2020年01月05日
ユニクロ化するニッポン人99%
ユニクロ化するニッポン人99%
I wish Abe had the wisdom of Snoopy...
「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。
その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。
意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。
これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、あらゆる行為の動機である」
http://inochi.jpn.org/hitoiki/P01.htm
しかし今の人間は佇まいを定めることなしに、 歩きながら、時には脇目もふらず走りながら“考える”ようになってしまっている。
それは恰も海洋を止まることなく泳ぎ捲くるマグロのように止まることは死をも意味するかのように、他者を顧みることもなくただひたすら憑かれたように。
それは今日の政治家、役人の盗人さながらの公金の収奪。
一度手を染めたらそこには終わりはない。
その咎を止める時は罪人として衆知に晒される時か、その役職を終わる時...
そのことにでさえ、“運不運”と思っている節さえうかがえる。
戦後の米国の食糧援助は真に人道援助であったと思う。
事実僕らは飢餓にあったし、もしもあの戦争があと数ヶ月続いていたなら今の僕らは存在しなかっただろう。
さらに“イフ”を加えるなら、ソ連に占領されていたなら、東西分裂の憂き目に会っていたなら...
それは、かつての東西ドイツのように、そして今日の朝鮮半島のように。島国の幸いか(笑)。
あの時代、ほぼ戦後10年ほどはこの国の時間は停止していた。
第二次大戦直後、アメリカは戦後復興政策のひとつとして、日本に、学校給食制度を導入した。
そして、日本の学童は、給食によってパンを食べることに慣れていった...
しかし果たして僕らは“パン食文化”になっただろうか?
貪欲な政治商人は走りながら考えたのではなかったか。
日本人の主食たる“米”を国家が法律で食糧管理し、世界一高価な“主食”を国民に食べさせる。
そして“減反”という生産調整を票田にしながら...
いかに食文化の多様化とはいえ、日本国民“米”を主食とするDNAは揺るがない。
自由主義を標榜しながら、社会の隅々まで規制という統制を仕掛け、国民をなえがしろに、その国民の存在などはなきがごとく為政をママにする。
それは自主流通米から、今度は米の“完全自由化”。
農民を規制統制で縛るだけ縛っておきながら、今度は“自由に競争せよ”である。
そして、農業の株式会社化を、農地解放で奪われたものをまるで取り返すかのような、
休耕地の宅地並み課税で、農民から農地を奪い取ろうとしている。
後継者のいない農家。それが政策だったのではないか。
結果、食料自給率“ゼロ”を偽装する「食の貧困」国家、“ニッポン”。
全てを売り渡した政治、それは食糧防衛、軍事的防衛。
軍事的防衛の観点からいえば、この30年100兆円もの防衛予算を使いながら、
自主的に国民の生命と財産を守れない“国家”の貧困さ。
そして、仮想敵国を偽装してまでそのゲームに興じる政治の脳みそ。
遺伝子組換農産物の輸入に検査の術はない。
因みに、BSEの肉骨粉は100%日清製粉(タブー)の“子会社”。
そして、日本国内の製パン、製麺業者への“粉”は、殆どが日清製粉とか...
食品汚染じゃあなくて、それは政官財の精神汚染じゃあないだろうか。
食料を「コントロール」され、生殺与奪の権を握られたら、もう後戻りは出来ない。
まあ、そのBSEも肉骨粉も噂が絶えて等しい。そしてこのデフレ。
「安く、安く」、そして「安く」
結局、「倫理も糸瓜もない」ところでの「商業」に堕ちる(笑)。
所得の減少は衣服の「ユニクロ化」だけではなく生きるモノ、最後の砦、「食」まで「ユニクロ化」することになる。なっている。
まさに、この「デフレスパイラル」、「安値競争激化」は「食」にいたり、「食文化」を崩壊する。
人間、パスカルじゃないが 「考える葦」は、考えることを止め、ただただ競争に走る。
止まったら負けだとばかりに。しまいには止まることを、考えることを赦されず鞭打たれひたすら走る牛馬のごとく。
ユニクロ化するニッポン人99%
I wish Abe had the wisdom of Snoopy...
「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。
その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。
意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。
これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、あらゆる行為の動機である」
http://inochi.jpn.org/hitoiki/P01.htm
しかし今の人間は佇まいを定めることなしに、 歩きながら、時には脇目もふらず走りながら“考える”ようになってしまっている。
それは恰も海洋を止まることなく泳ぎ捲くるマグロのように止まることは死をも意味するかのように、他者を顧みることもなくただひたすら憑かれたように。
それは今日の政治家、役人の盗人さながらの公金の収奪。
一度手を染めたらそこには終わりはない。
その咎を止める時は罪人として衆知に晒される時か、その役職を終わる時...
そのことにでさえ、“運不運”と思っている節さえうかがえる。
戦後の米国の食糧援助は真に人道援助であったと思う。
事実僕らは飢餓にあったし、もしもあの戦争があと数ヶ月続いていたなら今の僕らは存在しなかっただろう。
さらに“イフ”を加えるなら、ソ連に占領されていたなら、東西分裂の憂き目に会っていたなら...
それは、かつての東西ドイツのように、そして今日の朝鮮半島のように。島国の幸いか(笑)。
あの時代、ほぼ戦後10年ほどはこの国の時間は停止していた。
第二次大戦直後、アメリカは戦後復興政策のひとつとして、日本に、学校給食制度を導入した。
そして、日本の学童は、給食によってパンを食べることに慣れていった...
しかし果たして僕らは“パン食文化”になっただろうか?
貪欲な政治商人は走りながら考えたのではなかったか。
日本人の主食たる“米”を国家が法律で食糧管理し、世界一高価な“主食”を国民に食べさせる。
そして“減反”という生産調整を票田にしながら...
いかに食文化の多様化とはいえ、日本国民“米”を主食とするDNAは揺るがない。
自由主義を標榜しながら、社会の隅々まで規制という統制を仕掛け、国民をなえがしろに、その国民の存在などはなきがごとく為政をママにする。
それは自主流通米から、今度は米の“完全自由化”。
農民を規制統制で縛るだけ縛っておきながら、今度は“自由に競争せよ”である。
そして、農業の株式会社化を、農地解放で奪われたものをまるで取り返すかのような、
休耕地の宅地並み課税で、農民から農地を奪い取ろうとしている。
後継者のいない農家。それが政策だったのではないか。
結果、食料自給率“ゼロ”を偽装する「食の貧困」国家、“ニッポン”。
全てを売り渡した政治、それは食糧防衛、軍事的防衛。
軍事的防衛の観点からいえば、この30年100兆円もの防衛予算を使いながら、
自主的に国民の生命と財産を守れない“国家”の貧困さ。
そして、仮想敵国を偽装してまでそのゲームに興じる政治の脳みそ。
遺伝子組換農産物の輸入に検査の術はない。
因みに、BSEの肉骨粉は100%日清製粉(タブー)の“子会社”。
そして、日本国内の製パン、製麺業者への“粉”は、殆どが日清製粉とか...
食品汚染じゃあなくて、それは政官財の精神汚染じゃあないだろうか。
食料を「コントロール」され、生殺与奪の権を握られたら、もう後戻りは出来ない。
まあ、そのBSEも肉骨粉も噂が絶えて等しい。そしてこのデフレ。
「安く、安く」、そして「安く」
結局、「倫理も糸瓜もない」ところでの「商業」に堕ちる(笑)。
所得の減少は衣服の「ユニクロ化」だけではなく生きるモノ、最後の砦、「食」まで「ユニクロ化」することになる。なっている。
まさに、この「デフレスパイラル」、「安値競争激化」は「食」にいたり、「食文化」を崩壊する。
人間、パスカルじゃないが 「考える葦」は、考えることを止め、ただただ競争に走る。
止まったら負けだとばかりに。しまいには止まることを、考えることを赦されず鞭打たれひたすら走る牛馬のごとく。
ユニクロ化するニッポン人99%
Posted by 昭和24歳
at 11:31
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