2019年09月19日

“像の檻の中の小さな島国”

“像の檻の中の小さな島国”
“像の檻の中の小さな島国”
巨大なアンテナ -
「象のオリ」「スペース・フェンス」

https://news.mynavi.jp/article/military_it-194/

少しだけ聞いて欲しいこと

この国が平和だなんて真っ赤な嘘・・・

“像の檻の中の小さな島国”

それがこの国の真の姿。

大人(国家)たちに勇気がないばかりにいつしか、それがこの国の真の姿。

昭和30年。実は“朝鮮戦争”に僕らの父、兄世代は実質狩り出されていた。日本海の魚雷掃討作戦に、戦死者も出てる。
そのことに口をつむぐ勇気のない大人たち(国家)。

12年後の昭和42年にはすでに“ベトナム戦争”が勃発。
米国領であった沖縄はそのベトナム戦争の最重要基地(米国の統治下)、厚木・横田・福生・座間・横須賀・佐世保・・・・・・
これらの米軍基地も米軍を最大に支援した重要な兵站基地。

それは僕らが18歳の頃でした。

実は、この国、戦争と背中あわせ、いや、戦争の渦中にあったのです。

朝鮮戦争とベトナム戦争はその悲劇とは裏腹にこの国に奇跡的な経済発展をもたらしました。
なんのことはない北朝鮮、韓国国民、ベトナム国民数百万人もの命を犠牲にしてのこの国の今日ともいえるのです(朝鮮特需、ベトナム特需)。

一方アメリカ合衆国でも猛然とした“反戦運動”の嵐が吹き荒れました。
奇しくも、その反戦運動がアメリカのベビーブーマー世代を直撃したのです。

イタリア系移民、ドイツ系移民、アフリカ系アメリカ人の若者が徴兵という名の下に数万人が犠牲になりました。

その頃、この国ではまるで何事もないかのような“経済発展”を謳歌していたのです。
この国の政府は、当然米政府もそうした若者の反戦運動をそらす為に“音楽・スポーツ・映画”で世情を工作しました。

この国の学生運動、労働組合運動も所詮は“像の檻の中の平和”の中での“内向き”な闘争でしかありませんでした。

結果、その当時の若者が“僕ら”です。

この国のなにが変わったでしょうか?
この国が、この国の人々が真に願う“平和”が今日はたして“約束”されてるでしょうか。
この国自身として。

政府、政治家の言葉を取れば、

どうやらこの国の“真の平和”を約束してくれるのはかつての占領国、“アメリカ合衆国”とのことです。

吉田茂元首相は、“日米安保”を捉えて・・・

「あれは占領を解除する為の条約だった。
ということは『講和によりこの国が独立後、出来るだけ早い内に“米軍”には引き上げてもらう』
それが条件だった」

そのように回顧録には記しています。

「岸はなんていう馬鹿なことをしたんだ」と、

“60年安保”を批准した“岸内閣総理大臣”を指していってます。

岸信介。東条内閣の商工大臣で満州国の実質総責任者。“A級戦犯”容疑者。
安倍晋三内閣総理大臣の祖父。

その経緯からも、“安倍晋三”はあってはならないと思っています。

“それに”

この国が平和だなんて真っ赤な嘘・・・

少しだけ聞いて欲しいこと

“像の檻の中の小さな島国”

ぼくは2人の人間を殺した。

AK47と呼ばれる小型武器で。

小型武器とは、

ぼくたち子どもでも扱える小さくて軽い武器のことだ。

でも、この武器は僕らの国では作っていない。

ぼくが使っていた武器は外国から入ってきたものだった。

ぼくらのことを

チャイルドソルジャー(子ども兵)と人は呼ぶ。

小型武器を持って戦う兵士だからだ。

でも、2年前までぼくはふつうの子どもだった。

家族がいて友達がいて幸せに暮らしていた。

ある日、大人の兵士が村にやってきてぼくを連れ去った。

ぼくはその日から兵士になった。

ぼくは人の殺し方を教え込まれ戦場で戦った。

逃げようとした友達は大人の兵士に耳を切り落とされた。

ぼくの目の前で友達が殺されていった。

女の子は大人の兵士に乱暴された。

怖かった。

家に帰りたかった。

お母さんに会いたかった。

運よく、ぼくは大人の兵士がいないときに

軍隊から逃げ出すことができた。

村に帰ってきたが、友達は誰もいなかった。

ぼくはみんなに「人殺し」といわれ学校ではいじめられた。

家族や親戚からも怖がられ
前みたいな幸せは戻ってこなかった。

悲しかった。

寂しかった。

あるのは絶望だけだった・・・。

ぼくは何度も死のうと思った。

そして、何度も何度も自分自身に問いかけてみた。

ぼくは何のために生まれてきたのか?

ぼくはなぜ生きているのか?

ぼくは生きる価値がはあるのか?

ぼくにできることはあるのか?


「もし、ぼくに何かできることがあるなら、ぼくには生きる意味がある 」

ぼくはそう思った。

ぼくに何ができるか?


「ぼくとおなじ悲しみを、子どもたちに体験させたくない」

ぼくはそう思った。

ぼくには紛争の「悲しみ」を伝えることができる。

ぼくには平和の「喜び」を伝えることができる。

ぼくには、ぼくにしかできないことがある。

今、ぼくは先生になってそのことを伝えていこうと思っている。

ぼくの夢は学校の先生になること。

むずかしいかもしれないけど

あきらめずに夢を追っていきたい。

「ぼくは13歳 職業、兵士」
ウガンダの子ども兵からのメッセージより





Posted by 昭和24歳  at 12:00 │Comments(0)

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