2010年05月08日
黄昏爺の♪ザ・ヒットパレード♪
黄昏爺のザ・ヒットパレード
'60s・・・・・・
昭和35年、高崎市立第二中学校。
もちろん校舎は「大日本帝国陸軍歩兵高崎十五連隊」の兵舎跡。
校舎裏の国立病院へつながる旧兵舎には未だその時代の名残さえ残る、
そんな時代・・・・・・
中学一年の時分けもわからず教室でホウキをギター代わりに・・・・・・
♪ユエインナシバラハンドッ・・・・・
クラックオニョタイッ♪
エルビス・プレスリーの「ハウンドドッグ」だ。
提灯屋のW君が好きだったなぁジェリー藤尾が歌う、
♪悲しきインディアン♪
バケツを逆さまにして・・・・・・
♪ドンドットット、ドンドットット♪
と、掃除の時間にやらかしては先生に怒られていた(笑)。
テレビでは、坂本九とか森山加代子が・・・・・
“ダニー飯田とパラダイスキング”をバックに、
そしてある時は“スクスクおじさん”・・・・・
ちょいとオカマがかった“踊る指揮者”のスマイリー小原の“ミスターベースマン”。
♪バーババババーババーブンブンブン♪
と、リフをやるスマイリー小原。
歌うのは九重ゆみ子・・・・・
ボーイッシュなヘアースタイルで。とてもキュートだった。
田辺靖男とのデュエット・・・・・・・
♪ヘイ・ポーラ♪
田代みどりの♪パイナップルプリンセス♪とか、鈴木やすしの♪ジェニジェニ♪
もちろんテレビはモノクロだったけどその頃から“ロック”の虜になっていた僕にとっては、
そんな、明けても暮れても♪ザ・ヒットパレード♪さまさまだった。
時代はアポロ月面着陸、ケネディ暗殺が中学三年の時。
受験戦争・・・・・
僕は平和主義者、戦争は嫌いだ。
そんな調子でその受験戦争という戦場からは敵前逃亡していたので・・・・・
もっぱら、
♪ユエインナシバラハンドッ・・・・・
クラックオニョタイッ♪
の、毎日だった(笑)。
ポール・アンカも来た。二ール・セダカも、パット・ブーンも、コニー・フランシスも、ブレンダ・リーも・・・・・・
橋幸夫、舟木和夫、三田明なんてチャンチャラ可笑しくて・・・・・
やっぱり糞生意気なことを言っていたんだろうね。
先生には良く叱られた・・・・・・
とにかく勉強は“できなかった”。
英語の歌を覚えるのが精一杯で、受験どころの騒ぎじゃあない。
当時大学生だった従兄に連れられて行った“新宿ACB”。
あの時の感動と衝撃は今でも確りと脳裏に焼きついている。
“尾藤イサオとブルーコメッツ”
目の前で見るテレビの中の“尾藤イサオ”が・・・・・・
♪オウッ、ベイビー、俺の負けだぁ・・・・・・
どうにもこうにもなりゃしねぇ・・・・・
みんなオイラが悪いのさ♪
と、やっている。
新宿南口甲州街道沿いの・・・・・・
まさにそこは僕にとっては“未知との遭遇”だった。
東京オリンピックが始まる2年前の夏休み。
京王線は未だ路面を走っていた・・・・・・
そうだ、そんなW君、中学のころ野球部でピッチャーで、高商へ。
ソレが群馬大橋の近くで交通事故、その訃報を耳にしたのはいつだっただろうか。
未だ僕らが二十歳前のそんな時代だったような・・・・・・
黄昏爺の♪ザ・ヒットパレード♪
'60s・・・・・・
昭和35年、高崎市立第二中学校。
もちろん校舎は「大日本帝国陸軍歩兵高崎十五連隊」の兵舎跡。
校舎裏の国立病院へつながる旧兵舎には未だその時代の名残さえ残る、
そんな時代・・・・・・
中学一年の時分けもわからず教室でホウキをギター代わりに・・・・・・
♪ユエインナシバラハンドッ・・・・・
クラックオニョタイッ♪
エルビス・プレスリーの「ハウンドドッグ」だ。
提灯屋のW君が好きだったなぁジェリー藤尾が歌う、
♪悲しきインディアン♪
バケツを逆さまにして・・・・・・
♪ドンドットット、ドンドットット♪
と、掃除の時間にやらかしては先生に怒られていた(笑)。
テレビでは、坂本九とか森山加代子が・・・・・
“ダニー飯田とパラダイスキング”をバックに、
そしてある時は“スクスクおじさん”・・・・・
ちょいとオカマがかった“踊る指揮者”のスマイリー小原の“ミスターベースマン”。
♪バーババババーババーブンブンブン♪
と、リフをやるスマイリー小原。
歌うのは九重ゆみ子・・・・・
ボーイッシュなヘアースタイルで。とてもキュートだった。
田辺靖男とのデュエット・・・・・・・
♪ヘイ・ポーラ♪
田代みどりの♪パイナップルプリンセス♪とか、鈴木やすしの♪ジェニジェニ♪
もちろんテレビはモノクロだったけどその頃から“ロック”の虜になっていた僕にとっては、
そんな、明けても暮れても♪ザ・ヒットパレード♪さまさまだった。
時代はアポロ月面着陸、ケネディ暗殺が中学三年の時。
受験戦争・・・・・
僕は平和主義者、戦争は嫌いだ。
そんな調子でその受験戦争という戦場からは敵前逃亡していたので・・・・・
もっぱら、
♪ユエインナシバラハンドッ・・・・・
クラックオニョタイッ♪
の、毎日だった(笑)。
ポール・アンカも来た。二ール・セダカも、パット・ブーンも、コニー・フランシスも、ブレンダ・リーも・・・・・・
橋幸夫、舟木和夫、三田明なんてチャンチャラ可笑しくて・・・・・
やっぱり糞生意気なことを言っていたんだろうね。
先生には良く叱られた・・・・・・
とにかく勉強は“できなかった”。
英語の歌を覚えるのが精一杯で、受験どころの騒ぎじゃあない。
当時大学生だった従兄に連れられて行った“新宿ACB”。
あの時の感動と衝撃は今でも確りと脳裏に焼きついている。
“尾藤イサオとブルーコメッツ”
目の前で見るテレビの中の“尾藤イサオ”が・・・・・・
♪オウッ、ベイビー、俺の負けだぁ・・・・・・
どうにもこうにもなりゃしねぇ・・・・・
みんなオイラが悪いのさ♪
と、やっている。
新宿南口甲州街道沿いの・・・・・・
まさにそこは僕にとっては“未知との遭遇”だった。
東京オリンピックが始まる2年前の夏休み。
京王線は未だ路面を走っていた・・・・・・
そうだ、そんなW君、中学のころ野球部でピッチャーで、高商へ。
ソレが群馬大橋の近くで交通事故、その訃報を耳にしたのはいつだっただろうか。
未だ僕らが二十歳前のそんな時代だったような・・・・・・
黄昏爺の♪ザ・ヒットパレード♪
Posted by 昭和24歳
at 20:17
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