2018年02月09日

Gメッセ群馬で「柳川町繁盛記」かもね(笑)

Gメッセ群馬で「柳川町繁盛記」かもね(笑)

「お江戸見たけりゃ、高崎田町」と、その繁盛ぶりが歌われた中山道の要衝の地―高崎市に誕生した『柳川町花街物語』。北関東の「吉原」と囃され、華やかに、賑やかに咲き誇った色街の人々の生活と、時代の流れの変遷史。

生かすも殺すも・・・
オール与党のセンセ次第です。
胡麻の蝿以外は(笑)


世の中には裏と表しかないんで・・・・・

なんか、レトロ・アヴェニューとか言っちゃって矢鱈、風俗出店しちゃいそう(笑)。

ま、そんなもんです。街外れなんだし中銀レトロ、その先何にもないし。

そうです、昔はバーやクラブがひしめき合っていて休日は正月元旦くらいしかなかったね。

柳川町で語り、バンドマンやってた頃はラートさがすのが大変だった。

最盛期はクラブ2軒掛け持ちで、それがはねると深夜サパークラブへ午前〇時から出勤深夜3時まで。

すごいのなんのって、そのサパー、売上が毎日30万円。昭和54年頃です。

で、柳川町なんだけど、チョイとしたオネエサン2、3人いれば売上ウン十万円ですから一日でバンドのギャラ稼いじゃう・・・・・

ま、客単、チョイうとした店なら1万円。クラブ銀座でも仕事したけど客単2万円はくだらなかったろうね。

もちろん、不動産屋とか建築屋の社長さんがほとんどで、ガラ悪かったけど、カネ払いはよかった。

鬼石の石屋なんか腹巻に万札詰めて長靴できてたもの(笑)。

もちろんカラオケなんてない時代だから、お客は歌いません、たまにバンドをバックに歌うオヤジさんとかいたけど軍歌でした。

今でもありますね、オイラが仕事した店のあと、そのままです(笑)。

で、Gメッセです。とにかく皮算用は年間100万人、アリーナ、芸術入れると群馬県民より大勢の人が高崎へとなびく。

そしたら、柳川シャトルバス、じゃあ貧乏臭いからリンカーン「リムジン」でGメッセから送迎。

できたら観光馬車なんていいんじゃあないの?

シカゴのコンヴェンションも、アトランタのコンヴェンションも街中、馬車が走ってました。

で、馬車、4人で乗って街中一周20ドルだったか。30年前の話だけど、コレ↓、シカゴの観光馬車。



まあ、「ぐるりん」じゃあ洒落になりません。運転手ときたら愛想悪いし。

皮算用だと、タクシーも足りないですね。もう乗用車はやめてリムジンとまで行かなくても大型ワゴン車でゆったりと。

しかも、オンデマンドで、街中どこでも乗り降り自由にするとか。

そしたら、柳川町も大繁盛で前橋、太田から出店の嵐でしょうね、困ったなぁ、どうしよう・・・・・

Gメッセ群馬で「柳川町繁盛記」かもね(笑)



Posted by 昭和24歳  at 18:15 │Comments(0)

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