ではないか・・・・・

結婚して、子どもを持って・・・・・・
多少性格はきついが、絶対に“嘘”をつかない彼女。絶対に“飾らない”彼女。
妻であり、母である彼女・・・・・
そんな母に娘たちもおそらくそんな生き方、“生きる力”を持っていると確信しています。

実は僕は、よく嘘をつく・・・・・・

絶対に嘘をつかない彼女は僕の嘘をいとも簡単に見破る。

そんなこんなで33年目・・・・・僕は彼女に“生きる力”を頂いている。

少しでも“生きる力”を手助けするそんな社会になることが必要ではないのだろうか。
例え、その日暮らしであったとしても“今日を生きる力”があればその力は明日につながるはず・・・・・・だから・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 07:49Comments(2)

2008年05月12日

昭和人の徒然・・・・

今日はわが末娘の14回目の誕生日である。
そんな娘に書き残す昭和人から平成人への徒然と洒落てみる・・・・・

“ベーゴマ”

街中にある“人力屋”(?)だったか・・・・・・
そこで何年か前、末娘が小学校3年の頃(今は中学2年生)、そこで“ベーゴマ”のセットを買った。

やはり僕は遊びの“天才”である(笑)。
いや、僕ならずとも僕ら世代はほとんどが遊びの天才であった・・・・・・
“昔とったキネズカ”で早速家でダンボールのみかん箱とアンパンマンのレジャーシートで俄仕立ての“床”(“所”かも?)を作った。

太目のカツ糸の端を4、5センチあまらせて2センチほどの間隔で二つの結びコブを作る。
そしてその端に唾をつけて撚りをほぐし“べっちゃ”っとさせる・・・・・

「パパ、汚い!」

「なにが汚いもんか、ここをこうしないと確りとコマを巻けないんだ。
しっかり、きつく巻けば巻くほどコマはモーレツに回転するんだぞ!」

娘は“苦い”といったような顔をし、“ぺっ”と唾を吐きながらカツ糸をなめた。

「気持ち悪い・・・・・」

「バカ、そこが勝負どころなんだ!」

そう言いながら僕は子どもの頃のベーゴマの“身上丸”とか“大将丸”の話をした。

「うそーーーー、そんで、儲かったの?」

「儲かったさ。もちろんお金になったわけじゃあないけど、勝ったベーゴマは土の中に埋めて錆びさせるんだ・・・・・
そしてその錆びたベーゴマにヤスリをかけたりして強いベーゴマにするんだ。
“ペチャ”とか“高”とかいってみんなが強いベーゴマを作ろうと工夫をする・・・・・・」

何度やっても娘はベーゴマが上手く負けない・・・・・・
弱々しくほどけてしまうか、やっと負けたと思ったら“たらっ”と力なく回るだけ。

「ほら、こうやって巻くんだ・・・・・・」

そう言って僕は唾のたっぷり染みこんでガッシリと巻きつけたベーゴマを勢いよく“床”をめがけて“ビュッ”とベーゴマを落とした。

“ブーーーン!!”

それは唸りをあげるようにしてまるで“どうだ!!”といわんばかりに回った。
もうひとつのベーゴマをすばやく巻いた僕はその勝ち誇ったような先手のベーゴマにぶつけるようにして投げた。

そうだ、ベーゴマにはルールがあった・・・・・・

“突きあり”か“突きなし”

そして“のっけあり”か“のっけなし”

そしてもうひとつの“ウルトラC”は逆巻きの“投げ”。

この投げは相当の熟練したテクニックが要求された。右回りのベーゴマに対して左回りに回転させる。
とくに“ギッチョ”のやつと勝負する時にはその技を使わないと勝負にならないことがあった。
相撲で言えばガップリ“四つに組む”という技である・・・・・・

床の上で二つのベーゴマが勝負のつかないまま先手のベーゴマが止まりそうになる。
その時にもひとつのルールがあった・・・・・・

“取りあり”か“取りなし”のルールだ。

本当は“チッチッチッ!!”で同時に投げるので勝負がつかない場合は先に止まった方が負け・・・・・
そこで未だ回転しているほうのベーゴマの主が、相手のベーゴマが止まったと見るや“とうっ!!”と言って片手で掴む。
そこで上手く掴めたら勝ち。もし少しでもこぼれそうになったらその勝負は引き分け。
そしてその掴み方にもルールがあった。“クソ掴み”は御法度・・・・・
素早く“サッ”と掬い出すようにして掴まなければ勝負は無効になってしまう。

もちろんそこにいる悪ガキが審判だ。
当然“ズル”はできない・・・・・赦されない。
それらのルールに“ズル”するなり“ファウル”をするとそこでの勝負から“ハジキ”にされる。

そんな僕の話に娘は・・・・・・

「パパの子どもの頃って凄かったんだね」

「そうさ、メンコだって自分で油を染み込ませたり、それをカツ糸で縫い合わせたりして、勝負メンコを作ったんだぞ」

娘は、感心しているのか呆れているのかわからないような顔をして・・・・・

「で、パパって・・・・・本当に勉強嫌いだったの?おばあちゃんが言ってた」

そんな娘が14歳。来年は15歳・・・・・

昨夜テレビのニュースで“30年後の日本”のようなことを言っていた。

「30年後・・・・・アタシ44歳・・・・・
パパは、89歳・・・・・」

そう言ってため息のようなものを(笑)。
  


Posted by 昭和24歳  at 07:14Comments(6)

2008年05月11日

人々の絆、家族の絆

戦前、共同体を崩壊させて国家的統合で無謀な戦争に向かったように・・・・・・
今、国家は家族や地域を崩壊させることで人々の絆をなくし、国家に直接的“隷属”させようとしている。

国家は、「人々の絆、家族の絆を恐れている」。

それは、自分たちへの対抗力につながるものだからだ。
個として、一人ひとりの国民が感じ持つ意識、活動力を殺ぐ政策が今日の統制された“テレビ文化”・・・・・・
その中に見えるのはどのテレビチャンネルも、国営放送までが深夜に“お笑い番組”で若者の弱脳化を図っている。

時代だと言えばそれまでだが、“携帯電話”も国家による家族崩壊策のひとつではないか。

「家族間通話無料」

つまり、家族一人ひとりが“携帯電話”を持てということ・・・・・
それは、家族でさえ直接会話させず、さらに“メール”とかの手段で感情さえも殺ぎ、
あたかもそれが“繋がり”であるかのような幻想を持たせる“国策”。

昨今、異様な“自殺”、“集団自殺”、そして決定的弱者の無差別殺人の頻発。
戦前戦後の“それ”と比較する論調がメディアにあり、

「戦前、戦後の少年犯罪、家族間殺人(尊属殺人)は今日の比ではなかった」

だから、「今はそれほど深刻ではない」とでもいうメディアだが、確かに“数字”ではそうだ。
しかし、今日、その時代と比べたら、恐慌下でも、戦時下、戦後でもない、世界第二の経済大国“国家”のこの国において、
高度経済発展、バブル経済破綻とは言えその意味では世界最先端をいく国民生活、社会であるはずのこの国に・・・・・

なぜ、昨日今日を言えば“女子中学生殺人”、“女子高生殺人”が起こるのか?

ひとつには、その被害者も、さらに加害者も“社会崩壊”、そして“家族崩壊”の結果ではないのか。

ここの地域でも“放火事件”が相次いでいる。
そして、“緑化フェア”といいながらそこの“チューリップ”が悪戯に軒並み切り取られると言った事件・・・・・
これも“緑化フェア”といいながら、小泉政治の公共事業抑制策の中での“偽装公共事業”ではないのか。

そしてその“チューリップ犯”も、どこかでその“緑化フェア”という行政のシステムから外された善良であった輩の腹癒せでは・・・・・

「花と緑いっぱいの街並み」

しかしそれは取ってつけたような“植え込み”と“花飾り柵”の羅列。
しかも、それは歯抜けのような商店街、空き店舗の前に偽装の“華やぎ”を見せている。
さらに、某所公共用地には俄仕立ての大規模バガーデニング。期間中はともかくその後のケアはいったいどうするのか・・・・・・

まあ、へそ曲がりな意見と言われるかも知れないが、はたして「花いっぱいの、緑あふれる」ご時世か?
公金を使うならもっと他に深刻な案件は山ほどあるのではないのかとも穿ちたくなる。


国家は、「人々の絆、家族の絆を恐れている」。

つまりこの国の90%からの普通の国民の普通の“絆”であろう。
戦後、僕が知る限り、家内制の商工業でもなければ家族経済スタイルは夫、父親が外ではたらいれ、妻、母親が家庭を守る・・・・・
これが、いわば“家族経済”の合理性であった。夫、父親一人の働きで家族を養える。そして多少なりとも貯蓄(保険)もできた。

しかしそれが確実に崩壊する経済社会の中で、今日の様々な“事件”がおきていることは、
そしてそのことは、国家の政策が意図する中の現象としてあるのではないか。

広く言えば、夫の収入を政策的に削って、妻が外で働くことで家族の総収入を補填する。
つまりそこの“総収入”は一緒だが、家族の“時間”は分断されるし、基本的に家庭内での主婦の役割負担は増大する。
それをあたかも「女性の社会進出」というが、労働という意味では家族の柱が二人とも企業に拘束され父性、母性の役割も希薄になりひいては家庭崩壊にも繋がる。

そのことが顕著になってきているのが昨今の事象ではないのか。


「平和時に政府が借金を増やす理由は、富に対する課税を怠ったことに起因する。」

富裕層への課税強化は富裕層、成功者の国外逃避を招くとかの議論があるが、
そこに課税を怠っている中には、金融破たんで70兆円からの“公金”補填で救われ、今日莫大な利益を得ている大手都市銀、大企業の脱税、減税。

富に対する課税を怠ってはいないか。
  


Posted by 昭和24歳  at 08:49Comments(0)

2008年05月08日

駅前留学考

'45年進駐軍が「米語」の看板を日本中に立てた。

この高崎もそうだったのではないだろうか・・・・・

日本国憲法の原文、調印、条約文書等、全て「米語」。
GHQの命令も全て、なにからなにまで占領政策は「米語」、極東軍事裁判も・・・・・
http://jp.youtube.com/watch?v=ARaFqgF1m5g

少なくとも、公用語くらいは進駐軍、占領解放後も「米語」にしといてくれたら、
今ごろ日本は、いや世界すらガラッと変っていたかも知れない。
しかし当時の連合軍側の提示した降伏文書には「英語を慣用語とする」とあったそうです。

そうすれば日本人、爺婆から赤ん坊まで米語「ペラペラ」だったらと思うと可笑しい。
今ごろは「NOVA」も「イーオン」も日本中の駅前留学はない・・・・・

英語をまともに喋るやつは、政治家には“しない”・・・・・・

「これ、日本政府の方針。」

外務官僚と財務(大蔵)、法務、警察の高級官僚のみ本格的に国費で英語教育をさせる。

防衛庁を筆頭に各省庁には政府中枢の息のかかった官僚を官邸に出向させ、
そこでは総理をはじめ、英語を理解し喋る、もちろん政治経済社会あらゆる分野・・・・・
ネイティブに「米語」を喋るやつは誰も入れない。

もちろん米語をネイティブに喋れるといわれる「ポカ~ン宮沢(故人)」総理を総理にはしたくはなかった政府。
唯一、吉田、池田の本流のる外務官僚・・・・・
下手に政治家に目覚めて隠し事を喋られると政府、山本リンダじゃあないが「困っちゃうな」なのである。

誰一人その米語を喋る首相閣僚はいない・・・・・
それどころか、極めつけは「イット」に「フーアーユー」のシンキロー相撲レスラー元総理。

だから、ネイティブなイングリッシュスピーカーは、けして「政治家」にはしない。
官僚出身の政治家も結構いる。
しかし政治家になる官僚は・・・・・・馬鹿で間抜けなお調子モンだけ。

「TVタックル」でお笑いに笑われている“オバカ”な連中ばかり。

戦後、占領軍の命令で小学校の授業は全て「英語」、公用語は英語、ということにでもしておいたら・・・・・
少なくとも、60年安保改定くらいまで。


しかし、よかったね・・・・・
日本の政治責任者(政治家ではなく官僚)、日本の公用語を英語にしなくて。

文部省も、中学に入ってやっと「ディス・イズ・ア・ペン」だもの・・・・・
英語の文盲率はアフリカ、中南米以上じゃあないの(笑)。
それが、文部省「ローマ字学習」だもの・・・・・
考えてみたら教員も笑える。

21世紀、未だ英会話を教授できる公教育も教員がいない(笑)。
下手をしなくとも、児童生徒の方が先に「駅前留学」で喋れる。
挙句、進駐軍教師を、それもただの外人を雇い入れて税金を遣う。
それで「義務教育費減らす」、教職員の給与減らすって言っていれば世話がない。

もっとも「パソコン」も先生がまるで駄目・・・・・・
逆にパソコンに詳しい先生は、18禁オタクで、
今の教員、児童生徒に教えることができない、「指導力不足」に「登校拒否」、「適応障害」で、
下着泥棒したり、盗撮したり、児童買春したりと笑ってる場合ではない。

これも、政府・・・・・
国民を総白痴化の、総仕上げ。
国民に「英語」なんか教えてたまるか!!

もし、日本国民がせめて香港くらい英語教育がされていれば・・・・・

今ごろ、竹村健一もイギリスやアメリカの新聞を手にして、
「日本の常識は世界の非常識」

なんて“デカイ顔”していられない。
もう、“報道2001”首んなっちゃたけど(笑)。

外交の世界も変わったろうなあ・・・・・
おそらく日本商人の商魂、それこそ本当に世界一になっていたかも知れない。

音楽、ロックだって「英語」で楽曲できればマーケットは英語圏全土。
矢沢永吉だって、桑田圭介だってなにもあんな「英語訛り」の「日本語」で歌わなくても、
今ごろは世界のトップスター。

戦後60年以上過ぎて、いまだアメリカ様の占領から解けない・・・・・
夕べも、今日も、米軍のジェット戦闘機の五月蝿いこと。

こんなことならあの時、アメリカ合衆国の「51番目の州」になっていた方がよかったかも知れませんね(笑)。
そうすれば今ごろ、日本州知事がアメリカ合衆国“大統領”に選出されていたかも知れない・・・・・・

“オバマ氏”じゃあなくて“小浜氏”も絵空事じゃあなかったかも知れない・・・・・・・

なんて空想してみちゃう日本の英語教育四方山話。
  


Posted by 昭和24歳  at 21:04Comments(0)

2008年05月08日

もういくつ寝ると・・・・・

和風“サラダ記念日”

ただ生まれちまっただけ。

人間、結構シブトイもんですね・・・
オイラなんて、生まれたばっかりの時は「育つかどうか」って云われてたらしい。

オフクロは、おいらを産むと直ぐに、流行り病の「脊椎カリエス」で寝たきり。
親父は38で、シベリア帰りの大日本帝国陸軍兵士。農家だったが覚えがあんまりない。
もっとも、お袋がそんなんで、半年もしないうちに、叔母の家に「養子」に出された。
叔母夫婦には子供はなく、当然「乳」も出ない。
粉ミルクは「配給」で、街中だったが当時は「ヤギ」を飼ってて、ヤギの乳で育ったらしい・・・
それで、紙の本が好きなのかも知れない。

もちろん、食糧難・・・
大きくなって、兵隊さんになって「お国」の為に尽くすわけでもないのに、別に産めよ増やせよでもないのに・・・・・・
向こう三軒両隣、子供が6人居ようが、7人居ようが・・・
あの時代、下手をすれば10年近く横丁のオカミさん、腹を膨らませていた。
要するに、何の目的もなく、ただ「生まれて」来ただけ。

そりゃあ困っただろうよ・・・
食う物はない、着る物もない、住む所だって戦災の跡。
それでも、父ちゃん母ちゃん強かで、戦後の混乱どっこい、何人生まれようが可愛い我が子。

敗戦国ニッポン、奇跡の復興!!
別にこの国、ニッポンが頑張ったわけじゃあない。
そこいら中で、戦争をしてくれたお陰で工場という工場が繁盛した。
奇跡でもなんでもない・・・
アメリカさんの云う通り石炭を掘って、鉄を作って、爆弾を作って。
敗戦から、20年世界中で「戦争」ばっかり・・・お陰でこの国は火事場泥棒と同じ。
集団疎開が終わったと思ったら、集団就職。
繊維工場も「フル稼働」で、包帯、軍服、落下傘用の生地作り。
朝鮮戦争、ベトナム戦争・・・日本は丁度いいアメリカの町工場。

それが、そろそろ草臥れてきたんじゃあないの。
それが証拠に、戦後、20代、30代で代議士になった「悪たれ」、みんな死んじまった。

一人残して・・・平成の大勲位。

そもそもが、アメリカ人に言わせれば、日本は「敗戦国」。
そんな国が「経済」も糸瓜もない。

「誰のお陰だと思ってるんだ」だろう。

「下手なこと言いやがると、また原爆落とすぞ」なんて脅されるのが関の山。

北朝鮮だって、韓国だって、中国だって、台湾だって・・・日本に「勝った」と思ってるんだ。
事実そうだけど。

そうだ、おいらの国は「敗戦国」なんだ。
そう思って、謙虚にもう一度、声を大にしてこの国に言わしめないといけないね。
贅沢は敵、欲しがりません勝つまでは・・・
あの頃は、みんな継接ぎだらけの服、下駄に足袋、シモヤケ、アカギレ、蓄膿、耳垂れ、トラホーム・・・
ハゲに、イボ、田虫とデキモン問屋。

それがいつの間にか高層ビルに、高速道路。別荘、リゾート、ゴルフにマンション。
いつか罰があたらない方が可笑しい・・・
いい加減で、目を覚まして、「豊かな老後」なんて欲をかいちゃあいけないね。
一世代前の子供達は、アメリカさんの焼夷弾、原爆で焼け死んじまったんだから。
生き長らえた、戦災孤児の事だってとっくに忘れてる。

もう一度・・・・・

「終戦記念日」なんて、嘘言わないで。
「敗戦」、鎮魂の日と肝に銘じたほうが良いね。

そりゃあお国は決まりが悪いだろうよ(笑)。
だいいち、“現人神”からして嘘八百並べ立てての“神州ニッポン”・・・・・
ついこの間まで丁まげ結って黒船来襲にビビッタ“サムライ国家”が見よう見まね、手取り足取り、セコハン軍艦での日清日露戦争。

まあ、それにしたて間が悪い。そういうことなら彼の国だって“神州”・・・・・
なにせ、何から何までが「“神様”の言うとおりおべべべのべのべのまた明日」のキリスト様の御国。

神様の言いがかりじゃあ、ニッポン国なんかよりは相当の筋金入り。

さて、最近矢鱈と祝日の多いこと・・・・・

だから、もう一度、ここいらでわがニッポン国の『8月15日』は“命日”でもあり、新生ニッポンの“元旦”。
全てを休めて、国民「考える人の日」とでもするべきじゃあないの?

食糧問題も、戦争と平和も、嘘から出た真の環境問題も、
そうそう、それに昨今の親殺し子殺し、近親者同士の殺人のことも・・・・・

まあ、国民に考えられちゃったりしたら、御国、政府は考えさせられちゃうだろうけど・・・・・・

和風“サラダ記念日”
  


Posted by 昭和24歳  at 13:53Comments(0)

2008年05月07日

がらがらポン

朝鮮“民主主義”人民共和国

そのどこが民主主義か・・・・・

つまり“民主主義”とは“その”程度のものである。

さて、近頃騒がしい“政界再編”、その『がらがらポン』とかが喧しい。

ところで、この国にはその“がらがらポン”が二度ほどこれまでにあった・・・・・
昭和20年代の吉田茂官僚政党と鳩山党人派政党の“がらがらポン”、そして平成の実質“田中軍団”跡目相続“がらがらポン”。

戦後、米軍占領政策下での赦された“国会”の“がらがらポン”はまさに闇なべ状態。
占領軍による戦中政治家、軍人の巣鴨プリズン拘留と特権階級の公職追放で、
あわよく難を逃れた特権者が俄仕立て、所詮が占領軍の顔色を窺っての“新党ブーム”だった。

旧軍隠匿物資、不当財産やら、戦勝国、米ソの秘密資金がその政党軍資金・・・・・
まあ、敗戦、占領下でいわれる「お国のため」、「国家国民のため」なんてあろうはずもなくそれらの私利私欲、明日なき時代正直それは“人情”。
結局、戦時、皇国のためにとかき集めた埋蔵金、占領軍に露見した分を除きそれは国民に返還されることなくどこかに消えた。

細川護煕の“日本新党”、武村正義の“新党さきがけ”、実質小沢党の“新生党”・・・・・これら“新党ブーム”。
どっこい、それは『自社』の“二大政党時代”ではなかったか。
そこで起きたことといえば、政官財の汚職構造、そして官官接待やら税金のちょろまかしの国も地方も“裏金騒動”。
まあそこでの“ブーム”だからその後、太陽党だの新進党だの、自由党、保守党等々、まさに「ごっこ」の様が“がらがらポン”だった。

なんのことはない、時に自民党最大派閥“田中派”の“派内抗争”で実質“竹下派”と“小沢派”の田中派跡目相続争いでしかなかった。
しかもそれは謀反による、異形の将軍が病魔に臥しての・・・・・
福田派(安倍派)、宮沢派、河本派等々はまったくの蚊帳の外、その“がらがらポン”の“がらがら”にさえ入れてもらえなかった(笑)。

そして平成の“がらがらポン”ですか(笑)。

さびれた商店街の歳末大売出し・・・・・
もちろん“さびれた商店街”大売出し、それも万度の閉店セール、なんたって“売りモン”なんてない。

今の自民党に“売りモン”ありますか?
今の民主党に“売りモン”ありますか?

煮ても焼いても食えそうもない、細川新党ブーム時代の田中軍団新兵やら、マネシタ政経塾生やら、倒産、日本社会党の、それも二世ばっか。

「―――――その代わり、政府はスポンサード・ガバメントであり、総理は財界のちょうちん持ちで男メカケである」
これは故・青島幸男元参議院議員都知事の参議院予算委員会質疑・・・・・
佐藤栄作総理大臣に対しての「“政治資金規正法”を厳密に政治家に運用されたら・・・・・」云々での一節。

昭和46年当時の話だが、それは今も全く変わることはない。
それどころか、財界からも頂戴し、国民からは“政党助成法”、立法府をいいことに法律まで作って政治家の“ポケットマネー法”。
その政党助成法からなる“政党交付金”314億円を国会議員“723人”で山分けしている(共産党9人分は拒否)。
なんとその額、議員一人当たり年間約“4600万円”・・・・・
歳費、諸手当と併せたら、議員一人に年間約“8000万円”からのお手当てが国民から。
その他、財界、労組から、因みに公明党はその逆でその支持母体のご本尊に国民からのお手当てをお布施しているとか。

そんな連中の“がらがらポン”だが・・・・・

その“がらがら”から出てくる玉には當玉なし、当然、場末であろうがなかろうがその“がらがら”を回すのは選挙民、国民。
“がらがらポン”はスカ、ハズレ、そんなのがまた寄合い所帯で看板塗り替えただけで、精々、いいとこ2、3年で元の木阿弥・・・・・

それが、なんの因果か今の“自公”。

そう言えば“自自公”なんていうのも、 “自社さ”なんていうのも、“日本新・新生・新さ”なんていうのも・・・・・・

まあ、“民主主義”には、『朝鮮“民主主義”人民共和国』なんていうのもある。

さて、この国ニッポンはいったいどんな“民主主義”国なんでしょうかねえ?

中国のことを笑えない一国二制度ではなかったでしょうか(笑)。




ところで、コキントー中国国家主席来日しましたね・・・・・
「パンダを2頭貸与」だそうです。

レンタル料、一頭、年間“1億円”だとか。
しかし、中国国家主席が来ると言うのに日中友好の記しの“りんりん”なぜ死んじゃったんでしょうか。
人間の年なら“70歳”だとか・・・・・福田首相より若いじゃあないですか(笑)。
それに、後期高齢パンダでもないし、何で死んじゃったんでしょう。

“りんりん”、延命処置は「了不需要!」とでも言ったんでしょうか・・・・・

毒餃子、油田問題、チベット問題、わが郷土の誉れ福田首相の支持率19%!!

まさか“りんりん”・・・・・・
最後のご奉公じゃあないですよね。
  


Posted by 昭和24歳  at 09:22Comments(2)

2008年05月05日

子どもの日に・・・・・

僕の始まり

それはどんな時代だったんだろうか・・・


僕の“お誕生”・・・・・昭和25年と言うその瞬間、その時。

僕は昭和24年2月11日生まれの丑年。戦争が終わって4年が過ぎた頃の時代・・・・・
父や母は僕の誕生をどんな思いで見つめていたのだろうか。その父も母も今はいない。
父は昭和18年召集され敗戦後シベリアに抑留。そして昭和22年冬に復員したと聞いている・・・・・

長い長い僕の始まりの瞬間だ。
未だ、坂の途中だが・・・
いつ終わるか、もうそう遠くはない明日がそこにあるような。

父は昭和40年11月、享年53歳・・・・・
母は平成15年11月、85歳で逝った。
父は大正元年の子年、母は大正六年の巳年。
青春を昭和恐慌と戦争に翻弄された辛く、哀しい時代だったのではないか・・・・・
父は戦中に妹二人、弟一人、そして従軍中に三女を亡くしている。
そんな時代の延長に僕等は生きていることを自覚しなければいけない。
ここにつづく時代のためにも・・・・・




叔母は昭和20年に亡くなっている。
女学校を出て鉄道の車掌をしていたと父が言っていた。
21歳の時に流行り病で急逝した。 やはり青春時代はなかったのではないだろうか・・・・・
きっとどこかで生まれ変わって幸せになっているにちがいない。













父の妹夫婦と叔母。抱かれている赤ちゃんは僕の従兄、昭和15年生まれ。
実家の縁側での一葉。
坊主頭に詰襟の学生は僕の叔父、昭和16年に流行り病で逝った。真珠湾攻撃、日米開戦の一年前の冬。
どんな夢を見ていたのだろうか・・・・・










父の妹二人とその長男長女。
右に立っているのが僕の養母左が叔母。
従兄が兵隊さんの帽子を被っている・・・・・
上の写真で抱っこされている赤ちゃんが、昭和19年4歳だろうか。
妹のほうは18年生れのお宮参りの記念写真。

叔母は二人の子どもを遺して昭和21年に亡くなっている。
従兄妹・・・・・ずいぶん辛い思いをしたと聞いている。














昭和18年・・・・・
“銃後の守り”実家の庭先。

両端が僕の養父母。
そして次姉を抱く母とお祖母ちゃんと長姉、東京の叔母とおんぶされる従兄(次男)、叔母と従姉、一番上の東京の従兄。

なぜか祖父は写っていない・・・・・・
父は既に出征していた。
左端、養父は国鉄の職員。何でも疎開に同行したのだと言う。

この中で存命は養母と従兄妹たちだけである。

59回目の“子どもの日”に・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 08:45Comments(0)

2008年05月03日

東小学校同窓会

高崎市立東小学校昭和35年度卒業同窓会

同窓会の案内状がきた・・・・・
前回が平成14年5月5日、子どもの日の同窓会だったが今度は6月7日。


“ぴかぴかの一年生”入学式のあとの記念撮影。さて僕はどこにいるでしょうface01

そうだ、もうみんな“還暦”のお年頃。昭和23年、24年生まれ。
因みに僕は昭和24年2月11日生まれ、いわゆる“早生まれ”というやつで、その還暦とやらは来年の2月まで持ち越しとなる・・・・・

その同窓会は今回で3度目、その意味では人生の節目、そんな時期を見計らって同窓会幹事各位にはご足労いただき感謝する次第である。
6年ぶりの同窓会。前回の同窓会では僕が“ぴかぴかの一年生”だった時の担任のハナ先生も御主席され、
その時のご挨拶、なぜか説教の趣。そういえば、ハナ先生は怖かったなぁ(笑)。

昭和30年4月入学・・・・・・

早生まれだった僕は保育園のつづきのようなもの、ハナ先生にはよく叱られた記憶がある。
やはり、早生まれだったY君とA君、2月、3月生まれでいたずらが激しかったようである。
なんでも“ぴかぴかの一年生”当時のぼくは、母が言うには・・・・・・・
ハナ先生に叱られるとすぐに家に帰ってきてしまったらしい。
その度に、母が学校に連れ戻したり、ハナ先生がむかえにきたり、とにかく世話の焼けた“ぴかぴかの一年生”だったらしい。

僕の家は東小学校の裏門のすぐ近くにあった・・・・・・
当時は正門と裏門があって、高砂町、山田町あたりの生徒は裏門を登校に使っていた。
しかし、僕が入学するちょうど一年前の昭和29年4月の東京で“鏡子ちゃん事件”という、
入学したばかりの女の子がトイレで殺されていた事件・・・・・
そんな事件のせいで、何かの行事の時以外はその裏門は厳重に閉鎖されていた。

当時の東小学校の裏門のところは2年生の校舎と渡り廊下でつながる薄暗いトイレがあった。
そんな事件のせいか、みんなそのトイレに行くことを怖がっていたことを思い出す。
とにかく戦後まだ10年、世の中は騒然としていて、そんな幼児、児童を狙った誘拐事件、殺人事件が多発していた・・・・・

正直、21世紀、今日も物騒な世の中と言われるが、当時はその比ではなかったのではないだろうか。

僕が小学校にあがる一年前に、おじいちゃんが亡くなった・・・・・・73歳。

その一回忌の準備で母やおばあちゃんと買い物に行くことが決まっていた日のことだった。
当然僕は学校にいるはずだったが、おばあちゃんがきているのでとにかく早く家に帰りたかったのか、
早引き、ハナ先生になんて言ったのかは憶えてないが、まさか黙って教室から抜け出したわけでもなかったとは思うが・・・・・・
当然、裏門は閉鎖されているので、当時の東小の生徒なら憶えていると思うが正門を通らずに抜け道の路地が校庭の西片、弓町側にあった。

僕は、早引きに喜び勇んでその路地からまだバラス道だった東二条通に飛び出した。
その先のことは憶えてはいない・・・・・
大型バイクに轢かれてしまって左足骨折全治3ヶ月。何でも東小学校ではじめての交通事故児童だったとか(笑)。
当時のことだから救急車などはなかったのだろう、多分、そのバイクの人が家まで抱いて連れて行ってくれたのか・・・・・・
気づいた時は、当時は山田町にあった大原病院の病室にいた。

大原病院では完治は無理と言うことで前橋の関口整形外科へ、そこで接骨手術・・・・・
とにかく散々な“一年生”だった。多分ろくに学校へは行ってなかったのではなかったか。

ところで、僕はどうも“骨折”に縁がある・・・・・・
その、一年生の時の“骨折”から数えて3度、腕、鎖骨と入院生活をしている。
「二度あることは三度」で、そろそろ還暦、この先はもうないだろうが・・・・・・

僕は勉強は嫌いだったけど学校は好きだった。
多分、その一年生の時の長期欠席の他は休んではいなかったと思う。

一クラス45人くらいだっただろうか、それが4クラス。
一学年180人、全校で1000人以上はいた昭和30年当時の“高崎市立東小学校”。
僕が入学する前々年、その校舎はパンク状態。講堂も教室代わりに・・・・・・
その年に、城東小学校が開校して江木、東町方面から通学する生徒が引越ししていったとか。

そんな、高崎市立東小学校・・・・・・
僕の長女、次女も高崎市立東小学校卒業だ。
しかし、時は変わって昭和57年、一クラス25人ほどの学年、単学級・・・・・
全校でも児童生徒数は180人を欠けていた。

噂では、ここ数年、東小学校近隣は再開発でマンションが林立、児童生徒数は持ち直してきているとか。

光陰矢のごとし・・・・・
昭和30年代から平成20年へ“タイムスリップ”!!

さて、その“高崎市立東小学校昭和35年度卒業同窓会”、楽しみである。


  


Posted by 昭和24歳  at 16:17Comments(2)

2008年05月02日

不当財産取引調査特別委員会(議事録)

不当財産取引調査特別委員会(議事録)

昭和22年3月29日、
衆議院決算委員会で日本自由党の世耕弘一代議士は・・・・・・
(現自民党参議院議員世耕弘成は孫)

「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と発言。

「不当財産取引調査特別委員会」が調査を開始したところ、
実業家の中曽根幾太郎が隠退物資である「軍服」を闇ルートに払い下げて莫大な金を稼いでいることが判明した。
その金の一部が大物フィクサーである辻嘉六に渡り、
自由党の鳩山(その後、総理大臣)、河野一郎らに現金20万円、饗応で数十万円の接待をしていたことが判明した。

日銀の地下倉庫にこれらの資産が隠されていたという事実はあった。
当時のGHQ経済科学局は日銀の地下金庫を捜索しダイヤモンドや貴金属類を押収している。
この時、押収したダイヤモンドを隠し持って米国に帰国した経済科学局の中佐が逮捕された事実もある。
が、これらの押収した物資の全体像は今でも謎になっている。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

衆-不当財産取引調査特別委…-14号 昭和23年04月13日

・田中(角)委員
証人にちよつとお尋ねいたします。
辻嘉六さんの支配人の笹本さんがあなたの事業を援助しておられたということを御証言になりましたが、
その笹本さんは兒玉機関との御関係があることは御存じでございますか。

・杉山証人 
全然知りません。兒玉さんのお話は聞いておりますが、関係があるかどうか、
それはお話を聞いただけで、私兒玉さんに会つたこともございませんし、笹本さんとどういう関係にありましたか、それは知りません。

・田中(角)委員 
あなたの会社が戰時中と戰後において、笹本氏の援助を得て事業をやつてきたということであれば、事業の内容田――――――――
―――――――いわゆる兒玉機関の資産処理という問題に関連をもつているから、御明言できないのではありませんか。

・ 杉山証人 
そういうことはございません。兒玉さんのことついてはお話は承つてけれども、一度もお会いしたことはございませんし、その関係は私は全然存じません。

・田中(角)委員
緑産業とあなたの会社との間には関係がございませんか。

・杉山証人 
緑産業とは関係ございません。

・ 田中(角)委員 
芝浦方面に、あなたの方と、終戰前から終戰後に続く事業関係はございませんでしたか・・・・・・

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

>衆-不当財産取引調査特別委…-14号 昭和23年04月13日

“田中(角)委員”とは、昭和23年04月13日、時に30そこそこのちょび髭を生やした後の“異形の将軍”、

第64,65代内閣総理大臣“田中角栄”その人。

不当財産取引調査特別委員会は、終戦のドサクサに紛れ、
横流しされた軍需物資や臨時軍需費の支払、官有財産の払い下げ、政府補助事業などの調査を通して、政官界の粛正を図るべく組織された。
そこでの民主自由党衆議院議員田中角栄代議士、『衆-不当財産取引調査特別委』の発言(議事録)である。

国民から全ての資産、生命をも巻き上げての敗戦、占領。そこにあって今日、時価換算で“7兆円”とも言われる旧軍機関の隠匿物資、
そして日銀金庫のダイアモンド等貴金属の換金にからむ“不当財産取引”。

今日、国民の困窮を他所に毎年200兆円からの特別会計歳入、一切明らかにされないその徴税実態。
漏れ聞く中では予算消化できずにある年間“十数兆円”のアマリが、

今日こそ、“隠退蔵物資”、“不当財産取引調査”委員会を開くべきではないのか。
戦後、60有余年、政党名こそいたずらに変遷させるがその実態はなんら変わらず、官僚を頂点に国政に巣食う“団塊”。

道路が、防衛が、厚生労働が、文教が、たった一握りの特権階層に収奪され続けている。
時代時代、事件事件に顔を変えるがその元は代わることがない。

省庁再編がその象徴だったのではないか・・・・・

あの時も、政官財の“汚職オンパレード”だった。
大本の大蔵省を財務省とし、運輸と建設を混ぜて国交とし、厚生と労働をぐちゃぐちゃにして厚労、文科も文教汚職、科学技術も原発汚職・・・・・

実に都合のいい、未だ国連“敵国条項”下の被占領国家の姿がそこにある。

“敵国条項”
この条項は敵性国家と見なした国に対しては「安保理の決議なしでも軍事制裁を科してよい」という恐ろしい内容だ。
つまり“米軍”の存在は“安保”などではなく日本国を監視する目的なのだ。
したがって当然その費用は被占領国の負担となるのは当たり前なのである。

今こそ偽装民主主義国家に国民の意思を示す時ではないのか。
そして現政府は国民に対しその“戦中・戦後”を清算せよ。そして国民はそれを政府に堂々と求めるべきだ。
とくに、戦中生まれ、戦後育ちの“後期高齢者”の国民は。
  


Posted by 昭和24歳  at 18:46Comments(0)

2008年05月01日

“巧言令色、鮮矣仁”

“四十不惑”「四十にして惑わず」の中国の偉いお坊さんじゃあなくて、思想家、孔子さんのお言葉・・・・・

“巧言令色、鮮矣仁”

つまり、

「うまいことを言うやつにろくなやつはいない」


昨日の“朝ズバ”での伊吹文明自民党カンジチョー・・・・・

あれやこれやと“巧言令色、鮮矣仁”を見せていた。

「東国原知事がお困りになるようなことはできない」

と、オツムはとっくにだがそろそろメッキがハゲはじめてきたまさに“ツーツーレロレロ宮崎県知事”に“巧言令色、鮮矣仁”がしきりだった。

早い話、ガソリン暫定税率は再可決、復活させるとかである。

レギュラーガソリン1㍑=150円、いや、160円・・・・・
限りなく200円に近づくや否や。

そんなことは知っちゃあいない、とにかく国民のために“道路”を造り続けるのだ!!
10年で62兆円のところを3兆円も減らして“59兆円”にしたんだから。

と言うことなのか、それでも国交省お役人、あらたに道路特定財源のつまみ食いが発覚・・・・・

「それはまずい、そういうことは改めなくてはならない」

伊吹文明自民党カンジチョー“巧言令色、鮮矣仁”。まったくである。

それにしても政府、町村カンボーチョーカンは、

「岩国2区が民意とは認めない」

これには正直笑えました、大笑いです。
勝てば官軍“民意”なんでしょうけどね。フザケタやつです二世議員というのは。
おっと、わが郷土の誉れも二世議員でしたね。わが郷土の誉れ、内閣総理大臣がフザケタやつかどうかはそれぞれですが(笑)。

しかし、少々古い話ですが「年金100年安心」のあの公明坂口厚労大臣はどうしたんでしょうか?

「これで、みなさまの年金は“百年安心”です」

なんて、目を三角にして白目をむいて無気味な笑を浮かべ広い額で言ってたけど。
それがいつの間にか、無茶苦茶な社会保険庁の年金記録管理実態が暴かれ・・・・・
あと何年かでその社会保険庁も解体、“日本年金機構”とかの厚労省管轄の公法人が2010年にだとか。

たしか、坂口厚労大臣は小泉内閣、そしてその舌の根も乾かないうちに、

「私の内閣で最後の一人まで、最後の1円まで解決します」

の内閣が決めた社会保険庁解体とその日本年金キコー・・・・・

どうしょもない社会保険庁を解体、そして新しい日本年金キコーを創るにあたって、
一体いくら年金からお金を抜くつもりなんだろうか?
今回の“年金特別便”だけでも印刷代と郵便料金だけで10数億円、
それにその社保庁の無茶苦茶の尻拭いにアルバイトやら電話回線やらで今後一体いくら?

しかし“百年安心”とか“巧言令色、鮮矣仁”だった坂口厚労大臣・・・・・
自分の言葉に、恥ずかしくないんだろうか(笑)。

まさか、

「事務方が書いた上を読んだだけなんで、フフフフ・・・・・」

だとしたら・・・・・・

はっきり言って、道路も新幹線も終着から造り始めるといった姑息さ。
もちろん、59兆円の分配先はすでに決まっているから、もしその約束を反故にしようものなら、
政治生命どころか、人間の生命の方も危ないからどうしても必死。

50年後には日本人の人口、8000万人台・・・・・

つまり今より4000万人から減るんだから、地方の過疎地、限界集落地には人はいない。
それどころじゃあない、ほとんどの都市にゴーストタウンが・・・・・

高速道路にはぺんぺん草、新幹線も空気を運ぶだけ。

それでも、将来のために道路建設は大事とは・・・・・

それでは将来の日本国民にツケを遺さないためとかいうけど、そのツケを遺し始めてもう30年余が経っている。
国地方合わせて1,200兆円の借金“巧言令色、鮮矣仁”・・・・・

美味しいことばかり言って国民をいつまで騙し続ける・・・・・つもり?


  


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