2018年05月01日

現代の「橋のない川」

現代の「橋のない川」


野坂昭如(作家)--人間ってのは人間を差別することによって自分を確かめるっていう部分が、どんな人間にもあるわけで、住井さんにもあるはず。それはそういうところから僕のほうはいってるし、だから住井さんは住井さんなりの自分で見たことをあれだけ小説に仕立てた。あれは、なかなか立派な小説ですよ。あれだけ長編を書き続けたということは、たいへん尊敬するに値するけども、差別と向き合うということについて言うならば、やはり彼女の限界というものも、あることはあると思うけどね。だけど、そんなもの求めたってしょうつがない。誰だってみんな限界はあるわけだし、そんな90過ぎまでね、ああいうことを続けたということは大変偉大なことだと思うし。

言い終わらないうちに、
「本当のことは書けません。だから物語です。フィクション。未開放部落におかゆを食べられる人々はいなかった」

社会の底辺。それは広がりつつある。
今の社会は狂っている。日本はそんな社会じゃあない。
メディアの中枢が面白可笑しく権力を抽象するが本人、そこに居ることが気がつかない。

僕もこうして書いてるけど、今や底辺です(笑)。

カミさん(61歳)が障害者で、目が見えて家の中を伝い歩きながらも歩けて箸が使えて電気自動洗濯機が使えて、電気自動掃除機が使えて・・・
障害者5級。年金は月に24,000円。まあそれを笑えるんですから幸せかも知れない。
しかし僕の年金と音楽講師所得からカミさんの医療費が月、7万円前後。
想像してみてください。誰もが僕を見て悠々とまでは行かなくとも「音楽性格に」自適の生活をしてると思ってる。

ま、それは持って生まれた性格っていうか産んでくれた親に感謝なんだろうけど、僕もカミさんも楽観主義。

「成るように成る、鳴る様にしかならない」

想像してみてください。
家に重篤な手術を3回もした伴侶がいて、そこそこ収入があるために行政の補助は全く受けられない。
その意味での渡世は不義理の連続です(笑)。

しかし、「客観」であれ「主観」であれ、本当のことは書けませんね。

「せつ子の佐久間のドロップ」

その時代の末端の一つかもしれないけど、僕の頭の中にはそれがいつもあります。

「体験という狂気」

自分の妹が死ぬ、目の前で死ぬ」、それも空腹で、栄養失調でやせ細って絶える。

僕の姉、昭和18年生まれも空腹ではなかったにしろ、ときの流行病で2歳そこそこで死んだ。

それもこれも全てが「国家」という「主」の犠牲。運命で片付けられる話ではない。

いいべべを着て、美味しいものをたらふく食べて、貧困にあえぐ子供たちを見向きもせずGWを外遊。
そんな7人に一人の貧困の中の子供たちにはGWは地獄です。

わが娘23歳、「ママはあたしが面倒見るからね」ですって。

僕とは同じ時代を生きてるみたい。

平成6年生まれの彼女の知らないことをいっぱい知っている「パパ」。
車の中で聴く音楽「ビートルズ」は彼女の古典。

でもこの頃僕の知らないことをいっぱい知ってる彼女の見聞録。

現代の「橋のない川」




Posted by 昭和24歳  at 07:41 │Comments(0)

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