2019年04月18日

ストレイキッズ(Ⅰ)

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戦争が終わった 敗戦の「玉音放送」
1945(昭和20)年8月15日、農家の家族がこうべを垂れているのは宮城(皇居)の方向。正午からラジオで流された昭和天皇の「玉音放送」(終戦の詔勅)をそろって聞いた。ポツダム宣言を受諾し、日本が無条件降伏した。ようやく太平洋戦争が終わったことを国民は初めて知らされた。(撮影場所不明)
2010/08/15 08:04 【共同通信】


そして、何がどう変わったのか???

極東。つまり地球の東の果てにある島国の野良の民。

時計の針は「あの頃」と・・・・・・

一分一秒たりとも進んではいなかった。

日本人の心には未だ封建制の残滓が多く残っており、それを眼こそぎにするには長い時間がかかるだろうと感じている。
日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。

抜粋引用:ホイットニー文書 昭和天皇の日本国民に対する見解全文
ソース:ttp://www.asyura2.com/0505/war71/msg/430.html

その記憶を消し去ろうとする為政・・・・・

つまり、「元の木阿弥」。

少なくとも「考える」ことを始めた民心を根こそぎ祀りさる。

日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、
日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。
徳川政権は、民は指導者に従うべきであり、そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない、という論理のうえに築かれていた。
かくして、平均的な日本人は、自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。

抜粋引用:ホイットニー文書 昭和天皇の日本国民に対する見解全文
ソース:ttp://www.asyura2.com/0505/war71/msg/430.html

「創意工夫」はひとつの組織内においては評価されるが・・・・・

その「創意工夫」も対外組織にあっては常に敵愾的である。

いわゆる、「村八分」のそれだが「悪」との風評には袋叩きにする。

事実も、真実も知ろうとはせず、闇雲に「風評」を誤認するのはなぜか?

もっとも、そこには多くの大衆が参加することはない、不可能なのか。

その風評だけが一人歩きをし、空気を醸造する・・・・・

そして時を待ってのその結果が「風評」であったことが判明してもその印象はそのまま。

戦後の疑獄事件の多くが、その「風評」の類、それも創られた。

そしてそれらは忘れられた頃その事実が語られる、世の中の片隅に。

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Posted by 昭和24歳  at 07:40 │Comments(0)

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