2019年12月31日

グラスロファミリーは市長と清水と樋口だけか...

グラスロファミリーは市長と清水と樋口だけか...
グラスロファミリーは市長と清水と樋口だけか...

それにしても640,062円横並び...

赤信号みんなで渡っちゃおうっていうのがすごいですね、税金ですけど。

で、無所属の三島久美子さんも640,062円也...

あらララァ~。新進気鋭の荒木征二さんも、古参の後閑太一さんも640,062円也です。

で、コレです↓

H31市長・市長選 選挙公営集計表

ま、ここいらで下級市民目線で行政洗ってがないと大変なことんありますね。

で、コレです↓

高崎経済大学教授・八木秀次 自治基本条例という妖怪が徘徊
2011.3.8 02:37 (1/3ページ)産経ニュース
地方政治は身近なようで遠い存在だ。理由は簡単。国政は政局を含めて詳細に報道されるが、地方政治は報道が少なく、有権者も関心を持ちにくいからだ。

 多くの人が無関心の中、ごく一部の人たちに地方政治が壟断(ろうだん)される仕組みが、これまた、ごく一部の人たちによって作られようとしている。各地で制定されている自治基本条例のことだ。既に100ほどの自治体で制定され、制定を検討している自治体も多い。

 制定が必要とされる理由に「その都市ならではのまちづくりのルールを決める」ことが挙げられている。が、奇妙なことに内容はどこでもほとんど同じ。後発の条例は既に制定している自治体の条例の都市名を変えただけのものだ。

 ◆自治労主導で金太郎アメに

 条例の内容が同じなのには理由がある。制定を推進しているのが自治労(全日本自治団体労働組合)で、策定を指導しているも自治労系の研究者だからだ。『2009-10年度 自治労 地域・自治体政策集』は「市民(住民)自治を中心に据えた『自治基本条例』を制定します」と明記し、群馬県高崎市では職員組合の現職書記長が条例策定のプロジェクトチームのメンバーとなり、策定を主導していたことが明らかになっている(2月18日付産経新聞)。

(リンク切れ)

ま、つうことですね。結果中身を共産党でさえ審議しないで「賛成」ですから(笑)。

グラスロファミリーは市長と清水と樋口だけか...




Posted by 昭和24歳  at 16:39 │Comments(10)

この記事へのコメント
更新楽しみにしています。
県議のグラスロファミリーもいたりして…
市政ウォッチ継続しなくては!
Posted by なかの at 2020年01月02日 07:34
>なかのさん

清水が入ってたら高井でしょ。
高井くんは菅田氏のコントロール下にありましたから。
仄聞ですが、今回の市長選挙は菅田氏の指導で富岡市長再戦に向けた県議選立候補でした。
ま、高崎観光協会理事でもありラジ高を仕切る岡田恵子氏が高井くんの選対本部長でしたから「オヤっ」でした(笑)。

市政、新風会の老害は殿、富岡賢治のケツを舐めるだけです。市民クラブも無所属も市議会議員という悪弊を踏襲してますし(笑)。
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2020年01月02日 08:50
ご無沙汰をしております。
高井俊一郎です。
亡き父が大変お世話になりました。

失礼ながら
3点コメントをさせていただきます。

①清水・樋口市議共に菅田さんとは
ほぼ面識はないはずです。

②現在はグラスロード=菅田 ではありません。私と同年代のスタッフが担っており、
彼らは今回の事件とは全く関係なく
彼らが一番困惑していると思います。

③私が昨年、県議出馬を決めたのは
菅田さんからの誘いでは断じてありません。
清水まさとさんの参議院出馬の流れからです。

以上、彼らにも私にも家族があり生活があります。他にも否定したいことがありますが
取り敢えず3点、指摘させていただきます。

これからもご指導宜しくお願いします。

高井俊一郎
Posted by 高井俊一郎 at 2020年01月07日 10:53
コメントありがとう。

あなたの初選挙では西公民館の演説、そして何箇所かの辻立ちにお父様と同道しました。我々の息子世代、つい昨日まで子供だと思っていたのが頼もしい限りだと飲む度に話しました。今回のあなたの後援会入会もお母さんからお手紙いただいて。僕はお母さんとも同級生で、何度か某所でお父さんともどもご一緒、20年前ですね一度僕のライブにもお二人で。
そんなことからあなたにはご期待申し上げておった一市民、突如不出馬には残念な思いがした次第です。

さて、今回の一件ですがご指摘の点まずお詫び申し上げます。憶測で書いていることは事実ですし。しかしながらグラスロードと行政の関わりには疑念を持つ僕のようなその業界をかじったその他市民は多いのも事実ですよ。ま、今回の事件で富岡市長の菅田氏への発言は僕の周りだけかもしれませんが異常だと。はっきり言って呆れ返ってます。

僕は東京での仕事に失敗して高崎に平成8年に返てきました。やることは音楽しかないのでピアノプラザの中森さんにお世話になったりの生活の中暇があるので高崎市新庁舎建設あたりから市政に興味があって当時から市議会議事録を「読書」することを趣味としました(笑)。
そうしたことから、今回の一件に関しても、P.82 平成24年6月定例会(第3回)-06月14日-03号、あなたと富岡市長のバトルには注視、まったくもってあなたの言ってることが正しいと、ま、その負の遺産を受け継ぐのはあなたたち世代、そして僕らの孫世代ですから当然といえば当然ですね。
だから、あなたが市長選挙に出馬との噂が立った時は内心ほくそ笑みました。このあたりで世代交代してくれと。しかし、それが県議選でした。
あなたはお忘れかもしれませんが、選対部長「岡田恵子」さんを伴って偶然かもしれませんがご挨拶いただいたとき愕然としたのを今でも忘れません。それはあなたの県議選に菅田氏の思惑というより、富岡市長との「密約」でもと(笑)。つまり、それくらい富岡陣営はあなたの市長選出馬を恐れていたというお噂でしたし。ブログで書いたとおり「菅田のコントロール下」、「おやでした」は僕らは野次馬ですから事実をもとにしたものではなく噂話をそのまま書いた次第です。であればお詫び申し上げます。

>他にも否定したいことがありますが

どうぞ忌憚のないところを...

お母さんはお元気にしておられますか?

たしか、ジャズがお好きだったと。とくに「ローズマリー・クルーニー」が好きだと。
僕のライブにお二人でいらっしゃった時そのロージーの♪On A Slow Boat To China ♪を歌ったのを憶えてます。

お父さんは飲むといつもあなたのお話を、まだ選挙に出る前のことです。
あのお父さんの野太いガラガラ声、今でも懐かしく思い出します。
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2020年01月07日 14:23
ありがとうございます。

まっすぐ返信をいただきまして
嬉しいです。

父を想いました。 
母は元気で神社を手伝ってくれています。

私も真っ直ぐ返信をさせていただきます。
少しお待ちください。

一点、岡田恵子さんは確かに実力者ですが
菅田さんや市長にもしっかり正論でモノを
言える数少ない大人です。

他の実力者のように陰で言うだけではなく
しっかり考えをぶつけます。

私は彼女を信頼をしております。

また、返信させていただきます。

ありがとうございます。

高井俊一郎
Posted by 高井俊一郎 at 2020年01月08日 07:58
僕も僕のイベントで岡田さんには大変お世話になってます。
たしか4年前の「高崎中央銀座通りの復活」」をテーマに「2016年9月10日キネマ横丁「昭和の風コンサート」では中銀組合長(当時)故・大崎さんを紹介してくれたりラジ高に出させていたぢたりと。でそのイベントでも岡田さんのお母さんやお母さんのお友達にチケット売ってくれたり、そう「、会場が電気感ということもあって菅田さん、志尾さんもご紹介いただき70人のキャパに160人ものお客様が押しかけるという大成功裏に終わったイベントでした。

>一点、

失礼ながらあの時の「岡田さん」と「高井さん」の取り合わせに愕然という表現が間違ってたんでしょうか、正直、てっきりあなたが市長選に打って出るとご期待申し上げてた明かりに。しかしそこに失礼の段あったとしたらご容赦下さい。

そうですか、お母さんお元気で何よりですね。
あの時あなたが「母は帯状疱疹が」と仰ってたように記憶しておったもんですから気になっておりました。余計な事を言ってしまったようで...

僕の家内は阿久津です。昔は家族連れ立って15日には八幡様へ行きました。
大家族で、そんな叔父叔母も一人二人と鬼籍に、9人中健在なのが3人。
僕も娘3人、孫6人。そうだ、長女は多分あなたと同い年、昭和51年3月25日。

遺り言葉です。ぜひ直言を。

渡辺一
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2020年01月08日 19:27
7年前~6年前 東口開発に対して反対をしました。

一番の理由は、ビジョンからのプロセスが乱暴で感覚的に「危険だなあ」 と思ったからです。

しかし、それは自分が市長になりたいからではなく、本当にそう感じただけでした。

だから市長選挙にでる勇気なんてありませんでした。

市議不出馬は、政治的に筋が通らなくなったからです。
自分の精一杯を正直な時間に傾けたいと思いました。

この間、早稲田で公共経営を学びました。
政治を学んでこなかったというコンプレックスがありましたので良い時間でした。

仲間との良い出会いもたくさんありました。

学ぶと実践に活かしたいと思いました。

政治に戻るチャンスが昨年の1月24日に突如やってきました。

これが戻れる最期のチャンスかもしれないと思うと決意をせざるをえませんでした。


だから今は幸せです。


父は60代で他界しました。
勝手に80年は生きるのだろうと思っていたのでやはりショックでした。

母は昨年、神社で働きすぎて帯状疱疹になりました。父のいない寂しさを紛らわせて欲しいとの考えからでしたが、年齢を考えてあげなくてはなァと反省をしました。

人生は思っているより短いと感じています。

自分に正直に生きていますが、40にして迷いがなくなってきました。

高井俊一郎
Posted by 高井俊一郎 at 2020年01月09日 07:22
>人生は思っているより短いと感じています。

そうですね。けしてノスタルジックなのではなく30代から今日までの時間は余りにも短かった、実感です。
正月長女の亭主(46歳)といろいろ話しました。彼は長崎県壱岐市の出身、現在はスターバックスのコーヒースペシャリストとして多忙を極めてます。長女もそのスターバックス新宿丸井店の店長として3人の子供を育てながら奮闘中。
彼も言ってました「人生は短い」って。その意味で自分に正直に生きることへの難しさを実感しているようです。
そう、今の40代は最も「不憫」な時代を過ごしているように思えてなりません。僕らは余りにも恵まれすぎた時代だった。夢を見て、その夢を追いかけて、その夢に触れることができた。今は多くの団塊世代はその余韻の中に生きているのではないかと。
あなたのお父さんも銀行マンとして確たる人生を生きたのではないかと想像できます。

今日の現役世代には政治の救いが必要です。声の上げ方さえ知らない。そのため自分の環境を訴えることができない。選挙があっても投票行動を起こす動機さえ見つけられない社会の中で情報から分断された切り刻まれたマイノリティの彼らは。僕ら団塊世代で言った「連帯」といった自然発生的な意識の共有さえできない
そんな彼らがなんの政府の助けも受けることができず今後10年、20年、30年普通に生きることが出来るだろうか。人口も経済もこのままではシュリンクしていくしかないこの国、地方において。
以上は客観的意見ですが、政治家、高井俊一郎さんの心の隅にでもおいていただけたら幸いです。
近い将来確実に終わる僕ら世代は、統計からも明らかなように高崎市だけで約11万人、が消えるのです。釈迦に説法で済みません。

高井さん、再起動されたあなたの後ろには1万4946もの声無き声をいつもおそばに。
とくにあなたと同世代の「就職氷河期世代」の皆さんを...
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2020年01月09日 15:37
ありがとうございます。

昨年の選挙を振り返ると
組織、団体が現職に流れる中
同世代を中心に人から人へという
ゲリラ的な選挙でした。

実質、準備なしの2ヶ月間で
30代40代と地元中心でやった
清々しい選挙でした。

だから、彼らの想いは当然大切にしますし
シガラミが少ないので自由闊達に活動ができます。

自分勝手な私を応援してくれた仲間や
市民県民のためにも精一杯動き続けます。

だから、見返りなく応援してくれた仲間を
守りたくなりました。すみませんでした。



追伸、今日は成人式です。
音楽センターはたくさんの新成人のパワーで
活気が溢れています。

次世代のために今日の政治がある。
この想いは変わりません。

これからも、ご指導宜しくお願いします

高井俊一郎
Posted by 高井俊一郎 at 2020年01月12日 10:48
>見返りなく応援してくれた仲間を 守りたくなりました。

断片的な情報をソースにした発信、お許し下さい。

「若いということは」けして見返りなどを求めるものではないですね。それは情熱です。
それは僕らにもあった...

昭和46年の市長選挙。僕は当時22歳でした。
確か現職の住谷啓三郎(中曽根)、吉井英太郎(福田)、その間隙を縫って高崎商業高校の元校長、沼賀健次(元民社党)が立候補。
実はその前に高崎医師会、歯科医師会、消防関連、特定郵便局連合会、保健衛生関連の支持を受けた安藤製薬会長で、現役の県会議員、多分当時副議長の安藤賢一立候補を表明し、事務所も開き準備万端だった。
そんな時、知人の安藤事務所関係者に「渡辺君、アンケンさんの運転手やってくんねぇか?」と。ま、僕も「アンケン」さんの弟安藤文夫社長の長女と同級生で町内も近かったせいで顔見知りということでその「運転手」をお手伝いさせていただいた。

それはわずか3ヶ月でした、準備期間の。それでも後援会も固まり当時、アンケンさんは消防長もしており、大生相互銀行(東和)の役員、それに県議会議員と多忙を極めていました。
早朝、事務所(羅漢町)に出て、朝食を弓町のご隠居「安藤震四郎宅へお届け。それから打ち合わせをして後援者周り、小川薬品、善如寺グループ、温井グループ、理美容組合、医師会、歯科医師会、議会と日産ブルーバードでてんてこ舞い。夜は夜で会合への送迎。その車の中ではアンケンさんにはいろいろお話を聞かせてもらいました。まだ、関越も新幹線も通ってない時代です。

「君、高崎は変わるよ」と仰ったその言葉は今も忘れません。

で、羅漢町の事務所は事務長の福原さんと、紋谷さんという特定郵便局会の重役が詰めていて若造の僕なんかは叱られっぱなしでした。
でも、そこに当時の政治の実態を見た。良い経験でしたね。
見返りを求めて来る人がほとんどで、まそれくらいアンケンさんの市長選の勝算はあった。
しかし、告示日も迫ったある日事務所の様子は一変した。支援者が突然誰も来なくなった。

安藤賢一県議会議員は高崎市市長選への立候補を取りやめた...
僕ら事務所のものはその事情を知る由もなかった。多分、中曽根=住谷のラインでの手打ちだったのか。住谷も沼賀に勝つには安藤の票を現職の強みで摘み取る、それしかなかったのか。しかしそのことで沼賀陣営は勢いづいた。
結果、農協をバックにした県会議員の吉井英太郎も住谷啓三郎も落選。
高商パワーは凄かった。昭和46年です、学生運動、70年安保闘争も沈静化し当時の若者団塊世代票は高商卒業生を中心に沼賀健次へとなだれこんだ。

高井さん、将来のためにも20代、30代の若者を啓発してください。
そのことは、彼ら自身の問題なのですから。当たっているかどうかはわかりませんが、非正規雇用を悲観するだけではなんの解決策にもなりません。結婚しない、できない。それを世の中、社会のせいにしていても馬齢を喰むだけです。
僕は、彼らを覚醒させるには、そこには発信力のあるあなたのような政治家の「一言」が必要だと思っています。

僕が22歳の時に見た政治と、今日の政治、ほとんど変わるものがないと感じるのは間違いでしょうか。
もうすぐ確実に終わる僕ら...
そんな「僕ら」は僕らで今、今を、子、孫、ひ孫の将来を真剣に考えています。
そして僕らの終わり方もね。どうにしたら現役世代に負担なく終わりにできるかを。
ま、終わりが確実なものとなってようやく欲から解き放たれた、そんな思いです。
スミマセン、いつも長文になってしまって(^_^;)
渡辺一
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2020年01月13日 14:50
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