2013年03月11日

友の死に、生きていると言う幸せ。

友の死に、
生きていると言う幸せ。



20代という躍動の季節を共に過ごした友人の突然の死。

時間が経てば経つほど、その思い出はめくりめく・・・・・・

つい昨日まで普通に会話していたのに物言わぬ人に。

そして、生きていると言う・・・・・幸せ。

僕はそれだけで幸せ、今はそう思う・・・・・

生きていればいやなこともあるけど、僕だけの幸せも沢山ある。

むしろ、悲しいことより、うれしいことのほうが多い。

生きていることのありがたさ・・・・・

子ども達の成長の様を薄めで見ながら、その子ども達を哀しませない為にも、

それまでの己を懺悔し、善人を繕う。

実はこんないい時代はないのではないのだろうか。

日本と言うこの国の・・・・・・

これは政治の力でもなければ、「天皇を中心とした神の国」と言うわけでもない。

ここまでつづいた安寧を、壊されて堪るかと、時に奮い立つ。

今日を幸せに生きると言うことは、明日の幸せを約束すること・・・・・

それが生きていると言う・・・・・幸せなのかもしれない。

それでも、こんな僕にも悩まがあった・・・・・

「何でそれくらいのことで」

と、他人は笑うが。

僕には他人に言えない秘密がある。

妻も知らない、子ども達も知らない秘密がある・・・・・・

僕にとっては一生を左右するほどの僕の秘密。

「大袈裟な・・・・・」

と、他人は言うが。

僕が音楽に道を探る理由・・・・・

子どもの頃から、「絵画」が好きだった僕。

それは小学校の写生の時間での時・・・・・

「なんだこの色使いは・・・・・コレは色盲だな」

と、先生。

同じ学年で、200人くらいの生徒・・・・・僕だけだった。

「色盲」と言う言葉を辞典で何度も何度も読み返して愕然とした。

「先天性色覚異常」

なによりも子どもながらに「異常」と言う言葉が恐ろしく・・・・・・

しばらく塞いだのを今でも憶えている。

今はそうでもないようだが当時は、進学は工業高校は駄目、就職もそのことで門戸は限られていた。

根が、いい加減な僕のことだからそんな悩みもいつの間にか消えていた。

自分に与えられた道を歩いて今日まで生きている。

子どもは全て女の子。

男の子もひとり出来たが流産した。

長女次女、娘の子ども、二人の女の子と三人の男の子・・・・・・

女の子には遺伝しないと言われている。

しかし、今までそんな男の子の「異常」の話は娘たちからは聞かない。

人間生きていればいいことのほうが多い・・・・・・

自分が苦しむのはそれはそれで仕方がない。

それは生きている証なんだから。

他人を苦しめさえしなければ、人を貶めさえしなければ・・・・・・

そんな幸せが、不幸をかき消してくれる。

友の死に、
生きていると言う幸せ。




Posted by 昭和24歳  at 14:36 │Comments(0)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
過去記事

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 125人
プロフィール
昭和24歳
昭和24歳
オーナーへメッセージ

削除
友の死に、生きていると言う幸せ。
    コメント(0)