2016年01月27日

活況に沸いた昭和42年の高崎市

活況に沸いた昭和42年の高崎市


丈組のよい子達も・・・・・
今年でみんな67、68歳です。


まあ、そうです。高崎に全国初の卸問屋街「問屋町」ができたのが昭和42年でした。

街中で言えば。おしゃれデパート、緑屋、スズラン、高島屋ストア、うろころスーパー、藤五、本店タカハシ、八木橋、十字屋、さくらや、丸専デパートとかも・・・・・・
そうそう、中央デパート「スカイラウンジ」もその頃、昭和43年でした。
<詳しくは「隠居の思ひつき」迷道院さんのブログ↓>
http://inkyo.gunmablog.net/d2010-08-11.html

まあ、全国津々浦々そうだったんでしょうけど、団塊世代を挟んだ前後およそ2000万人からがが成人した頃です。

住宅だって、豊岡団地、鶴辺団地、につづいて公営住宅も中居、中尾等々とにかく賑やかでした。

で、それがどうして、今日のような様に衰退しちゃったのか・・・・・・

藤五がなくなり、十字屋、八木橋、中央デパート、高島屋ストアがなくなり中央銀座通りは廃墟と化した街通りは「P」通りに。

で、挙句が「少子高齢化」を騒いでるわけだが、そら、国の政策が元凶なんだけど高崎市で言えば再開発とは名ばかりで、結局街中から人、住人を追い出した。

で、その少子化だが、夫婦で子どもふたり作ってたら減らないわけです・・・・・・

それをそうしない政策を政府がとってきた、男女雇用機会均等法とかで、昔なら亭主の稼ぎで四苦八苦ながらも生活できた。

早い話、男1000万人の労働人口のところへ、女1000万人が侵食してきたわけで、そらオヤジの所得は減ります(笑)。

そしたら、夫婦、子ども作って、育ててる暇はない、まあ、子育て、手間暇かかりますから。

しまいには、男も女も稼ぎ一緒なら、女性、結婚なんてしません。一人で生活していたほうが楽だし・・・・・・

男は男で、鰥夫だって実家があって親と一緒ならいつまでも子ども気分のままいられますから。

結局、今あるような「老老介護」で20年前まではなかったシンドロームです。

それがもっと恐ろしいのが、その団塊世代の鰥夫が独居老人になった時です。まあ、そろそろ団塊世代が一斉に後期高齢者。
 
ヘタレ爺、婆が2000万人って想像しただけですごいです(;´д`)

まあ、役人でも、現役世代は自分たちのことしかわかりませんから「都市計画」もヘチマもないです。

挙句、コンベンションセンターだとか、シティーホールだとか、駅前イオンだとかですから、こんなもん都市計画でも何でもない。

で、人が増えないからって、40万都市高崎市へ「移住政策」って、そんなもん、よそんちから人さらってくるだけの話だからはた迷惑な話。

まあ、37万都市たって山間過疎地域、限界集落を勘定に入れての話ですから、そら人口減ります。

そんなわけで、まあ、若者がうようよしていた昭和42年、その当時が懐かしいです。

まあ、確実に言えることは、そのうようよしていた若者。60代、70代でいるわけですから、あと10年は心配ないけど。

活況に沸いた昭和42年の高崎市



Posted by 昭和24歳  at 14:37 │Comments(0)

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