2010年04月17日
本日の"Twitter" 4.17
本日の"Twitter" 4.17
僕は“先生”というのはいつも“社会の窓”だと思っている・・・・
家庭では父母や叔父叔母の“背中”後姿が、それだろう。
現実の“社会”に後姿は無い。
“後姿”を見せた途端にある種それは敗退を意味する。
僕自身社会で、それ“後姿”を10年ほど前に見せた・・・・・
先生には“後姿”はない・・・・・
常に真正面か、横顔が問われる。
そう・・・・・
先生でも“技術家庭科”の先生のように、時には“腹”を見せなくては成らないこともある。
「うるせ~!!!静かにしろ!!!」
中学の時の話だが、起こったことのない先生が突然、怒った。
偏見ではない・・・・・
“技術家庭科”の担任教師。この科目は教師としては閑職であろう。
もうひとつ中学の時の科目で、3年でやる“倫理社会”などという科目があた。
この先生も学職内では閑職であった・・・・・
しかし、その手の先生がその時代は一番社会を想像させる。
唯一“後姿”、背中を見せながら授業をしてくれるからだ。
時に、子供たちはそうした“社会の窓”を眺めながら社会を知る。
そうした閑職にある教師・・・・・
一応に“お受験”とは無縁である。
クラス担任することもなく、父兄とも縁がないことのほうが多い。
今日・・・・・
教師の“指導力不足”とかがいわれ、
さらには校内暴力、学級崩壊と云われつづけ久しい。
それは学校が“社会の窓”ではなくなったからではないかと僕は思う。
その校内暴力、学級崩壊の起こりは昭和50年前後の中学からではないか・・・・・
昭和40年前後生まれの子どもたち、
昭和10年代生まれの父母を持ち、
高度成長の拝金主義、経済至上主義の社会に産み落とされた子どもたちが主役だった。
彼等の父母世代は幼年期を“独裁軍国主義社会”と、敗戦の“払下民主主義社会”に育ち、
全く社会環境の異なる二つの時代に“社会の窓”を見ながら成長した。
僕の姉世代、昭和14年生まれ兎年がそうである。
とり立てて高学歴ではないが20代で独立して羽振りの極めてよかった夫と3人の子供。
しかし“オイルショック”と“ドルショック”のWショックで歪の生じた・・・・・
昭和50年を挟んでの日本経済の中、
多くの敗者が生まれ、その子供たちの世代が“校内暴力”と“学級崩壊に走った。
僕の義兄もそんな中、昭和52年に38歳で人生夢の中に“自殺”した。
その長男、校内暴力の主役だった・・・・・
“社会の窓”の失われた時代。
そんな時代が30年周期でまたやってきている。
それは学級崩壊に止まらず、社会全体の崩壊を意味しているようにも思える。
昨今のの国会・・・・・
正常か、異常かを問われれば、異常であり狂気である。
まさに、国会が崩壊した。
ほぼ半数を占める野党、自民党が、国会放棄をしたのである。
与党が正しいと言うのではない。
野党が社会適応傷害の子どもたちなのである。
おそらくあの姿を国民に“見せた”つもりなのであろう・・・・・
そしてその有様を、存在価値と鼓舞し、“どうだ!!”と言わんばかりに。
多くの若手衆議院議員・・・・・
その校内暴力、学級崩壊世代の子どもたち。
官僚の働き盛りもその世代・・・・・40歳前後。
陰に陽に“国会対策”も機能しないのか、
はたまた、無能な権力争いの結果なのか・・・・・
いずれにしても、良家のお坊ちゃん、お嬢ちゃんが跋扈する赤絨毯。
そこには“社会の窓”の現実はない。
いつだったかの名古屋市当局によるホームレステントの強制撤去、代執行。
東京オリンピックの時の“バラック狩り”となんら変わらない・・・・・
ホームレス世代が団塊の世代。
そして当局側が、学級崩壊世代。
社会の“歪”にしても、
その“社会の窓”・・・・・・・
なんとかならないものだろうか。
僕は“先生”というのはいつも“社会の窓”だと思っている・・・・
家庭では父母や叔父叔母の“背中”後姿が、それだろう。
現実の“社会”に後姿は無い。
“後姿”を見せた途端にある種それは敗退を意味する。
僕自身社会で、それ“後姿”を10年ほど前に見せた・・・・・
先生には“後姿”はない・・・・・
常に真正面か、横顔が問われる。
そう・・・・・
先生でも“技術家庭科”の先生のように、時には“腹”を見せなくては成らないこともある。
「うるせ~!!!静かにしろ!!!」
中学の時の話だが、起こったことのない先生が突然、怒った。
偏見ではない・・・・・
“技術家庭科”の担任教師。この科目は教師としては閑職であろう。
もうひとつ中学の時の科目で、3年でやる“倫理社会”などという科目があた。
この先生も学職内では閑職であった・・・・・
しかし、その手の先生がその時代は一番社会を想像させる。
唯一“後姿”、背中を見せながら授業をしてくれるからだ。
時に、子供たちはそうした“社会の窓”を眺めながら社会を知る。
そうした閑職にある教師・・・・・
一応に“お受験”とは無縁である。
クラス担任することもなく、父兄とも縁がないことのほうが多い。
今日・・・・・
教師の“指導力不足”とかがいわれ、
さらには校内暴力、学級崩壊と云われつづけ久しい。
それは学校が“社会の窓”ではなくなったからではないかと僕は思う。
その校内暴力、学級崩壊の起こりは昭和50年前後の中学からではないか・・・・・
昭和40年前後生まれの子どもたち、
昭和10年代生まれの父母を持ち、
高度成長の拝金主義、経済至上主義の社会に産み落とされた子どもたちが主役だった。
彼等の父母世代は幼年期を“独裁軍国主義社会”と、敗戦の“払下民主主義社会”に育ち、
全く社会環境の異なる二つの時代に“社会の窓”を見ながら成長した。
僕の姉世代、昭和14年生まれ兎年がそうである。
とり立てて高学歴ではないが20代で独立して羽振りの極めてよかった夫と3人の子供。
しかし“オイルショック”と“ドルショック”のWショックで歪の生じた・・・・・
昭和50年を挟んでの日本経済の中、
多くの敗者が生まれ、その子供たちの世代が“校内暴力”と“学級崩壊に走った。
僕の義兄もそんな中、昭和52年に38歳で人生夢の中に“自殺”した。
その長男、校内暴力の主役だった・・・・・
“社会の窓”の失われた時代。
そんな時代が30年周期でまたやってきている。
それは学級崩壊に止まらず、社会全体の崩壊を意味しているようにも思える。
昨今のの国会・・・・・
正常か、異常かを問われれば、異常であり狂気である。
まさに、国会が崩壊した。
ほぼ半数を占める野党、自民党が、国会放棄をしたのである。
与党が正しいと言うのではない。
野党が社会適応傷害の子どもたちなのである。
おそらくあの姿を国民に“見せた”つもりなのであろう・・・・・
そしてその有様を、存在価値と鼓舞し、“どうだ!!”と言わんばかりに。
多くの若手衆議院議員・・・・・
その校内暴力、学級崩壊世代の子どもたち。
官僚の働き盛りもその世代・・・・・40歳前後。
陰に陽に“国会対策”も機能しないのか、
はたまた、無能な権力争いの結果なのか・・・・・
いずれにしても、良家のお坊ちゃん、お嬢ちゃんが跋扈する赤絨毯。
そこには“社会の窓”の現実はない。
いつだったかの名古屋市当局によるホームレステントの強制撤去、代執行。
東京オリンピックの時の“バラック狩り”となんら変わらない・・・・・
ホームレス世代が団塊の世代。
そして当局側が、学級崩壊世代。
社会の“歪”にしても、
その“社会の窓”・・・・・・・
なんとかならないものだろうか。
Posted by 昭和24歳
at 20:38
│Comments(0)