2012年02月29日

明治17年生まれの祖父と、そして僕と従兄たち・・・

明治17年生まれの祖父、
そして僕と従兄たち・・・


明治17年生まれの祖父と、そして僕と従兄たち・・・


僕がもっとも大切にしている写真です(笑)
 
昭和27年、僕とお祖父ちゃんと従兄・・・・・・

僕が2月11日、3歳になったばかり。

この写真のお祖父ちゃんは日露戦争に行きました。

そして昭和30年に他界。

この写真の時代、戦争が終わってまだ7年しか経っていません。

それでも僕はこうしてお祖父ちゃんに添われながら、6歳、8歳年上の従兄と写っています。

なんと幸せな時代を僕らは過してきたのでしょうか。

今はただその感謝でいっぱいです。

この国が敗戦によって齎した国民への平和と安心・・・・・・

その戦後わずかの時間にこの写真はそれを教えてくれています。

しばらくして、朝鮮戦争の勃発。

この国の指導者この時代に何を思ったのか・・・・・

歴史の伝えるところに寄れば、GHQの朝鮮半島派兵を警察予備隊、自衛隊となるも、

憲法九条を盾に断固拒否したそうです。

「この橋渡るべからず」

を、堂々と橋の真ん中を渡った一休さんのように。

僕ら世代あまりにもわがままのままに自己を主張過ぎるとは思いませんか?

その意味ではも僕らの時代は終わっている・・・・・・

と言うより、僕らは、僕らに時代に決別する時なのかもしれません。

今の政治、政党がその「過去」のままです。

先代の築いた既得権益を与野党死守しているにしか過ぎません。

そして、この既得権益集団が二十代、三十代世代に尚も、引継ごうとそこに貪っています。

この姿は、明治維新の第三世代が、日清、日露時代幼年期だった、

当時の既得権益集団が、昭和16年に大東亜戦争に突き進んだことと何ら変りません。

戦争の恐怖を知らないものが勇ましく、戦争、戦意を鼓舞する・・・・・・・

それは、時に人道支援であり、国際貢献であり、その多国籍軍であり。

国民大衆、僕らの孫子がその道に引きずられるのは歴史が証明しています。

この国が、世界に例のない、二発の大量殺戮兵器「原子爆弾」の対人類実験場になったことで、

それで世界は十分なはずです。

二度と戦争をしない、二度とあのような大量殺戮兵器は使用しない、させてはならない。

それはイデオロギーを抜きにこの国、日本人だけがその被害者として、

その体現者として先人の漆黒、慟哭の時代に未来永劫責任を果たし、守り抜くべきことではないのでしょうか。

僕らは、もうすぐ終わります。

しかし、この国が体現した凄惨な時代・・・・・・・

そこから言えることは、一切の「武器の放棄」です。

現実は違うけどそれは人類の崇高な理念、理想です。

その理想を無にするならば、一瞬にして焼け糺された僕らの祖父母、父母兄姉達の世代は救われません。

彼等、数百万の命は僕らの世代、そしてこの国の未来永劫の不戦の近いよって癒されるのではないでしょうか。

この崇高な理念、理想を、この国の経済力で世界に知らしめる時かも知れません。

それはこの国が「特別」な国として、それは人類の墓標・・・・・・・

それでもこの国を貶め、侵略攻撃するような国があるとすればそれこそが「人類」の敵です。

今の政治家官僚、既得権益集団にはそれを言うことが出来ません。

なぜなら、政治的には自民党(民主党)から共産党までその過去を告白することが出来ないからです。

告白し懺悔するなら、この国の国民は必ずや、それを赦すでしょう。

なのに、今日の、今日までその既得権益集団はそれが出来ずにいるのです。

それをすることによって、彼等はその既得権益を失うかも知れないと言う恐怖からです。

かれらは国民を信じていない・・・・・・・・・

この国の民は有史来、為政者には常に寛容です。

民衆による革命もなければ、暴動もない・・・・・・・・

それなのに彼等は僕ら国民を恐れている。悲しい限りです。

僕らはそのことを彼等に伝えるだけでいいのです。

僕らは別に彼等を断罪したりはしません・・・・・・・・・

ただ、安寧に暮らせるこの国が未来永劫あればいいだけのことです。

しかし先の政権交代は、政権に就くためには嘘八百を並べ立てシラをキル。

そして、圧政とも思われる、「やらない」といったことを、正しいことといって「やる」。

それはまるで、戦前の軍事政権の様に、謀ったように政敵を祀る。

ここは本当に困窮しているのか、そんなことはあるまい・・・・・

ただ、政治が機能していないだけなのではないか。

さて、次女の長男がこの春、ピカピカの一年生。目を細めよう。

雪の朝に・・・・・

明治17年生まれの祖父、
そして僕と従兄たち・・・




Posted by 昭和24歳  at 08:11 │Comments(1)

この記事へのコメント
>アメリカの大学の卒業式では決まって政治家が卒業生へのはなむけのスピーチをする。その時に党派が問題になることなどない。しかし日本では大学が政治家にスピーチを頼む事は滅多にない。そもそも政治家は国民の投票で選ばれた国民の代表である。にもかかわらず政治家は反教育的存在と見なされる。こうした事に私は長い官僚主導国家の岩盤の存在を感ずる。

無哲学・能天気の国民は、政治音痴である。大学など必要ない。
自分の考えの内容がない人たちには、議論ができない。
相手の主張には消去法で答える。ああでもなければ、こうでもないと力説する。この態度が答えになっていると思い込んでいる。
政党は徒党か。議論をすれば喧嘩になるか、喧嘩するためには議論が必要なのか。


http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
Posted by noga at 2012年03月01日 04:46
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