2016年08月30日

僕が物心ついてのえびす講というと・・・・・・

僕が物心ついてのえびす講というと・・・・・・



高崎神社の参道、嘉多町から堰代町の交差点まで所狭しと露店がたった。
そこには決まって神社の入り口にアコーディオンやバイオリンを物悲しそうに奏でる白服の傷痍軍人の姿が必ずあった。
もちろん兵隊帽子を深々と被り、色眼鏡に松葉杖、義足に片腕での演奏と、様々、色々だった。

それをまるで無視するかのように、いや、無視するというよりは忌み嫌い蔑視するようにして、見て見ぬフリをしながら僕の手を引く父母。
いわゆる「傷痍軍人」はそんな父母と同世代。まさに戦争に駆り出されたものと戦災にあった者同士の格差がそこにあった。
戦前、戦中と南方、北支にお国のためと、家族の、国民のためと銃後の守りを信じての末の負傷復員兵。
神国日本「天皇陛下万歳」の出征も敗戦焦土に迎える同世代の目はこうも冷たいものだったのかと今にしてみると思えてならない。

いつだったか派遣村、ホームレスが騒がれていたころ僕は末娘を連れて上野公園、墨田公園を歩いた。
そこにはブルーテント、段ボールハウスが林立しその娘の手を強く引いて見て見ぬフリをしながら通り去る僕はあの昭和30年代・・・・・・
高崎神社のえびす講の風景が思わずフラッシュバックしてなんともいたたまれない気持ちになった。

何れの時代も、それは「傷痍軍人」も、ブルーテントの「ホームレス」のみなさんも、その時代を括る風景としてそこに見る。
まさに時代に作られた「風景」。
それは今にして作られたのではなく、その「ホームレス」の人たちは僕等世代に違いない。

高度成長期、バブル経済。
いや、それ以前の受験戦争、企業戦士といわれた競争社会を生き抜いてきた・・・・・
それが僕ら世代の答えなんだろうか。
こんな答えを得るために僕等は生きてきたのだろうか。
それはいいことだろうか?そんなことでいいんだろうか、そんな気がしてならない。

ふと考えると、ここには月光仮面世代はいなかった。不思議といなかった。あくを懲らしめ正義のために戦うおじさんはいなかった。
そんな月光仮面世代は高度経済成長の下、学生運動に革命戦士を気取った全共闘世代・・・・・
方やノンポリでベンチャーズ、ビートルズに夢中になり我が世の春と謳歌した得体のしれないその時の若者たち。
まあ、昭和40年代が過ぎそれは一つの塊となって核家族、いわゆるニューファミリーの主となりその時代を彩った団塊世代。

そうだ、この国の中枢、政官財、そこには団塊世代をほとんど見ない。世襲を除いては。

そんな団塊世代の僕らはただただ消費した。
エレキもマイカーも、マイホームも昭和10年世代の創造したマーケットの消費者として消費に快楽した。
考えてみればその意味では実に平和な世代だったのかもしれない。

校内暴力も、家庭内暴力もそのほとんどが昭和10年台世代のこどもたちだった。
ニュースを騒がせるのは「子殺し、親殺し事件」や、得体の知れぬ「猟奇殺人事件」も団塊世代より一回り上の世代の子供たち。

「サカキバラセイト」も「ミヤザキツトム」もそう・・・・・・

僕ら戦後世代には「夢」があった。

それは「戦争を知らない子どもたち」と歌われ・・・・・・・
その意味では極めて「幸せな」な時代を過した世界でもまれな時代に生まれ育ったからではないだろうか。
 
まあ、それはそれにしても何もなかったせいなのかも知れない。
たしかに何もなかった。

テレビどころの話ではない。ラジオだって物心つくころでさえそう記憶はないし、オモチャや、ゲームがあるわけでもない。
毎日は学校の校庭で、原っぱで、横丁で汗まみれ、泥まみれで仲間同士遊ぶしかなかった。

履物はズックなどは上等な物で、正月にやっと買ってもらえるくらいで、普段はゴム草履か下駄。
靴下なんていう洒落た物はなく「足袋」それも幾重にも継ぎ当てをしたような代物で、真冬だって素足に草履、下駄なんていうのも珍しくはなかった。 真冬はしもやけ、アカギレ、青ん洟垂らしたり、ハタケにタムシなど等。
着るものといえばお下がりのズボンに詰襟のツンツルテンのテッカテカで汚いの汚くないのと今時のパパやママが見たら目をむいてひっくり返ってしまうかも知れない。
このところテレビで良く流してるお隣の「地上の楽園」の子ども達さながらのよう。

それは今に言う、〈あの頃は良かった〉などといった代物ではない、それしかなかったのだ。
それは時代そのものが貧しく、それまでの軍国主義、富国強兵一辺倒時代から解放された親世代の安堵感・・・・・・・
その中にも明日をも知れぬといった不安な毎日を暮らしたに過ぎなかったのだろうが。

しかし僕等、子ども達には「夢」があった。とてつもなくデッカイ夢をもてた。
それは敗戦による自由解放、民主主義のお陰なのだろうか。おそらく物不足の中にもその時代、初めて手にした自由。
大人たちは雑誌を読み漁り、僕等子どもたちは次々と発刊される「少年王、冒険王、漫画王、少年画報」。
そしてそれらに連載される月光仮面、赤胴鈴の助、はては二一世紀の現代を予測する鉄腕アトム、等々、正義、正義、正義のオンパレード。

やがて、ラジオ、映画から。

そして、それは白黒テレビの西部劇に、アメリカ製のホームドラマに、そして洋楽のヒットパレードに夢中になる頃になると、
夢は外国へ行くこと、自動車を乗り回すこと、自分のなりたいものになると言う将来未来を描くこと。
しかしそれはけして手の届くことのない叶うことのない「夢また夢」の毎日だった。
それでも僕等は夢を追いかけて、求め続けた。

はたしてそれが今はあるだろうか・・・・・・
僕らが夢にと描いていたことが今ではそれがいとも簡単に「手品」のように叶ってしまう。
しかし、その「夢」は掴むのではなく買う「夢」。じっくりと時間をかけて、心から願ってのそれではない「お金で買う夢」。
自分で想像した夢ではなく誰かが拵えた売り物の夢。

僕の言う夢とは小学生が見るような夢ではない。
女の子なら看護婦さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか・・・・・・・・
男の子ならパイロットとか野球選手、サッカーの選手とかのことではない。

やはりそれは一五、六で見る夢。それは「自分」探しの夢。

まさか僕自身、その時には自分が67歳になるなどとは「努々」思いもしなかったがその一五、六で見た夢。

それは、その夢はまるであのころ押入れの中で見た「幻灯写真」のように、今僕に話しかけてくる。

考える必要のない社会。情報を創る仮想な社会。人と触れ合わない社会。

やはり、コンビニで住民票が取れる社会のとうらいってどうしたものだろうかと・・・・・

手間暇のいらない社会は、人を必要としない社会。

商店街でえびす講のイベントで和太鼓、カラオケ大会はうるさいからやめてくれなんだそうだ。

そういう社会って、如何なものか、アベちゃんに聞いてみよう。

僕が物心ついてのえびす講というと・・・・・・






Posted by 昭和24歳  at 03:10 │Comments(0)

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