2018年04月01日

銭湯談義「興亜院」

銭湯談義「興亜院」
銭湯談義「興亜院」

亜院(こうあいん)は、昭和13年(1938年)12月16日に開設された日本の国家機関の一つ。日中戦争によって中国大陸での戦線が拡大し占領地域が増えたため、占領地に対する政務・開発事業を統一指揮するために第1次近衛内閣で設けられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E4%BA%9C%E9%99%A2

>真実は彼らにとってないのですということが、よくわかる政治でした。
戦時中の若手官僚、課長クラスが戦後の日本を創った。
それはA級戦犯被疑者として3年半にわたる巣鴨プリズンから解放され、その後およそ4年公職追放、米日講和条約発布に解除され昭和28年衆議院議員となった昭和の妖怪、その系図が現代、今日に緒を引く。

歴史の改竄は明治維新以降常。
https://www.jiji.com/jc/d4?p=sso026&d=d4_psn

いや、それは歴史なんかじゃあない今日の現実。つまり、現政権の現政権たる所以そのものなのだ。
図らずも民主、国民主権へと動きかけた現実は物の見事に打ち砕かれた。
それは一介の平民が成り上がり金と数の力で政治の頂点に差し掛かったところ、事実は改竄され崩れ去り、それに政治は慄きそれが今日の姿だ。

戦争とはこの国の中世がそうであったように99%の庶民には何ら関わりのないことだった。
そして戦国の時代が終わり泰平の世が260年、それを荒らげたのが大政奉還、王政復古、明治維新と99%の庶民を徴兵使役し下級武士階級が官僚に執権した。
ということは、天皇こそいい迷惑でその下級武士階級官僚が神格化し、現人神といい臣民をいい赤子をいい数多の戦に国民を利用した政官財。

ま、そこに始まった近代化とは官営「富岡製糸場」繊維産業の勃興。つまるところそれは軍需産業、日清日露戦争と欧州の戦乱からの需要だった。
そらそうです。成人男子は全て徴兵され戦に駆られ最低限必要なのは被服、医療品で、幸いにも日本では本土が戦場にならずそれら軍需産品は女工使役し大量生産し輸出、供給し、その莫大な利益で財閥が生まれた。

そう、戦争がどれだけその国の経済を潤わせるか、その後の「日中戦争」か大東亜戦争の目論見も画策したのは財界、その尻馬に乗ったのが一体となってる政官。その政官財が明治維新閥。
今日もそれは変わらない。GDPを凌駕するほどの「隠匿資産」を持ちながら国民大衆に増税を言う明治維新閥の官僚と1%の政治家。

北朝鮮を言いながら税金を湯水のように軍需産業に投じる現政府。
国民生活、塗炭の苦しみをよそに極一部の政治家の放蕩三昧が報じられる。

興亜院。大平正芳元首相が若手大蔵官僚(課長)だった頃の戦時経済、資金調達の組織。
それら若手官僚が戦後の日本経済復興を工作し、所得倍増までは良かった。面従腹背の対米政策も。今日の政権は「面従腹従」。

銭湯談義「興亜院」



Posted by 昭和24歳  at 08:36 │Comments(0)

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