2018年11月23日

「青春の時代」


50年前に背中を押された一冊・・・
霧のナホトカ航路。
俺にはそんな勇気はなかった。


「青春の時代」

昭和四五年、未だ明治大正の匂いを感じさせ如何にもといった「駅」は吹き抜け、天井は高く気取った装飾はアールデコ調?
待合室はほころびたベンチシートに身を沈める旅人が売店で買っただろう冷凍みかんをしゃぶっている。
そんな趣の高崎の駅舎で上野行きの片道切符を、たしか180円で買うとカチカチと鋏を鳴らしながら無愛想に「お客様」をさばく改札を抜けた。
そう、高崎駅 「上り」は決まって7番線か8番線、EF81形電気機関車の牽くコールタール臭い客車の硬い座席に身を埋めるようにして発車のベルを待った。

僕の生まれ育った関東平野の北端「高崎」から「上野」へは高崎線で距離にして100キロ圏。
電車でも鈍行で2時間の所だからだ。既にSLの時代でこそないがその「EF81形電気機関車」がうなりを上げて厳つく走っていた。
それは、ただひとつの時間の終わり、そしてそこには新しい時間の始まりのような一抹の寂しさが過ぎっていたのはたしかだった。
その「一抹」は今までの喧騒が嘘のように消えた「青春」と云う時代の消え去った音のなか二一才、しかし今ににして思えばそれがもうひとつの青春の始まりだったんだろうが・・・

しかし、その当時はそれを既に捨て去っていたように思っていた。一端に・・・生意気にも。

大方の同級生はこの高崎と云うそこそこの地方都市で「サラリーマン生活」をしているか家業を継いでいた。
やはりその「ほんのり」としたそれでいて「とげとげしい」青春に区切りをつけ「地道」と云うのだろうか、互いが覚めた言葉を投げあうように暮し始めていた。

「もう、若くねえからな」と。

しかし、そんな時代にもやはり夫々の生き方と云うか人生の分岐点、「標」が誰にもあった。
それでも未だ同級生などはストレートで大学へ入った連中でも3年、一浪でもしていれば2年だ。そんな彼等はまだまだ青春真っ盛りで時はオイルショック、ニクソンショックとは云え高度成長の兆しの中「夢覚めやらぬ」風でもあった。

学生運動も既に収束していたし、やはりひとつの時代の終わりを確実に告げていた。時は恰も、「青年は荒野をめざす」。
五木寛之を貪り、小田実に傾き、横尾忠則に嵌り、「自由」の始まりの終わりの頃だったようだ。  
ご多分に漏れず僕も多分そんな「欠片」の一人ではなかっただろうか。あの、二十歳そこそこの時代の一年は・・・・・・
一生かけても体験できないような事を瞬時の内にやってしまっていたような気がしてならない。

現実と云う「地獄」の一歩手前で夫々が大きな夢を語り合った。まるで自分だけを中心に世界が動いているような錯覚の中で。
結局こんな狭いこの国の中でさえ僅か2%足らずの「青春」が考えるまでも無く「世の中が」動くはずも無いのに学生運動を引きずった連中が「革命」とかをシュプレヒコールし夢の中を彷徨っていた。

そう、だが、だからそれが「夢」なのだ。

「夢」を見たからこそ現実もほどほどに受け止められる。それが「青春の時代」だろう。

あれから半世紀が経とうとしているが・・・・・




Posted by 昭和24歳  at 20:49 │Comments(0)

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