2017年09月14日

【10.13】高崎オーパが終わる日

【10.13】高崎オーパが終わる日

1976年3月26日(金) にオープン「ニチイ」。
忘れもしない・・・
長女が生まれたのが1976年3月25日(木)。


まあ、せっかくの祝賀ムードに水を差すつもりはないんですけど・・・・・
長女が41歳だから38年でニチイ(ビブレ)は建物の老朽化、経営不振で閉店したわけだが。
そら高崎の街中、藤五、スズラン、八木橋、十字屋、田原屋、ニチイ、ダイエー、高島屋デパート等などありました。
戦後、高度経済成長機は良かったけど、そういう大規模商業施設ができて中銀の小規模零細商店は壊された。
しかし、その経済成長も終わるとそれらデパート、高島屋を残して全て終了。

で、旧市街地の食料品店は郊外型スーパーのとりせん、フレッセイ、ベルク、ヤオコーで全部消えた。
ま、別に恨み節じゃあないんだが、時代でしょうか、自民党政権下の商法改正、大店法改正ですから・・・・・・
当時、自民党をヨイショしてた商店組合のおじさん連中、結果、自分の首を絞めていたのに気づかなかった(笑)。
僕んちは高砂町だったんだけど酒屋、米屋さんは福田さん、当時の若手経営者は中曽根さん支持者。
で、ご案内の小渕先生は「ビルの谷間のラーメン屋」で、気づいたら世の中すっかり変わっちゃってて、シャッター下ろしちゃいました。

で、コレ↓

高崎オーパ/10月13日グランドオープン

  株式会社OPAは、高崎オーパの詳細について同社ホームページなどで8日に発表した。
 発表によれば、グランドオープンは10月13日(金)午前10時。
「SENSE+(センスプラス)」をコンセプトに、有力セレクトショップや群馬県初出店となる話題のショップ、こだわりのメニューを取り揃えたレストランやカフェなど約160ショップが出店。群馬県初出店が72ショップ、高崎初出店が17ショップ。
1階が食料品売り場、高崎観光協会の高崎じまん、2階から4階がレディス、5階がメンズ、6階がキッズ・インテリア・雑貨、7階~8階がフードコート、書籍、CDショップなどとなっている。6階には群馬初登場のナムコあそびパークPLUSも登場する。
高崎駅前の新しいランドマーク、北関東エリア最大級のファッションビルを展開するとしている。
 地域との取り組みでは、1階に高崎産品を販売する「高崎じまん」、7階の「開運たかさき食堂本店」がオープン。群馬の食にこだわった品揃えも工夫している。
3階にはラジオ高崎のメディアスタジオが設置され、新しいメディア発信に挑戦する。2階はペデデッキで高崎駅と接続しイベントスペースを設けるほか、メイン入口に260インチビジョン、東面、南面の外壁はLED照明で演出する。
 まちなかの回遊性を創出するために、高崎オーパには駐車場はなく、周辺の有料駐車場を利用する。特約駐車場は高崎駅東西に約7000台。グランドオープンでは周辺の混雑が予想され、高崎オーパでは、公共交通での来店を呼び掛けている。
高崎オーパの情報は同店ホームページ参照。
http://www.opa-club.com/takasaki/
<引用:2017年09月8日 高崎新聞>
http://www.takasakiweb.jp/news_cat/6118/

まあ、藤五、スズランが出来た時みたいなもんで、僕んちの母ちゃんなんか・・・・・

「やっぱり、洋品は富士屋だよね、呉服は久保川だね」って、藤五にもスズランにも一度も行くことはなかった。

まあ、中央銀座通りへ行けば生活用品はだいたい間に合ったし、家から2,3分のところに魚屋、酒屋、八百屋、肉屋、豆腐屋があった。
もちろん薬局だって町内一軒、米屋は近所に5軒もあったね、有間、長井、浦野、田角、矢島米穀店と。
まあ、よく商売になったと感心するんだが、今更ながら。自転車屋も安藤、天田と2軒あったね。で、八間道路なんてショッピングモール(笑)。

それが全部消えた、この40年間でね。

で、オーパのところなんだが・・・・・

当時、あの頃の高崎駅前の土産物屋辺りは確か「アーケード」になっていたように憶えている。今の朝鮮飯店の合い向かいがやはり旅館で道幅は現在の半分くらいだろうか大きな建物といえば新町までの右手の、月賦専門店「緑屋」が目立っていた。

僕は駅を背に右手の「馬車屋」と云う「おにぎり屋」が贔屓だった。日通の高崎支店の手前である。

姉さん風の「キッ」とした女将さんと、手代のお姉さん。年の頃は三十半ばか。その女将さんにしょっちゅう叱られながらも甲斐甲斐しく客を案内していた。

「すみませんねぇ、気が利かなくて」

女将は手を休めることなくおにぎりを握りながら客を気遣う。

「すみません、すみません」

と、すみませんを口癖のように繰返す手代のお姉さん。
まあ、客が七、八人で目一杯のカウンターだけの店だからそう意気込むこともないのだろうが、その女将さんはどう言う訳か律儀であった。
兎に角、その馬車屋。季節季節の漬物が美味い、これが堪らなく美味いのだ。
それに、大きくも無く小さくも無い、いつも炊き立てのご飯のおにぎり。
僕はもっぱら、「おかか、こんぶ、シャケ」だったが、さっと仕上げた「なめこ汁」もなかなかのものだった。

今ではそんな気の利いたものを食わせる店はない。
もっとも食う方もどうやらその辺、即席「インスタント世代」美味いも不味いも口が知らないのかも知れない。
その「馬車屋」も再開発とやらで、僕が暫く高崎を離れている間に姿を消してしまっていた。
もう一度食べてみたい。どうしても食べてみたいもののひとつなのだが・・・

しかし、どうやらそれは思い出の中に仕舞われてしまうのだろう。
そうと思うと無性にもう一度食べてみたくなる最後に食べたのが昭和55、6年だったろうか。

間口半間のガラスの格子戸のシブイ滑車の音が今も耳に残る・・・

「馬車屋」を挟んで南に「もみじ食堂、小徳食堂」そして「堺屋土産物店」。
北に、「キング・バー、喫茶うえの」とあったように記憶する、そして「日通」があって、そこから先は今は旧ニチイ、高島屋となる。
が、一帯が「高崎倉庫」と「群バス」の車庫があり、もちろん舗装などはされてはおらず、梅雨時などの雨上がりは歩くのにも一苦労。
また、雨が上がって乾けば乾いたで砂埃でまた往生させられたものだ。

その頃は高島屋の「た」の字も無い。今の高島屋、旧ダイエー辺りで「慈光通り」は袋になっていて、日通の貨物トラックと国鉄の客車の操作場が昼夜違わずけたたましく賑やかな音の所だった。

で、そのオーパなんだが、まあセオリー通りなら40年です。
40年て言ったら、2057年日本の総人口が9000万人台になっちゃうとかで・・・・・
団塊世代ジュニアの昭和51年生まれの長女も81歳だから超高齢化少子化時代です(笑)。
ま、ショッピングモールって商店長屋だし時代の流れの敏感だし、大資本は。

そんなわけで、小売ビジネスはアマゾンにせっけんされるかも・・・・・

オーパも閉店、解体とかで騒いでるんじゃあないでしょうか、2057年ころ。

【10.13】高崎オーパが終わる日




Posted by 昭和24歳  at 12:40 │Comments(0)

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