2019年05月29日

みんな農民だった昭和

みんな農民だった昭和
みんな農民だった昭和

一般的には1947年(昭和22年)、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革を指す。元々、日本の官僚の間には農村の疲弊を打開するために地主制度を解体する案はあったが、財界人や皇族・華族といった地主層の抵抗が強く、実施できなかったものをGHQの威を借りて実現したといえる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%9C%B0%E6%94%B9%E9%9D%A9

 戦後です。僕の生まれたとこは群馬県碓氷郡豊岡村大字上豊岡七八七蕃地ノ壱。現在の高崎市上豊岡町だが、僕が生まれる前、戦前は現在の国道406号は僕の家の裏を通っていて、まあ、自動車まない時代だったのでせいぜいが自転車か大八車の往来にことた率程度、幅員一間程の「芭蕉」でも歩きそうな道だった。

 僕は生まれるとすぐ高崎の街中に養子に出され、詳らかではないが、家の庭をバラスの「新道」が通った。僕が子供の頃にはよく高崎の本町三丁目から「引間」という停留所の「おばあちゃんち」へバスで行った。

 そう、僕も生まれは農民、農家、百姓の小倅。昭和20年、敗戦の頃は日本の労働人口の7割が農林漁業従事者だった。

 農民だった祖父、松原与三郎は、父、松原平七・母、うたの四男として明治17年11がつ1日に生まれる。祖母、アキは父、五十嵐近造・母、リトの三女として明治19年8月25日に高崎市大字石原四千八百壱番地に生まれ大正元年拾月弐拾四日婚姻とある。

 もちろん当然父母も農民で、父、松原保夫は父を松原与三郎、母をアキに大正弐年壱月拾日に生まれる。母は満津子は大正六年拾壱月弐拾壱日、父、荏原富七郎・母、テルの参女として勢多郡南橘村大字田口五百四拾弐番地ノ貳に生まれ、昭和壱参年四月弐拾弐日に松原保夫と婚姻。

 令和元年。祖父母も父母も既に没しているが、その大字上豊岡はかなり広い地域だ。よって僕の記憶では、生家の前が「引間」というバス停だったのと、その付近の集落を「引間」と呼んでいた。
 祖父はご案内のように農家の四男で松原ファミリーには本家というのがあってそこから祖母と結婚と同時に「新宅」としてその里見街道(406号)沿いに居を構えたようだ。僕が物心着いた頃は祖父ほとんど病床に臥していた。
 いつの時代もおんなじで、祖父も日露戦争出征に昭和恐慌とかで祖母とも大正9年10月18日協議離婚、昭和15年2月16日といろいろ大変だったようだ。

 祖父が亡くなったのが昭和30年祖母が昭和33年に。僕の小さい頃、多分保育書の頃だっただろうかおばあちゃんちには馬も牛も豚もいたような記憶が。戦前はその集落一軒の万屋で味噌、醤油、酒から商っていたらしい。
 戦後、父が昭和22年に復員すると、父は祖父と高崎市場の仲買をしていたとか母が話してた。僕が今でもよく覚えてるのは小学校2,3年生の頃のことだから昭和31,2年だったろうか、家の近くには桃畑があって、信越線の線路手前あたりには麦畑、2毛作、コメ、麦と耕作してたんだろうか。そう言えば納屋には脱穀機があって悪戯して叱られたのを憶えている。

 なんといってもおばあちゃんちの一番の思い出は剣崎の桃畑で桃をもいだことだ。10歳年上の姉が運転するハンドル式のオート三輪揺られて、なんたってそういう乗り物に乗せてもらうのは初めてだったしおばあちゃんちへ行くといつも桃もぎをねだった。
 その桃は「天津」っていう品種で固くて酸っぱくて、またそれがたまらなく美味しくてもぎたての「天津桃」を畑のそばを流れる清水で冷やして食べる。美味しいのなんのって今でも思い出すと口の中がじわっとくる。

 そうだおばあちゃんちは「梅」の栽培もやっていた。そこを父も姉たちも「桃山」「梅山」といっていて時期になると親戚のおじさんたちが手伝いに来て家族総出でやっていた。桃は美味しくてすぐ食べられたけど梅は、「食うと腹壊すぞ」と父に言われて、もっともかじっては見たもののただ苦いだけで食べようなんて思わなかった。
 その桃山も梅山も父が糖尿病で病に臥す頃になるとその辺、剣崎一帯が宅地造成。そう、高度経済成長真っ只中、そして農業従事者の高齢化でその一帯の果樹畑も見る間に住宅地となっていった。それが「桃ケ丘」とも呼ばれている剣崎丘陵。
 そして農地改革なんだが戦後のそれ、あの豊岡っていうかあの一帯の農村はどうだったんだろうか。どこかに大地主がいてその小作人だったんだろうか、祖父、父たち。まあ、田畑は少なかったようで戦後は自治行政の中「果樹栽培」を推進する中に父たちの活路はあったんだろうか。

 農地改革とはGHQの占領政策の一環で「農本主義」としてきた日本にとって大きな革命だった。
 つまり、コメ等農産物を生産する土地はこの日本において明治時代の産業近代化にあっても食糧生産自給の観点から「農地」は資本だった。つまり、資本主義における資本が財閥にあるように「農地」はこの国開国以来、所有者が豪農でその地の支配者、武家制度のもとではその上に大名があり、幕府があった。

 それが日本国敗戦という歴史的出来事にその伝統的制度が、アベノミクスふうに言えば岩盤規制をこじ開けた。大地主、農資本が小作人にすべてGHQの条件の下、それは・・・

国が買い手に超破格の支払い条件をつけてやったことです。
「24年の年賦、利率3.2%」!!

 小作人に売り渡しが昭和22年からですから24年の年賦利息3.2%ですから支払い終わるの24年後ということは昭和46年。しかもその農地解放とは占領軍の何おいて日本政府が「地主」から強制的に収用し上の条件で売り渡した。
 で、大地主には政府からその農地解放、収用に際しいくら支払われたかだが。これが小作人にとっては実に素晴らしい、しかし地主にとってはひさんな、悲劇的な出来事でした。
 それは、国が強制的に収用した農地の地主への支払いは、小作人へ売却したのと同じ金額が対価として支払われ。しかし支払いは現金ではなく、・・・

農地被買収者国庫債券で支払い。つまり国債です。

で、条件は、「償還期間24年、利率3.65%」でした。
 つまり戦後から24年間のインフレ、消費者物価上昇を考えたら小作人の人タダみたいなもんです。
 しかし、当時の大蔵省、官僚は頭いいですね。ま、今で言う富裕層、っていうか富豪から30年もの国債を「無利子国債」で、1400兆円の金融資産を強制収容する。ま、金融資産とまで言わなくとも「現預金880兆円」を30年もの無利子国債で、利率3.65%で。

 今の政治か。高級官僚そんくらい頭使ってくれないと下々生活苦から脱出できません。
 ま、今、880兆円政府、国民のために使えたら大体のことは解決します。少子高齢化も解決、30年以内に起こるかも知れない「地下直下型自信」「南海トラフ地震」のための国家強靭化政策、高等教育無償化、子育て世代家庭にヘリコプターマネー、介護士の公務員化等々、なんでも出来ちゃいます。

 そしたら、GDP、1000兆円。トヨタをはじめとする科学技術開発等、研究費にバンバン投資する。
 そしたら消費税、増税なんかしてる場合じゃあない。下々、市県民税非課税者なんていなくなって働く人がみんな所得税を払うようになる。法人税もジャカスカ入ってくる。
 ま、アレです。GHQのアイディアでした。でもトランプ大統領だって、そしたら日本国民99%の下々、アメリカ製品買うだろうし、日本人サイズのMADE IN USAの衣料品なんてユニクロ、しまむら、どころじゃあなくバンバン売れると思うよ。

 自動車だって「フォードの軽」とか「GMの軽」とかあったら、スズキ、真っ青だと思うけど。だけど日本人のセンスとしては絶対に「MADE IN USA」じゃないとダメ、とにかく絶対にダメ。タグに「MADE IN CHINA」は死んでもダメ、最近はそうでもないみたいだけど。だって「IVANKA」ブランドが「MADE IN CHINA」だって言うし。

 まあ、そんなわけで「農地改革」だけど戦後日本の高度経済成長と田中角栄の「日本列島改造」で高速道路、新幹線用地供出、そして都市計画で道路計画で、そういやあ、中居とか佐野とか飯塚、並榎とか貝沢、井野とかの農民て先祖代々の地主だったんだろうか。
 どうなんだろ、昭和40年ころはほとんどが農地だったそこに高前バイパスが開通したあたりからあの辺の農家がやたらと金ピカになってったような気がしないでもない。 ま、違う人もいるだろうから一概には言えないけど、その「農地改革」で、タダ同然で広大な土地を手にした小作人様、しこたま裕福なんだろうから、そういうところから・・・

 令和版「農地改革」で30年無利子国債で眠る現金を。

 ま、銀行予期は0%、定期預金にしたって0%以下、それが令和版「農地改革」で30年無利子国債だと利率は利率3.65%だったらいいんじゃあないの。30年ったら孫、ひ孫の代だけど。

 で、30年経って償還機が来たら政府、「ない袖はふれません」で、ジャンプ、ジャンプでいいんじゃあないの。
 小作人様だってどうせタダで手に入れたもんだしね。

みんな農民だった昭和



Posted by 昭和24歳  at 17:35 │Comments(0)

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