2020年01月04日

昭和33年「高崎“SLな時代」

昭和33年「高崎“SLな時代」
昭和33年「高崎“SLな時代」
「高崎第一機関区」(東町)。

僕らの遊び場といえば上越線沿い、旭町の材木置き場、そして高崎鉄道管理局の敷地だった。
その材木置き場は代々の横丁の“隠れ家”がいくつもあって僕らもご多分にもれず、その隠れ家を作ってそこで遊んだ。

その材木置き場、高鉄管理局の先には国鉄の購買があって、そもそもそれがスーパーの始まりだろうか、
僕のおやじがポッポ屋だったのでよくその購買に母親に連れられて行ったのを覚えている。
そこに旭町の踏切があってその向こうが高崎第一機関区だ。

高崎第一機関区にはSLの車庫というのだろうか格納庫とでもいうのだろうか...
半円形のそれはターンテーブル、回転台につながりいつも数両のSLが忙しくしていたのが今でも目に浮かぶ。
いや、旭町のソレは踏切ではなかった。国鉄職員専用の通路になっていたのだった。
そこのところにはたしか、東町、東三条道路につながる歩行者用の陸橋の様なものがあって、
その陸橋が僕ら悪ガキの格好の遊び場になっていた・・・・・・

ひっきりなしに入れ替えをしていたSLが石炭と水を補給し、貨物、客車をつないで上越線を下る。
そのときその陸橋、僕らは「高橋(タカバシ)」と呼んでいたがその下をモクモクとした煙を噴き上げながら通過する。
そのとき、そのモクモクと噴き上げる煙の中に入って「児雷也!!」と、洒落こんだもんであった。

昭和33年「高崎“SLな時代」
児雷也って、昭和30年封切の新東宝の映画『伝奇大忍術映画 忍術児雷也』(1955年公開)

当時の少年たちを熱狂させた特撮忍術映画の代表作。大ガマから妖術の極意を授かった児雷也と、大蛇の精を受けた大蛇(おろち)丸の死闘。危機に陥った児雷也の救援にナメクジの精から変幻の術を会得した許嫁の綱手姫が駆けつける...
といった映画で、電気館でやってたやつです。

で、その「児雷也」を気取るのはいいが、まあSL、スティーム・ロコモーティブの噴き上げる噴煙でシャツは真黒、顔も真っ黒。
で、家に帰ると、「またっやってきたのかい」といつも母ちゃんに叱られてました。
そういえば、ある時ガキ大将の一人が線路に置き石をして汽車を止めてエライ騒ぎになったことがあったのを憶えています。

まあそんなこんなで、今ではタワーマンションやら芸術劇場やらなんやらしまいには競馬場が「Gメッセ」で当時の面影は微塵もありません。あの一帯は僕ら、悪ガキの「新世界」でした。
子どもの頃の僕らにとってはその第一機関区というか線路向こうは舗装もされてなく雨上がりの泥濘と晴れた日の土煙と荒涼とした未知の世界だった。
まあ、上越線、高崎線沿いの東三条道路一帯は工場だらけだったようにしか記憶にない。

そう、なぜか線路向こうには興味が湧かなかった。

それでも、小学生時代、多分5、6年生のころだったか、一、二度「高崎競馬場」まで探検に行ったことがあった。
それにしても、どの道をどう通って行ったかは全く覚えていない。
おそらく、八間道路、賛光ネオン、東京ガスタンクの間を抜ける大類里街道の踏切を渡り東三条通りに出て、そこを南へ高崎駅東口をかすり、今でいう競馬場通りに出たのか、
それとも、東口を東へ向かったのか、もちろん当時は建物なんかはほとんどなく一面が田んぼだった。
記憶にはないが、東口から高崎競馬場が見渡せたというのだから。

それにしても、たった60年でこうも変わってしまうモノなんですね。高崎駅東口「東町」「栄町」...




Posted by 昭和24歳  at 10:40 │Comments(0)

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