2015年12月18日

昭和の墓標

昭和の墓標



遊び、仕事、処し方。本物の大人はどう心得るのか。齢、90歳。まだ途上。

元「安藤組」組長、俳優の安藤昇さん死去
 元「安藤組」組長で作家、俳優の安藤昇(あんどう・のぼる)さんが16日午後6時57分、肺炎のため東京都内で死去した。89歳。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。

 安藤さんは大正15年、東京生まれ。戦中は海軍の特攻隊員となり、復員後の昭和27年、愚連隊がもととなる安藤組を結成。東京・渋谷を拠点に活動を始めた。同組は、実業家の横井英樹氏(後に、火災を起こした「ホテルニュージャパン」の社長)を襲撃する事件を起こし、組長だった安藤さんは恐喝容疑で逮捕され、服役したこともあった。

 出所した同39年に、組を解散。その後は映画界に転身し、同40年に自伝をもとにした「血と掟」で俳優デビュー。50本以上の作品に出演したほか、映画プロデューサーとしても活躍した。また作家としてエッセーなど多くの作品を発表した。主な出演作に「網走番外地 吹雪の斗争」「昭和残侠伝 破れ傘」「新仁義なき戦い」など。主な著書に「激動」「自伝 安藤昇」など。

<引用:産経新聞 12月18日(金)0時14分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151218-00000500-san-ent

二十歳が「終戦」だったんですねぇ。

その8月15日を境にこの国の「価値観」が180度一変した。

それまでの日本は天皇陛下を現人神と畏怖し国形が財閥に操られた先軍政治。

それが、制度も社会も、その全てが崩壊。当然この国の将来、未来を展望する者はいなかった。

まあ、庶民というか、平民、たった4年足らずで300万人からの命を失いながらも・・・・・

「青天の霹靂」。それは雑草のごとしその焦土に根を張った。

生き残った7千万の民、流浪の中にも悲嘆に暮れている時間などなかったのかもしれない。

僕の父母もそうだった。阿鼻叫喚の大空襲の中を黒焦げの屍を避けながら逃げ惑ったという。

そして、僕が生まれたのが昭和24年2月11日。

父は昭和22年に復員、母は僕を生むと脊椎カリエスという病で床に臥す事10年・・・・・

僕は配給の粉ミルクとヤギの乳で育ったと姉たちは笑っていました。

それから70年が過ぎ、何事もなかったかのような今のこの国形は異形としか言いようがない。

まあ、それも致し方ないことなのかもしれない。

戦時中には官僚であった、いわば、戦争責任の一端にあった者の宰相の時代が続き・・・・・

野人、田中角栄が掟破りのようにその地位に就くが、間もなく元の木阿弥。

そしてそこからは庶民の苦しみをよそに絹の産着、銀のスープンで育った御仁が宰相。

僕ら、遠からず消える命だが、そこに刻まれし「昭和の墓標」をもう一度読みたい。

昭和の墓標




Posted by 昭和24歳  at 07:04 │Comments(0)

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