2018年01月05日

渡世の義理もへったくれもない高崎だるま市

渡世の義理もへったくれもない高崎だるま市

「恨みつらみはございやせんが、渡世の義理で、お命頂戴いたします」

I don’t have any grudge and grievance against you.
But I have to take your life to keep my word with the brothers.


まあ、60年安保の時にゃあ全国のテキヤ連合を召集して学生でも叩いたわけだ。

そう、今のボンボン総理のじいさん、岸信介の時だったがね。

ま、その時代は背中にカラクリ紋々の国会議員も結構いたらしいが・・・・・

敗戦で官憲の力がなくなって、政治の世界はそういう裏社会のお世話にならなきゃあやってげなかった。

そんな時だったね、日比谷公会堂で日本社会党委員長の浅沼稲次郎が17歳、少年「山口二矢」にテロられた。

ま、敗戦という背景に大きく作用された時代だったが、その意味では善悪、白黒、丁半がきっちりしていたね。

そこですよ、山口二矢17歳と言ったら高校三年生、その若い身空でこの国の行く末を案じたなんて、安倍ちゃんに聞かせてやりたいもんだ。

で、高崎だってそう、博徒、ヤクザ、愚連隊、ま、渡世人の義理人情とかのそういう社会だった。

そこで高崎柳川町は北関東随一の「歓楽街」で売春防止法施行以降は、バー、キャバレー、クラブの花ざかりでしたね。

ま、そういうとこにはつきもんなのがご案内の、渡世人でした。まあ、時代が時代でそういうお兄さんが群雄割拠したね。

まあ、酒場、飲み屋の喧嘩、揉め事はその時代警察なんて全くお話にならなかった。

俺らが17歳の頃だと、そうです「みゆきダンスホール」には某組織のNo.2のいかにも怖そうなお兄さんが用心棒。

客同士のケンカが始まるとママさん「電話するよ」とかで、モノの数分でそこんちの若い週が飛んできてナシをつけちゃう。

世の中殆どがそうだったし、俺らにしたって、あの時代「エレキ」は不良の代名詞だったしね(笑)。

当時の高崎、みゆきダンスホールと社交ダンスホールつうのがあって、みゆきは暴力団系の用心棒、社交は博徒系。

ま、棲み分けてたんでしょうけど、ま、シっちゃかメッチャかな時代でしたね。

ところがどうですか、今じゃあ軽音楽部とかで教育委員会公認どころかエレキもアンプもドラムもそこの予算からだって(笑)。

そもそも10代でエレキ、っていうかロックにのめりこんでいく乗って一つの「理由なき反抗」Rebel Without a Cause.

そもそもロックだってジャズだって排除された側の文化なんで、排除する側の教育委員会に擁護されてやるもんじゃあない。

そんなところでやったところで、そら、ロックでも何でもない・・・・・・

露天商、テキヤ、寅さんのいない「高崎だるま市」みたいなもんで、そもそもお祭りでいかがわしさを排除しちゃったら・・・・・

若者、若造、そこの「いかがわしさ」を学ぶ場所がないじゃないか。

ところで露天商、テキヤ、寅さんの失業対策やらはちゃんとやってんのかねぇ、職場奪っちゃって、それも公が。

渡世の義理もへったくれもない高崎だるま市



Posted by 昭和24歳  at 12:35 │Comments(0)

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