2018年12月02日

アレは昭和45年頃だったろうか



アレは昭和45年頃だったろうかミュージシャン修行の最中だった。
ま、出番があまりないので生活費稼ぎのために「陸送」のアルバイトをした。

川崎の「ふそう」の工場から全国にトラック(スケルトン)を自走納品する仕事。
大阪、寝屋川の「ふそう」へはよく行きました。とにかく時間との勝負なので、帰社は伊丹から飛行機。
その他は鳥取、島根、広島、徳島、高松、松山、高知へと。
北は仙台、盛岡、青森、秋田、山形。福島、新潟、富山、金沢、福井。

北海道、九州、沖縄はフェリーでしたね。
とにかく高度経済成長、物流が全盛時代でトラックが飛ぶように売れた時代。
もちろん関越道は東松山まで、東北道も郡山まで、あとは一般国道走行。
だから、帰りは全部飛行機、7か月くらいやったかな。そのうちバンドの仕事が入ってきて、そんな時代でした。

京都と音楽シーン。

僕らは「黒人ブルース」に傾倒していった。
そう、京都がメッカでしたね、「ブルースバンド」の。
西日本、ルーツが弥生人、東は縄文人の違いでしょうか、芸術、芸能文化は西からです。
今の芸能音楽会でも福岡、北九州は群を抜いてますね。
DNAでしょうか、東日本にはそうした文化は育ちません。

浄瑠璃、歌舞伎、能、狂言、落語も西から。
まあ、大企業もほとんどが西からですから、関西の人にとって関東は生きやすいのかも。
僕も大阪営業所北区西崎に作って感じたのは子供からもコテコテの大阪弁で話しかけられて笑っちゃいました。
それと地下鉄車内の賑やかなこと、ひっきりなしにペチャクチャペチャクチャ。

それに比べると東京の地下鉄は「お通夜」です。

大阪の人間が東京の地下鉄に乗ると「怖い」って言ってました(笑)。

>地に足がついた若者が多かったように思います。

とにかく同世代の人間が多かった。
今現在でも、戦後の昭和20年から30年生まれの人口は1300万人。
総人口の10%です。ま、競争、共生社会でしたから生きる知恵もついた。

そこへ行くと、競争したことのない内閣総理大臣、うまくいくはずがない(笑)。



Posted by 昭和24歳  at 19:42 │Comments(0)

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