2019年10月07日

【訃報】鉄腕、国鉄・400勝、金田正一さん逝く…

【訃報】鉄腕、国鉄・400勝、金田正一さん逝く…
【訃報】鉄腕、国鉄・400勝、金田正一さん逝く…
開幕戦で国鉄のエース金田正一と対戦したが、4打席とも三振で散々なデビューだった。
<出典:朝日新聞フォトアーカイブ>

金田正一さん、硬かった親指に苦闘と覚悟みた…記者が悼む
 金田さんの左手親指に触れたことがある。黄金の左腕を私の眼前に突き出し「ホレ、記念に触らせてあげよう」と笑顔で言った。

【写真】これが豪快な投球フォームの連続写真(1965年撮影)

 2014年のインタビューでのこと。大きい手で長い指だったが、かつて白球を握った場所は爪と肉がえぐり取られ、ボールの形状をなぞるように曲がっていた。「ワシのカーブは手品みたいなモンよ。投げる瞬間に親指で回転を一度止める高等技術を使ってな」。恐る恐る0・2秒くらい触れると石のように硬かった。「な? あんなに投げるとな。こんなになっちゃうんだよ」。鉄腕と呼ばれた栄光の裏側に隠した苦闘と覚悟を垣間見た気がした。

<抜粋引用:10/7(月) 6:20配信 スポーツ報知>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191007-00000055-sph-base

「昭和逝く」。そんな感じですかね。

僕ら団塊世代は、多くが野球少年だった。まだテレビのなかった時代です。

突如として現れたのが4番サード「長島茂雄」。そして一本足打法ホームラン王「王貞治」。

その長島のデビュー戦で4打席4三振に仕留めたのが国鉄スワローズの鉄腕「金田正一投手」。

ま、敗戦から干支が一回りした頃の話で、僕が小学校4年かな?

で日本は高度経済成長前夜ですから娯楽といえば、ラジオ、映画くらいでもちろんテレビは出始め。

いったら、街頭テレビの時代だったろうか、まぁ、野球、相撲、プロレスに熱狂してましたね。

「巨人・大鵬・卵焼き」そんな時代でした…

僕は一度だけ本物の「金田正一」を見たことがあった。

それは、僕が高崎のキャバレー・ニュージャパンでドラムを叩いていた頃、そこへ金華亭の社長と伴っていらした金田正一、でっかったなぁ。

そうだ、長島と王も生で見たことがあった。それは昭和37年、高崎中央デパートのオープンの時。

どういうわけかは知らないがその長島選手と王選手が中央デパートのエレベーターに乗るところをやじうました13歳の頃の話。

まぁ、昭和を彩ったスターがひとつ、ひとつ消えてゆきます…

【訃報】鉄腕、国鉄・400勝、金田正一さん逝く…



Posted by 昭和24歳  at 09:10 │Comments(0)

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