2018年05月16日
【高崎】高齢夫婦が無理心中か・・・
【高崎】高齢夫婦が無理心中か・・・
高齢夫婦が無理心中か 高崎 認知症妻の介護に悩む
12日午前10時15分ごろ、高崎市昭和町のマンション敷地内で、同市柳川町の無職、今井稔さん(77)が倒れているのを住民の女性(80)が発見、近くの病院の職員を通じて119番通報した。今井さんはマンションから飛び降りたとみられ、その後死亡が確認された。
一方、今井さん宅では同日午前11時10分ごろ、1階居間で妻の君江さん(77)が死亡しているのが見つかった。遺体には布がかけられ、顔から頭にかけて皮下出血があった。遺書のようなメモが残されており、高崎署は無理心中の可能性があるとみて調べている。
今井さんは3月、認知症の妻の介護で悩んでいると同署に相談していたという。
<引用:5/14(月) 7:55配信 産経新聞>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180514-00000006-san-l10
そこは知人の住むマンション。身近にこういう事故、事件は心が苦しくなる。
他人事ではない。僕もカミさんが障害者になって10年、外出に車椅子は欠かせない。
気丈なカミさんはその不自由な体で家のことはほとんど自分でやる、がために行政の障害者認定も裁定は厳しいものになっている。
そして10年が経ち僕が70、カミさんが62歳とまさに「老老」の域に達している。
事件のように「妻」が認知症でその妻を夫が介護、これは想像を絶する世界だと思う。
今日、高齢者予備軍、高齢者、後期高齢者は2000万人余とも言われている。
ここ高崎市だけでも60歳以降の人口はおよそ11万人現役世代の4割を超えようとしている現実にあたるべき術は見当たらない・・・
新聞報道でもあと20年と待たずに日本一の限界集落と言われている県西部の山村は消滅の危機にあると。
「超高齢化社会」ということだけではもう解決しないのではないか、今日のそれは。
つまり、現状の福祉行政、その中核を成すのは40歳前後の「課長級」の行政マン。彼らにとってその「超高齢化社会」の生活は「SF」で、想像すらできない、空想することしかできない世界だろう。
そのことは僕ら団塊世代がその30,40代のころ僕らの親世代、戦前、戦中世代の老後など想像することはなかったし、どんな思いでその老後を生きていたのか思い馳せることはできなかった。
それはしきりに「第二の人生」という言葉で飾られていたように、年金生活を口にしていた僕の父親。もっとも僕の父親世代は「55歳定年」で、亡くなるまでのそのおよそ20年、どのような意識で生活していたのかを知ろうともしなかった。
まあ、その世代人口の分母が小さいせいもあったのかまさにその意味ではふたりの孫の世話をしながらの静かな余生であったようだ。
しかしながら、現代の「余生」はその分母の巨大さからもそこに見える風景、世界は一変した。
77歳のカップルが、伴侶、妻の「認知症介護」で、無理心中。
そこには想像したこともない世界、それも閉ざされた、他人にも、子どもたちにも言えない凄惨な時間が日を追うごとに増して行ったのかもしれない。
僕も買い物でカミさんの車椅子を押すときふとえも言えぬ不安が過ることがある。
そう、けして他人事ではない。それは明日の僕らなのかもしれないから・・・
【高崎】高齢夫婦が無理心中か・・・
高齢夫婦が無理心中か 高崎 認知症妻の介護に悩む
12日午前10時15分ごろ、高崎市昭和町のマンション敷地内で、同市柳川町の無職、今井稔さん(77)が倒れているのを住民の女性(80)が発見、近くの病院の職員を通じて119番通報した。今井さんはマンションから飛び降りたとみられ、その後死亡が確認された。
一方、今井さん宅では同日午前11時10分ごろ、1階居間で妻の君江さん(77)が死亡しているのが見つかった。遺体には布がかけられ、顔から頭にかけて皮下出血があった。遺書のようなメモが残されており、高崎署は無理心中の可能性があるとみて調べている。
今井さんは3月、認知症の妻の介護で悩んでいると同署に相談していたという。
<引用:5/14(月) 7:55配信 産経新聞>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180514-00000006-san-l10
そこは知人の住むマンション。身近にこういう事故、事件は心が苦しくなる。
他人事ではない。僕もカミさんが障害者になって10年、外出に車椅子は欠かせない。
気丈なカミさんはその不自由な体で家のことはほとんど自分でやる、がために行政の障害者認定も裁定は厳しいものになっている。
そして10年が経ち僕が70、カミさんが62歳とまさに「老老」の域に達している。
事件のように「妻」が認知症でその妻を夫が介護、これは想像を絶する世界だと思う。
今日、高齢者予備軍、高齢者、後期高齢者は2000万人余とも言われている。
ここ高崎市だけでも60歳以降の人口はおよそ11万人現役世代の4割を超えようとしている現実にあたるべき術は見当たらない・・・
新聞報道でもあと20年と待たずに日本一の限界集落と言われている県西部の山村は消滅の危機にあると。
「超高齢化社会」ということだけではもう解決しないのではないか、今日のそれは。
つまり、現状の福祉行政、その中核を成すのは40歳前後の「課長級」の行政マン。彼らにとってその「超高齢化社会」の生活は「SF」で、想像すらできない、空想することしかできない世界だろう。
そのことは僕ら団塊世代がその30,40代のころ僕らの親世代、戦前、戦中世代の老後など想像することはなかったし、どんな思いでその老後を生きていたのか思い馳せることはできなかった。
それはしきりに「第二の人生」という言葉で飾られていたように、年金生活を口にしていた僕の父親。もっとも僕の父親世代は「55歳定年」で、亡くなるまでのそのおよそ20年、どのような意識で生活していたのかを知ろうともしなかった。
まあ、その世代人口の分母が小さいせいもあったのかまさにその意味ではふたりの孫の世話をしながらの静かな余生であったようだ。
しかしながら、現代の「余生」はその分母の巨大さからもそこに見える風景、世界は一変した。
77歳のカップルが、伴侶、妻の「認知症介護」で、無理心中。
そこには想像したこともない世界、それも閉ざされた、他人にも、子どもたちにも言えない凄惨な時間が日を追うごとに増して行ったのかもしれない。
僕も買い物でカミさんの車椅子を押すときふとえも言えぬ不安が過ることがある。
そう、けして他人事ではない。それは明日の僕らなのかもしれないから・・・
【高崎】高齢夫婦が無理心中か・・・
Posted by 昭和24歳
at 12:35
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