2018年03月02日
布袋寅泰にギターの手ほどきをした男
布袋寅泰にギターの手ほどきをした男
そう、本題です「手ほどき」、教えたっていやあ、僕です・・・・・・
実は新島中学時代の「高崎の超有名人」にギターの手ほどきをしているんです。
で、前記の竹内先生が布袋寅泰と吉川晃司の「コンプレックス」コンサートへ招待されたとき僕の話をして、
「憶えてるかい?」って聞いたら「憶えてない」って(笑)。
で、竹内先生に娘(当時中一)あてにサインをお願いしておいたら、後日郵送してくれて「高崎の超有名人」。
娘、そのサインを見て「誰この人?」って・・・・・
「誰って、元BOØWYの布袋寅泰さんだよ」
「知らな~い、何する人?」だって、平成6年生まれですから娘(笑)。
で、ま、手ほどきといっても一回だけだけど僕が25歳くらいで、いわゆるバンドマンだったころのことです。
というのも高崎の柳川町に「クラブ銀座」っていうのがありまして、
通称「バー銀」です。そこで僕がバンドのお仕事を・・・・・・
で、その「クラブ銀座」のママさんが「高崎の超有名人」のお母さんだったわけです。
「ねえ、うちの息子、エレキとかでウルサイのよ、先生、チョット見てやって ? 」
先生って、その時のバンマス、大矢さんです。
まっ、「先生」っていったって、あの世界では「バンドマン」はだれでも、先生です(笑)。
で、お客は誰でも「社長さん」ですから、その感覚です(汗)。
そんなこんなで、「クラブ銀座」のママさん宅へお邪魔したわけですけど、高崎工業高校の裏、表?
まあ、豪邸でしたね。まだ周り中田圃でしたけどあのあたり、高駒バイパスもなかったし、コンビニも松屋もなかった・・・・・・
で、その豪邸に、あの頃、スタジオみたいのがあるわけです。
「コレ、息子」
って、ママさん・・・・・
まあ、見上げるくらいデッカッかったです。
「チワッ」
って、ぺこりとその「高崎の超有名人」とそのお仲間が僕と先生に御挨拶。
ま、「高崎の超有名人」中学生ですからエレキ始めたてだったんでしょう、なんかギャンギャン、ドカスカやってるだけ。
で、「高崎の超有名人」に手ほどき。
「まず、メジャー、マイナーのスリーコードをどこのルートでもできるように憶えることだね。ブルースだよブルース」
そしたら、横からバンマス、先生の大矢さん・・・・・
「なんだいそのブルースって?」(笑)。
で、「高崎の超有名人」、中学生だったしその「ブルース」を知ってか知らずか「?」っていう感じで。
そんなこんなで、小一時間でその「高崎の超有名人」の豪邸をあとにした。
そうそう、やっぱりエレキの行商時代です。
世田谷のスタジオで、ソロアルバム制作中だった元BOØWYの松井常松さんとギターマガジンの対談をセットしったときのこと・・・・・・
初めてベースを買ったのが中学生だったか、高校生だったか、駅前通りの「イシズカ」だったって。
雪草楽器もあったけど、どうやら敷居が高かったらしい、でイシズカの店頭にあったつるしを買ったんだって。
対談の中で、その松井常松さん、頂点を極めた男。当時、高崎は?の問いに、
「高崎ですか?別にっていう感じですね」
布袋寅泰にギターの手ほどきをした男
そう、本題です「手ほどき」、教えたっていやあ、僕です・・・・・・
実は新島中学時代の「高崎の超有名人」にギターの手ほどきをしているんです。
で、前記の竹内先生が布袋寅泰と吉川晃司の「コンプレックス」コンサートへ招待されたとき僕の話をして、
「憶えてるかい?」って聞いたら「憶えてない」って(笑)。
で、竹内先生に娘(当時中一)あてにサインをお願いしておいたら、後日郵送してくれて「高崎の超有名人」。
娘、そのサインを見て「誰この人?」って・・・・・
「誰って、元BOØWYの布袋寅泰さんだよ」
「知らな~い、何する人?」だって、平成6年生まれですから娘(笑)。
で、ま、手ほどきといっても一回だけだけど僕が25歳くらいで、いわゆるバンドマンだったころのことです。
というのも高崎の柳川町に「クラブ銀座」っていうのがありまして、
通称「バー銀」です。そこで僕がバンドのお仕事を・・・・・・
で、その「クラブ銀座」のママさんが「高崎の超有名人」のお母さんだったわけです。
「ねえ、うちの息子、エレキとかでウルサイのよ、先生、チョット見てやって ? 」
先生って、その時のバンマス、大矢さんです。
まっ、「先生」っていったって、あの世界では「バンドマン」はだれでも、先生です(笑)。
で、お客は誰でも「社長さん」ですから、その感覚です(汗)。
そんなこんなで、「クラブ銀座」のママさん宅へお邪魔したわけですけど、高崎工業高校の裏、表?
まあ、豪邸でしたね。まだ周り中田圃でしたけどあのあたり、高駒バイパスもなかったし、コンビニも松屋もなかった・・・・・・
で、その豪邸に、あの頃、スタジオみたいのがあるわけです。
「コレ、息子」
って、ママさん・・・・・
まあ、見上げるくらいデッカッかったです。
「チワッ」
って、ぺこりとその「高崎の超有名人」とそのお仲間が僕と先生に御挨拶。
ま、「高崎の超有名人」中学生ですからエレキ始めたてだったんでしょう、なんかギャンギャン、ドカスカやってるだけ。
で、「高崎の超有名人」に手ほどき。
「まず、メジャー、マイナーのスリーコードをどこのルートでもできるように憶えることだね。ブルースだよブルース」
そしたら、横からバンマス、先生の大矢さん・・・・・
「なんだいそのブルースって?」(笑)。
で、「高崎の超有名人」、中学生だったしその「ブルース」を知ってか知らずか「?」っていう感じで。
そんなこんなで、小一時間でその「高崎の超有名人」の豪邸をあとにした。
そうそう、やっぱりエレキの行商時代です。
世田谷のスタジオで、ソロアルバム制作中だった元BOØWYの松井常松さんとギターマガジンの対談をセットしったときのこと・・・・・・
初めてベースを買ったのが中学生だったか、高校生だったか、駅前通りの「イシズカ」だったって。
雪草楽器もあったけど、どうやら敷居が高かったらしい、でイシズカの店頭にあったつるしを買ったんだって。
対談の中で、その松井常松さん、頂点を極めた男。当時、高崎は?の問いに、
「高崎ですか?別にっていう感じですね」
布袋寅泰にギターの手ほどきをした男
Posted by 昭和24歳
at 12:23
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