2010年05月05日
ソレゾレの「たこ焼き」。
ソレゾレの「たこ焼き」。
なんで「たこ焼き」には爪楊枝が2本 ???
(正解は明日のこのブログで)
>明石焼きと病院の人間模様。
>それが私のたこ焼きです。
さすが、海なし県の群馬、高崎ですから・・・・・・
そもそも「たこ焼き」の存在を知ったのは結構いい年をしてからだと。
まあ、わが家の場合、父親が遠州は沼津が生国だったものですから魚の干物とか、ときに「タコ」なる奇妙な生き物も・・・・
小さな頃です。やはり父親がそんなわけで「魚」には煩かったもんですから、
「ここの魚は食えねぇずら」
で、食卓に上がるオカズの魚はほとんどが干物でした(笑)。
スルメなんかも、鼻からああいう平べったい形をしたまま泳いでいるとばかりと子どものころは思っていましたから。
まあ、初めて海を見たのがその沼津の伯父の葬儀の時で、6歳・・・・・・
まっ、それ以前にも赤ん坊のときには何度か行ってるらしいんですけど、記憶にありませんか。
昔の東海道線です。
多分、小田原駅だったと思いますが冷凍ミカンを買ってもらったかすかな記憶が・・・・・
小田原駅を出て、熱海を過ぎると丹那トンネル。その丹那トンネルには窓があってその窓から太平洋の波しぶきが見える。
その時の驚きと、なんとも言えぬコワさは今でも鮮明に脳裏に焼きついています。
怒涛のような打ち寄せる波のうねりと轟音・・・・・
そして、そのまま引きずられてしまいそうな引き潮。
そんな「海」はこの年になった今でも畏怖を感じてしまいます。
そんなわけで、海では泳げません。コワいというか畏れ多くて・・・・・
生命の故郷、「母なる海」。
ほとんどが海岸線をもつ日本列島に住む民ですけど、僕の母などは父と結婚するまで海を知りませんでした。
僕ら世代でも、子どものころは近い親戚でも海辺になければ小学校の修学旅行、「江の島鎌倉」で・・・・・
初めて海を見たという生徒がほとんどでした。
宿泊先は逗子の浜辺の旅館だったんですけど、その波の音でほとんどの寝付けませんでした。
「海」
海を日常に見て育つ、コレは人間にとって一つの知恵の源泉ではないかと思っています。
っていうことは、「海を見ずに」育った人間はどこか欠けている・・・・・
あの海の匂い。
そして時には静かに心に染みいるような音、そしてときには天が怒り狂ったかのような轟音。
荒れた海は天地が重なり、静かな海はどこまでも碧く、その地平線は空に届くとばかりに・・・・・
ソコにはさえぎるモノがない。
桂浜から遠い世界を見つめる坂本龍馬の心境が・・・・・
まあ、「海なし県」です。そのおかげかここは気候による天災がほとんどない。
いやっ、ここ西上州、高崎に至っては全くない・・・・・
っていうことは、ソレへの警戒心もなければいわゆる祭事、信仰の対象にもない。
つまり、生命という本質に何かが欠落している。
まっ、「のんびり」と育つ・・・・・
典型的な「一国平和主義」的人間の形成かも知れません、ここは(笑)。
海を見て育つのと、ソレを全く知らずに育つのでは人として大きな違いがどこかに生じる。
「判断力、決断力」
とくにそのイザという時に求められる決心に大きく影響する・・・・・
まあ、全てじゃあないでしょうけど。
ソレは僕だけけかも知れません・・・・・
なぜなら、僕の娘たちは3人とも海で平気で泳ぎますし、ここで生まれ育った家内の父は海軍兵だったし、
そんな家内も水泳は海でへっちゃら(笑)。
こんなことを書くのも、6歳の時初めての海でコワイ思いをしたトラウマかも(笑)。
基本的に「金づち」です。川でも泳げません・・・・・
絶対安全のプールでかろうじて。
昨夜は「マルちゃんのあんかけ焼きそば」でしたヤオコー特売138円(X3人前)X2。
ところで、「それぞれのたこ焼き」ですけど、
僕の「初タコ」はいつだったんだろうか、初めて大阪に行った万博の時だったんだろうか・・・・・
新幹線「こだま」のビュッフェで。
ソレゾレの「たこ焼き」。
なんで「たこ焼き」には爪楊枝が2本 ???
(正解は明日のこのブログで)
>明石焼きと病院の人間模様。
>それが私のたこ焼きです。
さすが、海なし県の群馬、高崎ですから・・・・・・
そもそも「たこ焼き」の存在を知ったのは結構いい年をしてからだと。
まあ、わが家の場合、父親が遠州は沼津が生国だったものですから魚の干物とか、ときに「タコ」なる奇妙な生き物も・・・・
小さな頃です。やはり父親がそんなわけで「魚」には煩かったもんですから、
「ここの魚は食えねぇずら」
で、食卓に上がるオカズの魚はほとんどが干物でした(笑)。
スルメなんかも、鼻からああいう平べったい形をしたまま泳いでいるとばかりと子どものころは思っていましたから。
まあ、初めて海を見たのがその沼津の伯父の葬儀の時で、6歳・・・・・・
まっ、それ以前にも赤ん坊のときには何度か行ってるらしいんですけど、記憶にありませんか。
昔の東海道線です。
多分、小田原駅だったと思いますが冷凍ミカンを買ってもらったかすかな記憶が・・・・・
小田原駅を出て、熱海を過ぎると丹那トンネル。その丹那トンネルには窓があってその窓から太平洋の波しぶきが見える。
その時の驚きと、なんとも言えぬコワさは今でも鮮明に脳裏に焼きついています。
怒涛のような打ち寄せる波のうねりと轟音・・・・・
そして、そのまま引きずられてしまいそうな引き潮。
そんな「海」はこの年になった今でも畏怖を感じてしまいます。
そんなわけで、海では泳げません。コワいというか畏れ多くて・・・・・
生命の故郷、「母なる海」。
ほとんどが海岸線をもつ日本列島に住む民ですけど、僕の母などは父と結婚するまで海を知りませんでした。
僕ら世代でも、子どものころは近い親戚でも海辺になければ小学校の修学旅行、「江の島鎌倉」で・・・・・
初めて海を見たという生徒がほとんどでした。
宿泊先は逗子の浜辺の旅館だったんですけど、その波の音でほとんどの寝付けませんでした。
「海」
海を日常に見て育つ、コレは人間にとって一つの知恵の源泉ではないかと思っています。
っていうことは、「海を見ずに」育った人間はどこか欠けている・・・・・
あの海の匂い。
そして時には静かに心に染みいるような音、そしてときには天が怒り狂ったかのような轟音。
荒れた海は天地が重なり、静かな海はどこまでも碧く、その地平線は空に届くとばかりに・・・・・
ソコにはさえぎるモノがない。
桂浜から遠い世界を見つめる坂本龍馬の心境が・・・・・
まあ、「海なし県」です。そのおかげかここは気候による天災がほとんどない。
いやっ、ここ西上州、高崎に至っては全くない・・・・・
っていうことは、ソレへの警戒心もなければいわゆる祭事、信仰の対象にもない。
つまり、生命という本質に何かが欠落している。
まっ、「のんびり」と育つ・・・・・
典型的な「一国平和主義」的人間の形成かも知れません、ここは(笑)。
海を見て育つのと、ソレを全く知らずに育つのでは人として大きな違いがどこかに生じる。
「判断力、決断力」
とくにそのイザという時に求められる決心に大きく影響する・・・・・
まあ、全てじゃあないでしょうけど。
ソレは僕だけけかも知れません・・・・・
なぜなら、僕の娘たちは3人とも海で平気で泳ぎますし、ここで生まれ育った家内の父は海軍兵だったし、
そんな家内も水泳は海でへっちゃら(笑)。
こんなことを書くのも、6歳の時初めての海でコワイ思いをしたトラウマかも(笑)。
基本的に「金づち」です。川でも泳げません・・・・・
絶対安全のプールでかろうじて。
昨夜は「マルちゃんのあんかけ焼きそば」でしたヤオコー特売138円(X3人前)X2。
ところで、「それぞれのたこ焼き」ですけど、
僕の「初タコ」はいつだったんだろうか、初めて大阪に行った万博の時だったんだろうか・・・・・
新幹線「こだま」のビュッフェで。
ソレゾレの「たこ焼き」。
Posted by 昭和24歳
at 04:12
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