2009年12月27日

パパの曾おじいちゃんは“江戸人”だ。

パパの曾おじいちゃんは“江戸人”だ。



パパの曾おじいちゃんは“江戸人”だ。

娘が先生にそう言ったそうです・・・・・・

僕の祖父は日露戦争に言った人間ですから、その祖父の父はたしかに“江戸人”(笑)。
ママの方の祖祖父も“江戸人”でした・・・・・

何故その江戸人は“江戸”を語らなかったのか。

僕は全く知らないのですが、僕の生まれた村落はどうやら戦国時代に落ちた逃亡者が開墾した所だったようです。
民族史、村史にはそれらしきことが書かれ、村祭り、道祖神などにはその謂れを教える言い伝えがあります。

しかし、その言い伝えを残す“村人”がそろそろ壊滅状態。
村々の伝統行事もどんどん縮小し、新興住宅地が出来・・・・・
その新興住宅地さえが“旧住民化”しているほどです(笑)。

維新政府は極端な情報封鎖をしたはずです・・・・・
ここ高崎でも、前橋でも江戸幕府の居城があったのに全て破壊されました。
今にして思えば相当な歴史的遺産であったはずです。

家康の命で井伊直政が1598年築城とありますが、江戸時代以前のこの町の歴史を教えるものはほとんどありません。
たったの一世紀少し昔でしかないのにです。

これは全国各地で明治新政府がとった旧幕府勢力の叛乱を押さえ込むための国民洗脳政策の一環であったように思います。
その後の、秩父事件、群馬事件も落ちた武士、浪人が“大リストラ”、正業につけずヤクザになったり、政党を興したり・・・・・・

面白いことに、南北朝をいいながら天皇論で時世を語るものは多く見られますが、
“徳川幕府”の再興、叛乱革命を云う者がいない・・・・・・

どうやらこの“明治維新”とはただ単なる“永田町”の“政権交代劇”と同じで、
実は、『シャッポ』を替えただけで権力そのものは徳川幕府の“右”から“左”に変っただけ。
どうりで今の政治家のほとんど、官僚のほとんどが“士族”の末裔(末裔といっても精々が一世紀)。

徳川慶喜を公開処刑するわけでもなく・・・・・・
それどころかその係累と婚姻を重ねる士族官僚階級。今日の政治家、財界人。

まあ普通はそう上手くは隠せないと思います。
もし完璧に隠すなら、徳川家につながるものは大粛清、大虐殺、浪人、商人、百姓になることすら許さなかったでしょう。

それは今に言うこの国のあいまいさ・・・・・・
ただ単なる“勝組”か“負け組”かというだけ。
よって、刀狩をされ、武家社会をリストラされた下層武士は塾をやったり、新聞を作ったり、広告業、果ては“テキヤ”とか“ヤクザ”とか。

鎖国政策が解かれ一挙に産業が拡大し、重厚長大産業、産業革命で一気に労働吸収が出来、
それが今に言う“リクルート”(チョイト古いが)であったり、
新聞等の情報産業の延長線上にある“ソフトバンク、楽天、ライブドア”であったり・・・・・・
なにかの理由で官僚になれなかった最高学府の平民がその筋の縁故で起業する。

もしくはヤクザ、暴力団まがいの土建業に運送業として正業につく勝組と、
なにかの理由で正業にはつけないヤクザ、暴力団になった戦後の元武士的、浪人的“大日本帝国軍人”。

もちろんその中にあっても一介の“平民”にはよほどの裁量でもなければご案内の通りで、
例外は今太閤から闇将軍となって刑事被告人のまま故人となった平民宰相“田中角栄”だった・・・・・・
その田中角栄、第二の維新、「GHQ維新」とでもいうのか、そうした時代の中で若干27歳で大量のドルを懐にしていた。
そして、田中角栄の刎頚の友ともいわれた小佐野賢治もそんな一人だった。


さて、今般、「平成無血維新」で誰がどうなるか・・・・・???
どうもなりゃあしません。
首相が明治維新の残党の末裔で、そのシャッポがGHQ維新の息子ですから(笑)。
つまり、偽装維新・・・・・・



Posted by 昭和24歳  at 14:02 │Comments(0)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
過去記事

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 125人
プロフィール
昭和24歳
昭和24歳
オーナーへメッセージ

削除
パパの曾おじいちゃんは“江戸人”だ。
    コメント(0)