2015年12月16日

壊れた街

壊れた街

壊れた街
↑昭和24歳が2歳の頃の写真です。
お祖父ちゃん、申年。生きてたら131歳。



新しくなった井上病院でカミさんが診察受けてるの最中、街をぶらり・・・・・

随分変わったというか、変わり果てた「街」。

街のど真ん中だっていうのに人がほとんど歩いていない。
昔、藤五伊勢丹があったところがマンションに。
で、アチコチ、歯抜けになったところがインプラントのように「タイムズ」のパーキングが。

「お江戸見るなら高崎田町」も、今や見る影もない。僕らが子どもの頃まではあったが。
その「タイムズ」と取ってつけたようなにわか仕立てのその「田町」(笑)。
行政っつうのは駄目になりそうなところは一切関わりたがらない。

どこの地方都市もそうだが、「銀座通り」なんて今や廃墟。
まあ、跡取りもいなくなった、高齢化そのものの商店街ですから・・・・・
息絶えるのをしらぁと眺めてる。

そらそうです。商店街に商店がないんだから高崎名物「えびす講」もへったくれもない。
僕らが子どもの頃にはえびす講って言ったら、人いきれ、ごった返していました。

中銀は、昭和30年代でしたから、洋品屋、呉服屋、靴屋がめっぽう繁盛していて、高崎神社の参道には露天がズラリ並んで。
その高崎神社じゃあ「のど自慢大会」があって、いつも決まって自転車で流す刃物研ぎのトラさん・・・・・
ポマードびっちり決めて、「春日八郎」を気取たんでしょうか。
まあ、春日八郎って言ったら初代御三家で、三橋美智也、三波春夫、春日八郎でした。
で、トラさんの十八番は「赤いランプの終列車」。それでいくつも鐘を鳴らしていました。

もう一人は、片腕の近藤さん。「伊藤久男」の「イヨマンテの夜」、このご両人がスターでしたねぇ。
近藤さん、背筋をピンッと伸ばして、ものすごい声量で、一体どこで覚えたんでしょうかあの発生方法を。
まあ、今みたいな音響設備なんかない時代でしたから、今歌わせたらかなりのもんなんじゃあないでしょうか。

そんな「トラさん」も「近藤さん」も噂を聞かなくなってから幾年月・・・・・

ああ、そう言えば「恋文横丁」とか銘打った「屋台村」が今年いっぱいでクローズとか。
結局、エスニックとか、中華とかで一体全体なにが「恋文横丁」なのかさっぱりわかりませんでしたね。
まあ、少子化と言われて久いわけで、昭和40年、50年代みたいにわんさか若衆がいません。
で、挙句がアベノミクスですから4割が非正規社員ですから懐心配しながら飲んでます。
まっ、キャバレーもクラブもないし、あるのはフィリピンパブばっか。
その内、フィリピンパブもなくなっちゃって、「時間、3000円でいいよ」とかの(笑)。

昭和40年代、キャバレー、セット料金6000円でしたし。
クラブだって席に座るだけで1万円。鼻の下伸ばして魚心あれば水心なんか期待しちゃうと付け馬です(笑)。
だって、あの時代カラオケなくて「弾き語り」全盛でしたから、ギャラ、月に20万払ってやってたんですからすごいです。
ホステスのオネェさんだって、かるく20や30稼いでましたから。

まあ、消費税なんてケチなこと言ってないし政府、その代わり取れるところから税金取り立てましたし。
まっ、税金でもってかれるんなら飲んじゃえってなもんで、宵越しの金なんか持ちません、つうか・・・・・
接待接待。一人で飲んでも接待接待でしたから、いい時代でした。
で、ヤクザ屋さんも肩で風切ってたエライ時代でしたけど、そんなヤクザ屋さんも、今はお噂も聞きません。

明らかに人口減少が如実ですね。で、年寄りばっか(;´д`)

その内、イオン爆弾が炸裂して、街中、廃墟です。

高崎市民て、東西駅前再開発のために市県民税献上してるんでしょうか。馬鹿ですね(笑)。

壊れた街



Posted by 昭和24歳  at 18:37 │Comments(0)

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