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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2007年12月18日

銃社会

日本人が知らない世界と世界が知らない日本。

北欧のじつに民度の高い、教育水準の高い“フィンランド”で高校生が銃乱射。

知らなかった・・・・・
フィンランドでは15歳以上になると「銃の所持」が認められる。警察への届出制とか。
その“短銃乱射”の高校生は、ちゃんと警察に届出をして“拳銃”を購入していたとか。

そして先日、長崎県佐世保で「散弾銃乱射事件」が・・・・・
この日本では“猟友会”なる組織、あるいはオリンピック競技にもある“クレー射撃”等の組織での「銃火器」の所持が、
所轄の警察への届出、許可で許されていると言う。

米国ではよくニュースとなる「銃乱射事件」。
12月5日、米国中西部のとある町のショッピングモールで若い男が「ライフル乱射、8人死亡」。

ふと思った・・・・・
それも「民主主義の一つの形」ではないのかと。
アメリカしか知らないがそれもLAの、小さな町の雑貨屋のような所で拳銃からライフル、
それも結構大きい物までが平然と売られている。
もちろんショッピングモールにも「銃専門コーナー」がありそこでも大量の銃が。

僕など最初は「モデルガンショップ」かと、見間違うほどのそれは気軽さで売られている。
何度かそんな「銃専門店」に行く友人に付き合った・・・・・
そしてどこの町にも「射撃練習場」があるという。「マイ拳銃」で練習をすると言うのだ。
なんどかそんな「射撃練習場」に行く友達に付き合いその“拳銃”を撃った。
息子娘を連れての「射撃練習」をする親子、しかも少年少女・・・・・・

これもひとつの「民主主義」の“形”なのかなぁと思ったりした。

国家が民衆に「銃火器」の所有を容認する。
あの永世中立国家“スイス”、米国のそれとは違うが、
人口746万人、徴兵制、民間防衛として「105万人」、ほぼ全戸の民家に国家防衛としての“銃火器装備”がされている。

国家自らが法律でそれを“権利”として保障する・・・・・
たしかに、「全国(米)ライフル協会」の存在とその業界、政界と言う関係はあるにしろ、
その国家にとって、もっとも危険なことは「大衆の銃(武力)装備」ではないのか。

例えがいいかどうかは分からないが、この日本の「刀狩令」。
その戦国時代は農民も戦には「兵士」としてかり出されたため、農民も常にいわゆる“武器”を所持していた。
全国統一に向け平定のためにそうした民衆の武装解除令・・・・・

結局、突き詰める所、そこに言う「民主主義」とは“民”にも武装を許す国家体制。
もちろん、その前提として「警察・軍隊」といった“国家側”の安全装置はあるが、時あらばそんな「民衆」が“武装蜂起”しないとも限らない。

なにも、銃火器の、密造、密輸、窃盗などの犯罪を犯さなくとも、法律に則って「銃火器」の“武装”ができる。
一見、屁理屈のように聞こえるが、“全米ライフル協会”のスローガン・・・・・・

「人を殺すのは人であって銃ではない」

は、正鵠かも知れない。

はたして、そんな「アメリカ的民主主義」がこの国に生きるのか(笑)。

その意味での東欧の民主化も、ソ連邦の崩壊も、それはけして平和的なものなんかではなく、
国家に抑圧され続けた末の叛乱、暴動、「民衆の武装蜂起」。そしてついには警察も、軍隊も「民主」になった瞬間・・・・・・
それが、反政府叛乱、動乱、騒乱ではなく「正義」になる。

日本は「銃社会」ではないが、このところの世相では「刃物社会」を呈している。
通り魔的殺人、隣人殺人、尊属殺人、ほとんどがその凶器は「刃物」。
武力としての“刃物”、刀剣はその所持に所轄の警察署への届出、許可申請が必要だが、
昨今のその“刃物”はどこの家庭にもある道具で、つい先日、ここ高崎でもその道具“鉈”(ナタ)での夫婦間殺傷事件があった。

かの敗戦時も「時の政府」がもっとも恐れたのは武装解除される「兵士の叛乱」ではなかったか。
しかし、その兵士も元を正せば「民衆」で、ほとんどが農民であったり、サラリーマンであったり、学生でしかなかった・・・・・
いかに、かの大戦でのこの“国家”が狂気の沙汰で多くの家族、同朋を死地に至らしめたことを知りつつも、
民衆、平民はそこにいう「革命」の勇気はなかった。あの、死んだも同然の社会状況の中にでさえ。

残念だが、そんな中での僕らの言う「民主主義」とは、この国のそれはただの「うわごと」なのかも知れない。
だいいち、国家が“民主主義”などと言うはずがないからだ・・・・・・
年金問題、薬害肝炎問題、公共事業等々の今日の政治状況でも国家、「政府と国民」いつも対立しているではないか。

そんな「民主主義」、武装、暴力で勝取る勇気がなければせめて“紙爆弾”投票で政権転覆させるしかあるまい。
そもそも「権利」なんて求めるものではなく「奪い取る」ものなのではないのか。

その勇気さえ失せているのなら・・・・・・
鼻クソでもほじくって惰眠に過ごすしかあるまい。

  


Posted by 昭和24歳  at 12:36Comments(0)

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