2020年01月06日

「尾久第五食堂」東京都指定民生食堂.

「尾久第五食堂」東京都指定民生食堂
「尾久第五食堂」東京都指定民生食堂.

僕らが20代の頃自由奔放を装っての生活は、三畳一間も、畳が三枚縦に敷かれたソレだった。

そんな下町も下町荒川区尾久の共同水道、炊事、共同便所の生活。
最低限、食うことは切り詰めても「住居」だけは、そもそも最低限の己を守る尊厳ではないのか。

夢を抱き、東京に出て、最初の一ヶ月は同じ境遇の友だちのところを転々とし...
その間バイト先を探し生活の糧を得て先ず「住居」を探す。
僕らの周りにいる同世代のモノはほとんどが家がそれなりに裕福でない限りはそうして独立してきた。、
もちろん、日雇いで深夜の土カチン地下鉄工事、速道路工事現場に行くモノは高田馬場公園の列に並び、川崎、品川の工場の深夜勤に行くモノは新宿南口に並んだ。
そうしながらも、仲間を見つけ、情報交換しながら「夢」のための最低限の生活を確保してきた。

つまり言葉はチンケだが、当時はその環境で仲間同士が「連帯」していた。助け合っていた。

「部屋なければ俺んとこへ来いよ」とか、 「飯ならオゴルヨ」とか...

今でもあるだろうか、「尾久第五食堂」。

東京都指定民生食堂。つまりとから補助金が出ているのだろうかそうした生活困窮者に安く食事を提供する。

ま、あの頃、おそらく40、50代のおじさんたちだろうか大井競馬新聞、川崎競輪、川口オート、戸田ボートの予想を喧々諤々しながらこぷ酒の皆さんで賑わった東京都指定民生食堂「尾久第五食堂」。

僕らは僕らで一端を気取ってもロングヘアーにヨレヨレのGパンそんなおじさんたちからしたら「訳のわかんない若造が」とでも言うかのようにチラ見する。
ま、ソコで僕らは仲間同士バンド談義しながらの昼飯だったから、おじさんたち、五月蝿かったに違いなかったんじゃないかなと...
で、飯くい終わると地下鉄新宿御苑の御スタでバンド練習、そんな日々に明け暮れだった。

で、飯なんだけど、金がない時は、インスタント焼きそば、インスタントラーメンでしのいだけど ソレで十分満腹になった。

いろんな奴がいたなぁ、イラストレーターの卵とか役者志願とか、カメラマン見習い、セツモードセミナーとかへ通うファッションデザイナーの卵とか。
もちろん僕は僕でミュージシャンを夢見ながらいろんなアルバイトをした。ミュージシャン志望系はホテルの宴会場が多かったね。飯には困らないし、残ビも(笑)。

昭和45、6年の話だ。

そうなんだろな、あの「大人食堂」の青年じゃあないけど、僕ら団塊世代には「夢」があった、その夢に向かって沸々とするものがあった。

「大人食堂」の青年には、それがない。絶望の未来しかないのか...

それはどうも全てが彼らのせいではない。半分は国、政治のせいなのだ。世代のコアが小さければ、小さいほどその群れも弱い。

「尾久第五食堂」東京都指定民生食堂.





Posted by 昭和24歳  at 09:18 │Comments(0)

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