2020年08月03日

令和の終戦記念日を考える。

令和の終戦記念日を考える。
令和の終戦記念日を考える。

独立。

戦争に負けて奪われた自由の奪還はその“戦争”で、 しかない。

何十年、何百年経とうとも“戦勝国”はその“敗戦国”を支配する。

『講和』には、“仲直り”とある。

“日米の戦争”がその“仲直り”のレベルではないことは子どもにもわかる話で、
英語では“a peace treaty”と言うそうだが、その“a peace treaty”にどれだけの犠牲がはらわれたか。

その凄惨な“犠牲”の下での“講和”。言われる“無条件降伏”での講和が“仲直り”では洒落にもならない。

「吉田さん・・・
そう言うことになると我々も選挙に出なければならなくなる」


“憲法はまだか”の一節だが・・・

その“新憲法”の受諾を含め、その仲直り、講和をしたのは戦争をした当事者で、明治政府そのものの“大日本帝国政府”である。

その意味では戦勝国“米政府”は、明治維新政府と同様に“天皇”を日本国平定の具とし、その戦後も、“天皇陛下万歳”の『御巡幸』にも見られるように、そして今日も以前と変わらず“○○様”とメディアをコントロールしながら“皇室アルバム”を見世物にする。

もっとも戦後の民主化勢力もその実は“ソ連共産”の世界覇権の具にしか過ぎず、けして“国民”に向いてのそれではなかった。
それは世界の社会主義国が凡例で、今日その体制は“軍事独裁”であることは言うまでもない。

いい加減こうして書くことも馬鹿馬鹿しくなるが、この期に及んで、敗戦政治家、官僚の二世、三世の独断場ではないか(笑)。
“選挙”を言いながら、巧みに“選挙”を工作、操作する為政者。

しかしひとつだけ確かなことは、それは“国民”の質に起因するのではなか。

もっとも国民、あれだけ殺されればその精神的諦念百年や二百年で失せるものではないのかも知れない。
占領され進駐してきた栄養万点のアメリカ人にそのときのニッポン人は恐れおののいたのではないか。

本来は、あの時点で、つまり、その戦争の責任を取って、『開戦の勅令』に署名したあの時点の政治家官僚は“成敗”されるべきではなかったのか。
そして、そのことの国民の記憶をまんまと剥がした「その時の人たち」が今日の政官財のトップにいるというこの国の欺瞞さ(笑)。

マッカーサー将軍曰く、「日本国民は12歳」

そうかも知れない。

そして、この国の為政者も自国民を“そう”思っているのだろう。

“アメ”と“鞭”でどっちにも動く。

昨今の政治、選挙違反がそうであり、官製談合が為政に群がるありのごとく。
僅かな権力でももとうものなら血眼で“収奪”を謀る・・・

お忘れだろうか、群馬県庁の食糧費裏ガネ、岐阜の裏金等々、地方自治体ほとんどがその「裏カネ作り」と「官製談合」で総額は数百億円と。

つまり、別にそこだけじゃあない。どこの町でも日常茶飯事にくり返し、くり返し。白日になれば「慣例でした」との弁。

しかし、一切の国民はそのことには無縁。かかわりは“もてない”ような仕組に、“それ”はなっている。

行政は『弱者』にはメッポウ強いが、『強者』にはいとも簡単にへし折れる

極論だが、まずは市民が“地方政治”から独立を勝ち取らなければならないのではないだろうか。
中央に傀儡される地方政治、末端の市町村までがそのさま。

多くの国民、市民が困窮しているというのに、“そこ”にいる特権者はヌクヌクと懐を暖めている。

僕らはもういい!
20代、30代の子育て世代に、「少子化」をそこまで言うなら防衛費の表予算だけでもその明日の“ニッポン”をになう世代に手当てせよ!!
これこそが最大の“防衛”であり、この国が真の独立を勝ち得る政策ではないか。



Posted by 昭和24歳  at 19:35 │Comments(0)

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