2018年02月03日
昭和元禄「太陽の下の18歳」
昭和元禄「太陽の下の18歳」
「GO KART TWIST」(ゴー・カート・ツイスト)は、イタリアの歌手、ジャンニ・モランディ(イタリア語版)の楽曲。1963年発売。
昭和38年(1963年)。団塊世代が中学生、高校生の時代です。
僕は高崎市立第二中学校3年1組、担任は石原征明先生。
確か石原先生はテニス部の顧問で、帰宅部だった僕に・・・・・
「オマエ、テニスでもやってみろ」
って言って半ば強制的にみどり幼稚園の隣にあったテニスコートに連れて行かれた(笑)。
ま、言ったら僕の生活環境は下町の横丁、路地裏ですから、確かに家の前には日清製粉のテニスコートがあったけど、
そもそもテニスがなんたるものかということは考えたこともなかった。
で、その日清製粉のテニスコートには今上皇后の美智子さまが時折訪れてテニスをしてたとか・・・・・
庶民、大衆中のオバさんのオフクロが言っていたもんだから、家庭訪問で来た石原先生が全くやる気のない僕に「テニス」をと言い出したから、「まさか」と言うような顔して僕を見たのを今でも脳裏に残っている。
そうそう石原先生と言ったら昭和36年当時は32歳で、今風に言うなら超イケメンでしたね。しかも身長も170センチくらい以上あったんだろうか、当時の二中の悪ガキは、コレまた音楽教員「細谷先生」と勝手にロマンスを作り上げ騒いでいたもんです。
たしかその頃の石原先生は独身だったと、しかしながら、その年度の途中、美人音楽教師の細谷先生は結婚のためブラジルへ。
まあ、昭和38年です。いろんなことが立て続けに起きた時代で、日本は高度経済成長の入口に立ったところでした。
日本で初のテレビアニメ「鉄腕アトム」が始まったり、「コカ・コーラ」というアメリカ生まれの変な飲み物が新発売されたり・・・・・
そして、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」のアルバムが発売とか、「吉展ちゃん誘拐殺人事件」が発生とか。
まあ、なんと言ってもエポックな出来事は「ケネディ大統領暗殺」といった事件が「衛星中継」と、プロレスラー「力道山刺殺」とか。
そんなわけでいよいよ「昭和元禄」の時代です。
で、話は長くなっちゃったけど、「GO KART TWIST」(ゴー・カート・ツイスト)です。
なぜ中学3年の僕が聴いたこともない洋楽に目覚めたか、、実は当時ドラムに興味を持って習い始めた頃だったわけです。
もちろん家にはレコードプレイヤーなんてないし、そしたら、そう、力道山の大ファンだった小林君っていうクラスメイトが・・・・・
「俺んちにそのレコードならあるよ」って。
そら、驚きました。たしか、小林君ちは嘉多町で高崎神社の参道の路地をちょいと入ったところ。
いかにもといった瀟洒なお宅で、時折奥の方から「ちんとんしゃん」が聴こえてきたりして。
で、小林君の部屋があってそこに入ると、なんと驚くことなかれ、そこには四本の足の生えた「ステレオ」とか言うのがあって、「EP」シングル盤は当然ながら、LP盤も本棚らしきところにズラッと並んでいるではないか。
「ほらこれだよ、オマエの言ってたレコード・・・・・」
そう言うとおもむろにその神々しいステレオとかのターンテーブルにそれを置くと小林君はおもむろに、なんかスイッチを押す。
すると、ステレオとかの針のついた枝のようなものが自動的にレコード盤の上に降りる、その瞬間アレが鳴り出す、
E gira e gira e vai
E non frenare mai
E gira e gira e vai
E non fermarti mai
Mettiti il casco esatta sul go-kart
E vai e vai col go go go-kart
E ballerai il twist del go-kart
Twist go-kart and twist go-kart…
ま、イタリア語ですから「なんだこりゃ」みたいな感じだったけどとにかく夢中になっちゃいましたね。
しばらくして姉にねだって通町の「ピカデリー」で観たのが、カトリーヌ・スパークの「太陽の下の18歳」でした。
そうだ、小林君ちはいわゆる「花街の母」でした、多分、もう僕なんか見るもの聞くもの別世界でしたから。
で、衝撃を受けたもがフランク・シナトラの「想い出のサンフランシスコ」
ま、戦争み負けた日本が昭和元禄です(笑)。
で、同じく敗戦国のイタリアが「太陽の下の18歳」、きゃぴきゃぴです・・・・・
ドイツは知らないけど、戦争に負けたおかげで天井が抜けた、時代はその戦後の10代20代の時代。
日劇のウエスタンカーニバル、ロカビリーひゃっかりょうらんそんな時代でしたね。
今思うと、訳のわかんないのが、ただ年だけ食って、内閣総理大臣ですからお先真っ暗です(笑)。
昭和元禄「太陽の下の18歳」
「GO KART TWIST」(ゴー・カート・ツイスト)は、イタリアの歌手、ジャンニ・モランディ(イタリア語版)の楽曲。1963年発売。
昭和38年(1963年)。団塊世代が中学生、高校生の時代です。
僕は高崎市立第二中学校3年1組、担任は石原征明先生。
確か石原先生はテニス部の顧問で、帰宅部だった僕に・・・・・
「オマエ、テニスでもやってみろ」
って言って半ば強制的にみどり幼稚園の隣にあったテニスコートに連れて行かれた(笑)。
ま、言ったら僕の生活環境は下町の横丁、路地裏ですから、確かに家の前には日清製粉のテニスコートがあったけど、
そもそもテニスがなんたるものかということは考えたこともなかった。
で、その日清製粉のテニスコートには今上皇后の美智子さまが時折訪れてテニスをしてたとか・・・・・
庶民、大衆中のオバさんのオフクロが言っていたもんだから、家庭訪問で来た石原先生が全くやる気のない僕に「テニス」をと言い出したから、「まさか」と言うような顔して僕を見たのを今でも脳裏に残っている。
そうそう石原先生と言ったら昭和36年当時は32歳で、今風に言うなら超イケメンでしたね。しかも身長も170センチくらい以上あったんだろうか、当時の二中の悪ガキは、コレまた音楽教員「細谷先生」と勝手にロマンスを作り上げ騒いでいたもんです。
たしかその頃の石原先生は独身だったと、しかしながら、その年度の途中、美人音楽教師の細谷先生は結婚のためブラジルへ。
まあ、昭和38年です。いろんなことが立て続けに起きた時代で、日本は高度経済成長の入口に立ったところでした。
日本で初のテレビアニメ「鉄腕アトム」が始まったり、「コカ・コーラ」というアメリカ生まれの変な飲み物が新発売されたり・・・・・
そして、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」のアルバムが発売とか、「吉展ちゃん誘拐殺人事件」が発生とか。
まあ、なんと言ってもエポックな出来事は「ケネディ大統領暗殺」といった事件が「衛星中継」と、プロレスラー「力道山刺殺」とか。
そんなわけでいよいよ「昭和元禄」の時代です。
で、話は長くなっちゃったけど、「GO KART TWIST」(ゴー・カート・ツイスト)です。
なぜ中学3年の僕が聴いたこともない洋楽に目覚めたか、、実は当時ドラムに興味を持って習い始めた頃だったわけです。
もちろん家にはレコードプレイヤーなんてないし、そしたら、そう、力道山の大ファンだった小林君っていうクラスメイトが・・・・・
「俺んちにそのレコードならあるよ」って。
そら、驚きました。たしか、小林君ちは嘉多町で高崎神社の参道の路地をちょいと入ったところ。
いかにもといった瀟洒なお宅で、時折奥の方から「ちんとんしゃん」が聴こえてきたりして。
で、小林君の部屋があってそこに入ると、なんと驚くことなかれ、そこには四本の足の生えた「ステレオ」とか言うのがあって、「EP」シングル盤は当然ながら、LP盤も本棚らしきところにズラッと並んでいるではないか。
「ほらこれだよ、オマエの言ってたレコード・・・・・」
そう言うとおもむろにその神々しいステレオとかのターンテーブルにそれを置くと小林君はおもむろに、なんかスイッチを押す。
すると、ステレオとかの針のついた枝のようなものが自動的にレコード盤の上に降りる、その瞬間アレが鳴り出す、
E gira e gira e vai
E non frenare mai
E gira e gira e vai
E non fermarti mai
Mettiti il casco esatta sul go-kart
E vai e vai col go go go-kart
E ballerai il twist del go-kart
Twist go-kart and twist go-kart…
ま、イタリア語ですから「なんだこりゃ」みたいな感じだったけどとにかく夢中になっちゃいましたね。
しばらくして姉にねだって通町の「ピカデリー」で観たのが、カトリーヌ・スパークの「太陽の下の18歳」でした。
そうだ、小林君ちはいわゆる「花街の母」でした、多分、もう僕なんか見るもの聞くもの別世界でしたから。
で、衝撃を受けたもがフランク・シナトラの「想い出のサンフランシスコ」
ま、戦争み負けた日本が昭和元禄です(笑)。
で、同じく敗戦国のイタリアが「太陽の下の18歳」、きゃぴきゃぴです・・・・・
ドイツは知らないけど、戦争に負けたおかげで天井が抜けた、時代はその戦後の10代20代の時代。
日劇のウエスタンカーニバル、ロカビリーひゃっかりょうらんそんな時代でしたね。
今思うと、訳のわかんないのが、ただ年だけ食って、内閣総理大臣ですからお先真っ暗です(笑)。
昭和元禄「太陽の下の18歳」
Posted by 昭和24歳
at 11:29
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