2020年12月13日

2021年6th丑年、その青春記

2021年6th丑年、その青春記
2021年6th丑年、その青春記

アレは昭和45年頃だったろうかミュージシャン修行の最中だった。

出番があまりないので生活費稼ぎのために川崎ふそうトラックの「陸送」のアルバイトをしていた。

川崎の「ふそう」の工場は当時住んでいた西武新宿線新井薬師前から新宿まで出てそこから京浜東北線で川崎までの通勤、そこから全国の三菱ふそう代理店にトラック(スケルトン)を自走納品する仕事。

大阪、寝屋川の「ふそう」へはよく行きました。ま、トラックの需要が多く、とにかく時間との勝負なので納車が終わると帰社は伊丹から飛行機。

その他は鳥取、島根、広島、徳島、高松、松山、高知へと。北は仙台、盛岡、青森、秋田、山形。福島、新潟、富山、金沢、福井。

北海道、九州、沖縄はフェリーでしたね。とにかく高度経済成長、物流が全盛時代でトラックが飛ぶように売れた時代。

もちろん関越道は東松山まで、東北道も郡山まで、あとは一般国道走行。だから、帰りは全部飛行機、7か月くらいやったかな。そのうちバンドの仕事が入ってきて辞めた。そんな時代でした。

たしかあの当時で、日当7000円だった。で、青森なんて三日がかりだから三日間で21000円+飯代そして帰りの飛行機、新幹線代。

後日談なんだけど『年金』、これが僕はアルバイトのつもりでいたんだけど年金を受け取る年になって社会保険事務所から連絡が。

「あなたの年金記録、7か月分が新たに見つかりました」だって。その7か月、1日7000円だから25日くらい仕事してたし少なくとも15,6万円くらいには。給与明細なっか見てないから、まさか年金がってね。そしたら最近、企業年紀の確認をという連絡が。昭和の日本の年金システムってすごいよね。

京都と音楽シーン。


僕らは「黒人ブルース」に傾倒していった。そう、京都がメッカでしたね、「ブルースバンド」の。

西日本、ルーツが弥生人、東は縄文人の違いでしょうか、芸術、芸能文化は西からです。

今の芸能音楽会でも福岡、北九州は群を抜いてますね。 DNAでしょうか、東日本にはそうした文化は育ちません。

浄瑠璃、歌舞伎、能、狂言、落語も西から。まあ、大企業もほとんどが西からですから、関西の人にとって関東は生きやすいのかも。

僕も大阪営業所を北区西崎に作って感じたのは子供からもうコテコテの大阪弁で話しかけられて笑っちゃいました。

それと地下鉄車内の賑やかなこと、ひっきりなしにペチャクチャペチャクチャ。

それに比べると東京の地下鉄は「お通夜」です。 大阪の人間が東京の地下鉄に乗ると「怖い」って言ってました(笑)。

とにかく同世代の人間が多かったその時代。 今現在でも、戦後の昭和20年から30年生まれの人口は1300万人。

総人口の10%です。ま、競争、共生社会でしたから生きる知恵もついた。

そこへ行くと、苦労人、秋田から集団就職でっていう、嘘でも、当時川崎、東京、横浜で同じ空の下に生きていたわけです。ガースゥ総理の青春記は(笑)。

2021年6th丑年、その青春記



Posted by 昭和24歳  at 18:19 │Comments(0)

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