2010年04月30日
里見経由室田行き
里見経由室田行き
夏休みには母方のお婆ちゃんちで過すのが決まりだった。
昭和30年代・・・・・・・
農業と万屋をやっていたお婆ちゃんち。
ボンネットバスに揺られて30分あまり、そのお婆ちゃんちは村の入り口にあった。
「発車オ~ライ~」
バスガイドのお姉さんが、
「ギギーッ」
と動き出すバスの折りたたみ式のドアを閉じる・・・・・・
もちろん手動の。
運転手さんは威張るようにして、いかにも重たそうなクラッチを何度も踏みながらギヤを入れ替える。
「ガタッ、ガタッ、ガガーーーッ」
どうも調子が悪そう。
「オーイ、アレーッ」
運転手さんが車掌のおネネさんにそういう。
「お客さま、しばらくお待ち下さ~~~い」
と車掌のお姉さん、そう言いながらクランク棒を運転手さんに・・・・・
運転手さんは機嫌悪そうに、そのクランク棒をボンネットに差し込んで回している。
どうやら、エンジンが点火しないようなのだ。
昭和30年代の話、バスの一台二台何処でエンコしようが車なんかほとんど通ってない。
「ブルッ、ブル、ブルルルーーー、プスン、プスン」
やっとエンジンがかかった。
運転手さん、首に巻きつけた手拭で汗を拭き拭き・・・・・・
「ったく、チキショーメッ」
と、さらに機嫌が悪い。
なにせ、そんなバスの運転手さんの一挙手一投足が、当時、子どもの僕らには「カッコイイ」のだった。
チョイト大げさに言えば、飛行機のパイロットみたいに・・・
そんなら、差し詰め、バスガイドさんは「スッチー」か。
「ぼく~、次降りるんだよ」
バスガイドのお姉さん、本町3丁目を乗る時にオフクロに頼まれていて承知してくれている。
「引間~~~っ、次は引間で~~す」
バスは「ギギギーーーッ」と砂煙を上げながら止まる・・・・・・
停留所の前が、お婆ちゃんちだ。
僕が9歳の頃・・・・・
従兄妹の中で僕が一番小さい、全員が戦中生まれ。
一番上は大学生になっていたので夏休みに会うことはなかった。
それでも、お婆ちゃんちはその頃夏休みともなると10人ほどの従兄妹が集まった。
すぐ上の従兄妹の兄ちゃんが昭和18年生まれだから・・・もう中学に行っていた。
一番チビだった僕はみんなに可愛がられたが、ひとつだけ悔しいことがあった。
それは「アイスキャンデー」を食べさせてもらえないことであった。
♪チリンチリ~~~ン♪
「キャンデー、キャンデー~~~」
と、小父さんが自転車の荷台に水色の箱を載せてる。
「アイスキャンデー」と書かれた幟を立てて金を鳴らしながら。
「ハジメ君、お前は駄目だぞ、オバサンに俺が怒られる」
従兄のマーちゃんは僕を見下ろして釘を刺す。
あの頃は、赤痢やら、疫痢が流行っていて、やたらのもんは僕は食わしてもらえなかった。
とくに、夏の、駄菓子類は「御法度」。
同じ町内の女の子が赤痢で死んでしまったこともあって、
オフクロは従兄妹全員に「御触れ」を出していたのだった。
「食べたいよ~~~」
「駄目駄目、絶対駄目っ、絶対にっ!!」
マーちゃんはお兄さんぶって言う。
実はマーちゃん、僕が唯一の弟分なのである。
しかも、上手そうにアイスキャンデーを舐めながらだから僕にとっては残酷極まりない話だ。
そんなマーちゃんが、偶には電話をくれる。
「ハジメ君、元気か・・・・・・」
って。
マーちゃんにとって僕は、いつまでもあの頃の「ハジメ君」なんだろうな。
マーちゃんの声を聞くと僕は・・・・・
サッカリンの甘い匂いの「アイスキャンデー」を思い出す。
里見経由室田行き
「ボンネットバス」をタイトルを変更、加筆して再掲
夏休みには母方のお婆ちゃんちで過すのが決まりだった。
昭和30年代・・・・・・・
農業と万屋をやっていたお婆ちゃんち。
ボンネットバスに揺られて30分あまり、そのお婆ちゃんちは村の入り口にあった。
「発車オ~ライ~」
バスガイドのお姉さんが、
「ギギーッ」
と動き出すバスの折りたたみ式のドアを閉じる・・・・・・
もちろん手動の。
運転手さんは威張るようにして、いかにも重たそうなクラッチを何度も踏みながらギヤを入れ替える。
「ガタッ、ガタッ、ガガーーーッ」
どうも調子が悪そう。
「オーイ、アレーッ」
運転手さんが車掌のおネネさんにそういう。
「お客さま、しばらくお待ち下さ~~~い」
と車掌のお姉さん、そう言いながらクランク棒を運転手さんに・・・・・
運転手さんは機嫌悪そうに、そのクランク棒をボンネットに差し込んで回している。
どうやら、エンジンが点火しないようなのだ。
昭和30年代の話、バスの一台二台何処でエンコしようが車なんかほとんど通ってない。
「ブルッ、ブル、ブルルルーーー、プスン、プスン」
やっとエンジンがかかった。
運転手さん、首に巻きつけた手拭で汗を拭き拭き・・・・・・
「ったく、チキショーメッ」
と、さらに機嫌が悪い。
なにせ、そんなバスの運転手さんの一挙手一投足が、当時、子どもの僕らには「カッコイイ」のだった。
チョイト大げさに言えば、飛行機のパイロットみたいに・・・
そんなら、差し詰め、バスガイドさんは「スッチー」か。
「ぼく~、次降りるんだよ」
バスガイドのお姉さん、本町3丁目を乗る時にオフクロに頼まれていて承知してくれている。
「引間~~~っ、次は引間で~~す」
バスは「ギギギーーーッ」と砂煙を上げながら止まる・・・・・・
停留所の前が、お婆ちゃんちだ。
僕が9歳の頃・・・・・
従兄妹の中で僕が一番小さい、全員が戦中生まれ。
一番上は大学生になっていたので夏休みに会うことはなかった。
それでも、お婆ちゃんちはその頃夏休みともなると10人ほどの従兄妹が集まった。
すぐ上の従兄妹の兄ちゃんが昭和18年生まれだから・・・もう中学に行っていた。
一番チビだった僕はみんなに可愛がられたが、ひとつだけ悔しいことがあった。
それは「アイスキャンデー」を食べさせてもらえないことであった。
♪チリンチリ~~~ン♪
「キャンデー、キャンデー~~~」
と、小父さんが自転車の荷台に水色の箱を載せてる。
「アイスキャンデー」と書かれた幟を立てて金を鳴らしながら。
「ハジメ君、お前は駄目だぞ、オバサンに俺が怒られる」
従兄のマーちゃんは僕を見下ろして釘を刺す。
あの頃は、赤痢やら、疫痢が流行っていて、やたらのもんは僕は食わしてもらえなかった。
とくに、夏の、駄菓子類は「御法度」。
同じ町内の女の子が赤痢で死んでしまったこともあって、
オフクロは従兄妹全員に「御触れ」を出していたのだった。
「食べたいよ~~~」
「駄目駄目、絶対駄目っ、絶対にっ!!」
マーちゃんはお兄さんぶって言う。
実はマーちゃん、僕が唯一の弟分なのである。
しかも、上手そうにアイスキャンデーを舐めながらだから僕にとっては残酷極まりない話だ。
そんなマーちゃんが、偶には電話をくれる。
「ハジメ君、元気か・・・・・・」
って。
マーちゃんにとって僕は、いつまでもあの頃の「ハジメ君」なんだろうな。
マーちゃんの声を聞くと僕は・・・・・
サッカリンの甘い匂いの「アイスキャンデー」を思い出す。
里見経由室田行き
「ボンネットバス」をタイトルを変更、加筆して再掲
Posted by 昭和24歳
at 18:39
│Comments(0)