2019年09月18日

松方デフレ下の群馬事件

松方デフレ下の群馬事件
松方デフレ下の群馬事件

困民党事件

明治中期、負債の利子減免などを要求して騒動を起こした農民組織。
明治14年、松方財政が強行した紙幣整理による不況下で、養蚕、製糸、製茶など農家副業的経営に急激な行詰りをみせた、
関東、中部地方の農民が、負債利子減免、元金年賦償却などを要求して蜂起した。
明治17年の群馬事件や秩父事件にも、自由党員の指導を得て、これらの組織が蜂起している。
実際には自由民権運動ではないが、時代の必然性が生んだ民衆運動であったように思う。借金党。負債党。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

群馬事件

群馬事件(ぐんまじけん)は、1884年(明治17年)5月に群馬県北甘楽郡で起こった自由党急進派と農民による自由民権運動の激化事件である。

明治15年からの松方デフレにより全国的に農民は困窮し、負債で苦しんでいた。群馬県北甘楽郡でも30余の村の村民が県へ陳情するほどであった。党本部の政府寄り姿勢に憤っていた群馬の自由党指導者・清水永三郎は、この状況を見て党勢拡大を意図し、集会などを開いて反政府感情を煽っていた。そして1884年3月、清水は湯浅理平・小林安兵衛・三浦桃之助ら同志とともに、北甘楽郡周辺の農民のほか猟師・博徒も誘って政府転覆を計画する。だがこの最初の計画は4月に清水らが政府密偵謀殺容疑をかけられ他県へ逃亡したことにより一旦頓挫した。


明治17年5月、群馬県の自由党員らが・・・
高崎駅開通式に参集する政府高官の襲撃を企てたが、式が延期されたので、警察署、高利貸を襲った事件。
清水永三郎ら指導者は逮捕され、有期徒刑に処された。 それは僕の曾祖父の世代でした。
為政者の形はそれから何年経っても変わりません。

民衆は愚かではありません。今日、現代では、見えない「身分制度」の下に社会が作られています。

世襲制は、非競争社会の「政治家・官僚・財界・公務員」。
それらは殆どが戦後の財閥解体、農地解放以後また、元通りの姿に直っています。

高利貸しの世界でも、多くが「大蔵・警察・法務官僚退職者」の受け皿で大衆、民衆の困窮を知ることすらありません。

いいでしょう・・・耳障りの良い「言葉」に酔い、泡沫の「夢」を見るのも。
しかし、それは至極当然に凄惨な時代の到来を予兆しています。図らずも、歴史はそう繰返してます。

極一部の富裕、支配者階級の欲望で、何処でどれほどの人間が阿鼻叫喚しようとも、それは「他人事」。
事の前後は別にしても、この地球上に「世界」があるとしても、近代文明は僅か100年。

その間の科学技術の進歩に惑わされ、如何に人類が慟哭したか・・・
そこに思いを馳せる術を先の社会階層に生息する生物は持つはずもないでしょう。

それをあり難く頂こうとする「卑しい」人種がそこに集る。

60年安保でダレスを羽田から押返した世代の皆さん・・・・・

もう一度思い出してください、あなた達の同期が各界で修羅を創作しているのです。

世代的に見れば、「敵は我にあり」でしょう。

僕等の世代も、そしてあなた達の世代も、「オトシマエ」をつけるには、残された時間は僅か。

せめて、知ることをお話ください・・・・・

僕等の父母の世代も、知ることを少しづつにも語りはじめてます。

「加害者でありえないはずの被害者」。
一億総国民「懺悔せよ」。とは、一体誰に向けている言葉なのか・・・・・

本来なら、僕等世代も父母の世代の分の「戦後補償」を、今も厳然と威風する「大日本帝国」の“団塊”に突きつけたい。

松方デフレ下の群馬事件



Posted by 昭和24歳  at 20:29 │Comments(0)

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