2009年12月26日

昭和、大人への三叉路"喫茶店”



今はコレ!!???



昭和たかさきの“喫茶店”

さて、僕のファースト珈琲は何時のことだったろう・・・・・

多分、昭和42年当時、エレキバンド「ザ・プラネッツ」の仲間と行ったオシャレデパートのとこの「ナポリ」か。
否、そうではない。昭和40年も明けたばかりの頃のことで・・・・・・
恐る恐る、胸を高鳴らせ始めて入ったのが本町三丁目の「あすなろ」ではなかったろうか。
たしか、やはりエレキバンドの先輩に連れて行ってもらったような記憶がある。

その「あすなろ」はもうひとつ、鞘町の学陽書房の隣あたりに映画館と並んであったように憶えている。
何でもその「あすなろ」はクラシックを専門に聴かせる「音楽喫茶」で、リスニングルームも確かあったのではなかっただろうか。
本町三丁目のそれとは大分趣を異にしていた・・・・・

時にはそこ、「あすなろ」では群響の楽団員の人たちがコンサートをやっていた。
確か誘われて行ったようなかすかな記憶・・・・・・
もとも僕の場合はクラシック、交響楽と言った高尚な芸術はチンプンカンプン。
なにせ、その頃は「エレキ」に夢中だったので誰と行ったのか、いや、誰に連れて行ってもらったのかさえ全く憶えていない。
ただ、一、二度、入ったような気がするだけだ。

僕はもっぱらその手前、うなぎの「銀直」の隣辺りの、床屋の二階の喫茶「コンパル」だった。
エレキバンドで出演していたダンスホール「みゆき」の休憩時間にはいつもメンバーとそのコンパルへはよく通った。

そうだ、連雀町だったかの噴水のある「喫茶ローマ」・・・・・
そこには早い時期、昭和40年頃から高経のハワイアンやらウエスタン、フォークソングをやるバンド演奏をやっていた。
うなぎの寝床のような間口2軒ほどの細長い店だったが、その一番奥まったところにステージのようなものがあったように憶えてる・・・・・
そこに、古きよき時代を思い出す。


「あの頃の喫茶店」

西口、高崎駅前を日通の手前の「喫茶うえの」はカウンターだけの小さな喫茶店。
その隣には「キングバー」なんていうのも・・・・・・
ロータリーの所には「喫茶ブリッジ」。ここではバンド時代待ち合わせによく立ち寄らせてもらった。
ジャズを専門に聴かせる「モーニン」も、とにかく狭い店だったが時々ライブをやっていた。




八間道路の「喫茶もりえ」・・・

八間道路、群タク並びの佇まいが懐かしい。



「同伴喫茶」

ここは僕が小学校の時から在った。同級生のお母さんがやっていて・・・・・
どう言う訳か「アベック」と言う徒名で同級生のそいつを囃した覚えがある。
兎に角、「喫茶店」と言うとなぜか、「アベック」を連想させた。今、「アベック」なんて言う言葉をご存じだろうか、皆さん(笑)。

実は、この「もりえ」は昔付き合っていた彼女とよく行きました。昭和40年代・・・・・
今のカミさんですけど(笑)。

あの頃は「同伴喫茶」なるものも流行った・・・・・
まだ町には車などそうは走ってはいない時代だったし、流行かどうかは知らないが僕らが色気づいた頃は「連込み」。
いわゆる「さかさくらげ」と言う温泉マークの、つまり旅館で、高崎公園の周りとかにそれは点在していた。
当然、まだ僕らはその「連込み」に入る歳ではなかった。ませた同級生や先輩から話を聞くのが精々で・・・・・
僕らはといえば、もっぱら片町の「キャメル」、お堀端の「キャンドル」とか「マーセル」などで、若い男女の秘め事に重宝させてもらっていたようだ・・・・・
チョイト気恥ずかしいが(笑)。

話は変るが、実は僕は「珈琲」とやらが全く駄目。今まで正直な所そのコーヒーとやらを「飲んだ」と言う記憶はない。
今まで一切口につけない・・・なぜか判らない。
あの「珈琲」の香は嫌いではないのだが(好きではない)。仕方なしに飲まされると胸焼けが酷いのには閉口することしきりだ。
ついでに、「タバコ」も生れてこの方吸ったことがない。もちろん、未成年の時は特訓をしたが全くその成果はなかった。
アルコールはその限りではない・・・・・




喫茶“花壇”KADANももうない・・・・・


「喫茶店」と言えば・・・もう昔からのそれはあまり見られない。あまりと言うかほとんどなくなっているのではないか。
一時隆盛を極めた、喫茶「いわと」。さきの名曲喫茶「あすなろ」・・・・・
今も昔をしのばせるのは柳通りの「花壇」くらいだろうか。ここは古い・・・・・とは言ってもそれは昭和40年代の中頃からだ。
マスターが中々の男前で「お水」のお姉さん達の憩いの場であったようだ。
しかし、そのマスターも押し寄せる年並みか、ついこの間その「花壇」の前を通りかかったらすでに看板は下ろされていた・・・・

僕がニュージャパンでドラムを叩いていた頃はもっぱらお堀端の喫茶「プリンス」で、ここは毎日のように通っていた。
「プリンス」は早仕舞なので、9時過ぎになると先のご案内の、同伴喫茶「キャンドル」。その「キャンドル」は一階が普通の喫茶席で、二階席が同伴専用席になっていた。
昭和47年頃はモータリゼーションか、既に「同伴喫茶」の趣も薄れ、店によってはスナック喫茶風に趣を変えていった。
そう、柳川町のど真ん中には「スクール」なんて言う喫茶、田町通りの2階の喫茶「アラスカ」、新町の「くらくら」、今のさやモールの「コンパル」など等・・・・・

まあ、喫茶というか、甘味喫茶ですか・・・・・
子どものころ、母親に連れられて買い物ついでにねだった中央銀座通りの「富士屋」の「たいこ焼き」とか「小倉アイス」・・・・・
昭和30年代、外食なんて極め付きの贅沢だったけど、そこで初めて食べた「ラーメン」の味が今でも忘れられずにいる。
そういえば、「昔ながらの」なんていうのを近頃お見受けするが、アレは「昔の偽装」である(笑)。

「昔」のそれは、あんなもんじゃあない!!!


今ではすっかり変っちまった・・・・・
移ろいの風物「たかさき」と言うところだろうか。



Posted by 昭和24歳  at 12:12 │Comments(1)

この記事へのコメント
新緑の5月、
南牧村で「浅羽由紀」ピアノ弾き語り野外ライブコンサートを行います。!!

ライブの後、野外パーティーもあります。

興味ある方が居られました知らせていただけませんか。
Posted by 森の小太郎 at 2010年03月09日 18:46
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