2018年04月05日

僕らの時代“少年マガジン(昭和34年)”

僕らの時代“少年マガジン(昭和34年)”

少年マガジン創刊号は・・・
駄菓子屋のやまもりで買った。


初めてのアルバイトが新聞配達。
小学校6年の時。なぜか流行っていた。
中学生は牛乳配達、自転車のハンドルの両脇と荷台の上と、やはり両脇に袋いっぱいに詰め込んで。

やはり、満洲帰りの家の子や、戦後分けあって母子家庭になっちまった子や・・・・・
そうした同級生が、兄弟で新聞配達、牛乳配達なんかをやっていたのを真似て。

そう言えば、納豆売り、タマゴ売りなんていうのもあった。
同級生の豆腐屋の倅なんかは豆腐の引き売りを手伝っていた。

八百屋の倅は野菜の引き売りを。
その時代に朝から魚は食わないから魚屋の倅は親父と一緒に市場へ。

豆腐屋の倅は“豆腐臭い”とからかわれ、
魚屋の倅は“生臭い”と・・・・・

いろんな商いやの小倅、小娘がうようよしていた(笑)。
当時は靴なんてほとんど履かないから、下駄屋の娘とかはいいもの着てたね
いろんな商いがあったね、表具屋の倅とか、提灯屋の娘とか、葬儀屋に、煮豆屋(佃煮)。

そうだ大工といえば、頭(かしら)でそこんちのオヤジのオッカネェことと言ったらなかった。
で、からくり紋々、夏場なんかは褌一丁でミズウチなんかしているから町内の皆さん避けて通ります(笑)。
タバコはキセルでキザミを「アタボーヨ」っていいながら、頭、なぜかいつも怒ってた。
別に怒ってたわけじゃあないんだろうけど、頭、それが商売だったのかもしれない。

そう、戦後たったの10と3、4年、ちょうど干支がひとまわりした頃だ。
昭和32、3年のそれ“僕等の時代だった。


https://www.youtube.com/watch?v=Lzl-c0EWIVQ

そうさぁ、相撲だってモンゴルも糸瓜も無い、もちろんハワイもない。

なんたって栃錦が初横綱で若乃花が関脇だ。横綱と言えば吉葉山が引退間際で、鏡里。

今時の理事長八角(北勝海)なんか冗談じゃあない、ガッツンと天下無敵の双葉山が睨みを効かせていた。

脇役だって凄いのがいたねぇ。
三根山、大内山、清水川、若秩父なんか未だ幕にもいない。
朝汐太郎がようやく前頭の二桁で、

だいぶ後のことだが、行事だって凄い。
栃、若の物言いにえらい剣幕で怒ったヒゲの“式守伊之助”・・・・だったかな?

この田舎町にも相撲巡業がきた。場所は城南野球場。
オヤジにせびったがもちろん連れてってもらえるわけがない。
そこで悪ガキ同士企んでこっそり裏口から。
でも、“大内山”でっかかったなぁ。


https://www.youtube.com/watch?v=yDKLFrdbDME

そうだ、力道山も来た・・・・・

力道山を初めて見たのは高商の校庭に設えた特設リング。
もちろん見たといってもガキの僕にはそんな金はないから通り過ぎるのを見いただけ。
MGかなんかで、サーっと高商の正門に消えた。
人気だった豊登の“パッコーーーン”、それを銭湯でよく真似をした。それにスマートな吉村。芳の里の下駄の反則攻撃。
レフリーは沖識名、ユセフ・トルコなんってぇのもいましたねぇ。
そうさ、ジャイアント馬場なんてまだいないアントニオ猪木だっているわけがない。いたのは遠藤幸吉、東富士、そんな相撲上がりが時代を賑やかしていた。

二度目のプロレスは、そう、大相撲といっしょで城南球場。やぱし悪ガキ同士企んで、隙間からこっそり(笑)。
そんときは、スカイハイリーに、ヘイスッタク・カルホーン、ボボ・ブラジルにオルテガ。キング・コングなんてぇのもいましたねぇ。
で、家にテレビなんてありゃあしないわけで、高砂町5本辻のところの魚市場で見せてもらって、たしか5円払ったかなぁ

で、遊びの王様、ベーゴマ、メンコのキャラはそんなののオンパレードでした。

ベーゴマ、メンコっていったらやっぱりご案内の駄菓子屋です。

添加物?冗談じゃあない。
“チクロ”に“サッカリン”をたっぷりとまぶしたソースイカにボタンキョウ、芋羊羹に、未だ謎の一本バシのトコロテン。
さんざ超化学甘味料、着色料、香辛料を喰らったガキだもの今さらなにを喰らおうが胃袋はたまげやぁしない。

あの頃は政治家だって命がけだ。
山口オトヤに日比谷公会堂でテロられた浅沼稲次郎。そうだ、アベちんの祖父さん、岸信介だって刺された。

NHKも朝日も無い(笑)。

まあ的外れと笑われるかも知れないが・・・・・

“相撲”を見ればこのニッポン分かる。

ただのデブのニッポン力士と、どう見たって本気度の違うモンゴル勢。
それに、ロシアだのグルジアだのときた日には日本人力士なんてただのデブ。。
その内とんでもないのが出てくるかも知れない、アフリカとかトンガとかサイズが違う、サイズが(笑)。
まあ、チョンマゲ結えなけれあどうにもならないけど、大砂嵐エジプトだったけ、もったいないことしたね。

しかしねぇ、政治家も官僚も日米講和条約後生まれのウルトラマン世代、事の善し悪しが全くわかってない。
世の中がどう動いているかなんて全くわかってない。落ちるとこまで落ないとわからない。
で、モリカケ騒動だって首相、何がどうしてこうなったかがわからない。
カミさんがしゃしゃり出てああしろこうしろなんだから前代未聞の政治ショー、ごっこ。

まあ、駄菓子なんて食ったことないんだろうね、“チクロ入り”なんて食ったことねぇんじゃあねぇの。
だから、鮨だって「数寄屋橋次郎」ばっかで食ってねぇで・・・・・

たまにはスシローで「鮨くいねぇ」。

僕らの時代“少年マガジン(昭和34年)”




Posted by 昭和24歳  at 19:22 │Comments(0)

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