2022年04月03日

ソ連邦解体とサラエボの悲劇

ソ連邦解体とサラエボの悲劇
ソ連邦解体とサラエボの悲劇
サラエボでは1984年の冬季オリンピックが開催されていた。

その「平和の祭典」のわずか8年後宗教、民族対立から虐殺が行われた。そう言えばルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスク大統領が1989年革命により銃殺処刑されている。

1992年3月のボスニア・ヘルツェゴビナの独立を機に勃発した,国内に居住するムスリム (スラブ人のイスラム教徒) ,セルビア人,クロアチア人の3民族による武力衝突。 独立に賛成するムスリム,クロアチア人勢力と,反対するセルビア人勢力とが衝突したが,しだいにムスリムとクロアチア人勢力の対立も生じ,三つ巴の内戦となった。

「沙羅英幕」コーヒーレストラン

現在の「珈琲哲学」でしょうか。サラエボ冬季オリンピックと言えば1984年、昭和59年、ちょうどエレキの行商始めたころで35歳でした。
まぁ、今考えるとこんどの「ウクライナ戦争」その延長線上なんですね。日本人には理解の外です。宗教と民族紛争で殺し合いをするなんて犠牲者にしても僕らが「可哀そう」と思うのとは全く感覚が違う。それって日本に例えれば、「関ケ原の合戦」が未だ続いている。まぁ、普通に考えて東北人勢力と関東人勢力の争い。関西人勢力と九州人勢力の争いみたいなもんですから。ま、言葉が違うったって「訛り」です、精々が。

ひとつには、朝鮮半島との小競り合いなんだけど幸い、陸続きじゃあない。。中国は大変だと思いますよ。万里の長城の外と内では民族紛争は必ず起きます。そこから考えると明治維新の薩長土肥は京都に政府を置かなかった。京都に政府を置いたら攘夷派徳川方は江戸城に政府を、尊皇派は京都に天皇を中心とした政府を置き、今ごろドンパチやってたかもしれませんね。

しかし、それにしてもゼレンスキーウクライナ―大統領の「命がけで祖国を守る」に感動してちゃあいけませんね。ホントヤバいです何のために毎年1億円からの政活費貰って国会議員やってるんだかつう話です。
https://www.youtube.com/watch?v=LhIN5A0UBEc
1995年ボスニア、戦後最悪のジェノサイド事件の悲劇/映画『アイダよ、何処へ?』予告編



Posted by 昭和24歳  at 09:25 │Comments(0)

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