2015年11月18日
高崎でもう二度と食べられない本格的グルメ!!③
高崎でもう二度と食べられない本格的グルメ!!③
「中熊のモツ煮込み」
ぐつぐつと煮えたぎるモツ煮はアルマイト製の大鍋も相当年季が入っているのか小気味良い音を奏でながら客をまっている。
そう・・・・・・
そんな店はなにも小奇麗である必要はない。
できれば、灯りは「松下式」二股ソケットの紐付き2段切替スイッチあたりが隙間風に触られていると嬉しい。
それにそこかしこ傷のついてる、やはりアルマイトの灰皿と箸も使い古しの年季の入った塗りのやつ。
更に重ねて欲を言えば格子の障子窓には雨露を忍んだ幾重もの染みでもあれば肴には困らない。
そして、開け閉めに一工夫させられる滑車の引戸。もちろん取っ手の所は庶民の血と汗と涙が染み付いて黒光りしているやつ。
で、時期でも良ければ、開け放たれた障子、格子の隙間から知った顔がちらほら覗く・・・・・・
それでもどう云うわけかそれなりに気を遣い開けかけた暖簾を避けて具合のいい席を選る。
「ここが空いてるよ」
と、常連だろう、何気に気安いのが嬉しい。
そう云った店は団体で来る客はそうはいない。大概がお一人様かお二人様と相場は決まっている。
それでも3人寄らずとも、高崎の高度経済成長の縁の下だ、そこそこに仕上がってくるとつまらない揉め事を肴に結構賑やかになる。
もちろん贅沢なブランデーやウイスキーなどは無い。精々が「角」ではないだろうか。
店の中は口角に泡を飛ばした五月蝿さが、日々の溜飲を下げる。蝿取り紙に吸い付かれた蝿が裸電球にに透けてジタバタしている。
贅沢だろうか・・・・・・
そうかもしれない。否、贅沢である。
本当に贅沢であった。今はもうそんな店はない。
僕らはそれを「チュークマ」と呼んでいた・・・・・
高崎の夜の政官財界の奥座敷として名を馳せていた「宇喜代」の路地を挟んで、その辻向かいにその「中熊」はあった。
今は「ビューホテル」とかで、味もシャッカラケもない趣のホテルになってるところ。
そう、その「宇喜代」が高崎のハイソサエティの奥座敷なら、「中熊」は労働者の、知る人ぞ知る奥座敷とでも言わせてもらおうか。
それにしても棲み分けの良い時代ではあった。
「中熊」は亭主は厨房で肴を、おかみさんはカウンターで鍋守・・・・・
何と言っても、一番のウリ「モツ煮込」。相当に年季の入った仕込であることはその味が証明している。
器は瀬戸物、箸はけして割箸などではない。上物ではないにしろその塗り箸の持て成し。それに、季節物の「漬物」、これが絶品である。
当然、夏場は茄子と胡瓜、カブ、の糠漬け。そして冬場は白菜漬け・・・・・
申し訳ないが、その「糠漬け」に「煮込み」があれば、粋な黒塀見越しの松の「宇喜代」とて敵うまい。
とは言うものの、「宇喜代」とやらに上がれるほどの身分でないので、只の僻みかもしれない。
何しろ、「宇喜代」とやらで一体どんなものを飲ませて食わせてくれるのかは想像もしたことが無いのだから。
酒の銘柄は記憶の彼方である。と云ううより「中熊」。「チュークマ」と呼ぶくらいだから・・・・・
頂くのはもちろん焼酎。ご存知、「ウメ割」。これも矢鱈と逸品である。
分厚いカットグラス・・・少々傷の入ったそんな気取った物ではない「コップ」。皿受けに零れても尚、並々と注いでくれる。
中学で習った・・・?
小学校だったか、元来学習意欲のなかったオキュパイドベイビィの僕だがそれくらいは知っている「表面張力」(笑)。
その「表面張力」とやらに嬉々としながら、それは極上のワイン、ロマネ・ コンティをいただくかのように恭しく厳かに・・・・・
それはまるで儀式のごとく、まずは両手を膝の上に置き徐を装いグラスに口づけ、「チューッ」っとイクッ。
まさに、「チュークマ」である。誰がなんと言おうと「チュークマ」だ。
途中、溢れ零れた皿受けの「ウメ割」を、まるで子どもの頃に駄菓子屋で「さぐり」に中った時のような気分でコップに戻す。
<少し増えている・・・>
その梅割を裸電球に透かして量を確かめ「ニンマリ」。
そうだ、「チュ―クマ」のもうひとつの売りは「濁り酒」だろう。誰とはなしに酒飲みが度胸試しのつもりでそれを覚える。
変な話、胃カメラの時の「バリュウム」のような感じが最初の憶えである。
慣れて来ると確かに美味いに違いは無いが兎に角、足腰に来るのが騒ぎである。僕は2杯目は遠慮する事にしていた。
そんな「チュークマ」も今は遠い昔・・・・・・
キャバレー「ニュー東京」もなくなって、「バー銀」もなくなって、グランドキャバレー「ニュージャパン」は荒城の月。
世の中、進むのもいいが、それはけして進歩ではない。「退化」だ。
今、高崎の街を見渡しても年季の入った、そういった店はどこにも見当たらない・・・・・・
いや、ひとつふたつある。次はそんな、時代の流れには無頓着な「デジャブー」な店の話でもしようか。
そう言えば、旭町、高島屋のところの四角にあった「まづいや」のおでんは美味かった。
高崎でもう二度と食べられない本格的グルメ!!③
「中熊のモツ煮込み」
ぐつぐつと煮えたぎるモツ煮はアルマイト製の大鍋も相当年季が入っているのか小気味良い音を奏でながら客をまっている。
そう・・・・・・
そんな店はなにも小奇麗である必要はない。
できれば、灯りは「松下式」二股ソケットの紐付き2段切替スイッチあたりが隙間風に触られていると嬉しい。
それにそこかしこ傷のついてる、やはりアルマイトの灰皿と箸も使い古しの年季の入った塗りのやつ。
更に重ねて欲を言えば格子の障子窓には雨露を忍んだ幾重もの染みでもあれば肴には困らない。
そして、開け閉めに一工夫させられる滑車の引戸。もちろん取っ手の所は庶民の血と汗と涙が染み付いて黒光りしているやつ。
で、時期でも良ければ、開け放たれた障子、格子の隙間から知った顔がちらほら覗く・・・・・・
それでもどう云うわけかそれなりに気を遣い開けかけた暖簾を避けて具合のいい席を選る。
「ここが空いてるよ」
と、常連だろう、何気に気安いのが嬉しい。
そう云った店は団体で来る客はそうはいない。大概がお一人様かお二人様と相場は決まっている。
それでも3人寄らずとも、高崎の高度経済成長の縁の下だ、そこそこに仕上がってくるとつまらない揉め事を肴に結構賑やかになる。
もちろん贅沢なブランデーやウイスキーなどは無い。精々が「角」ではないだろうか。
店の中は口角に泡を飛ばした五月蝿さが、日々の溜飲を下げる。蝿取り紙に吸い付かれた蝿が裸電球にに透けてジタバタしている。
贅沢だろうか・・・・・・
そうかもしれない。否、贅沢である。
本当に贅沢であった。今はもうそんな店はない。
僕らはそれを「チュークマ」と呼んでいた・・・・・
高崎の夜の政官財界の奥座敷として名を馳せていた「宇喜代」の路地を挟んで、その辻向かいにその「中熊」はあった。
今は「ビューホテル」とかで、味もシャッカラケもない趣のホテルになってるところ。
そう、その「宇喜代」が高崎のハイソサエティの奥座敷なら、「中熊」は労働者の、知る人ぞ知る奥座敷とでも言わせてもらおうか。
それにしても棲み分けの良い時代ではあった。
「中熊」は亭主は厨房で肴を、おかみさんはカウンターで鍋守・・・・・
何と言っても、一番のウリ「モツ煮込」。相当に年季の入った仕込であることはその味が証明している。
器は瀬戸物、箸はけして割箸などではない。上物ではないにしろその塗り箸の持て成し。それに、季節物の「漬物」、これが絶品である。
当然、夏場は茄子と胡瓜、カブ、の糠漬け。そして冬場は白菜漬け・・・・・
申し訳ないが、その「糠漬け」に「煮込み」があれば、粋な黒塀見越しの松の「宇喜代」とて敵うまい。
とは言うものの、「宇喜代」とやらに上がれるほどの身分でないので、只の僻みかもしれない。
何しろ、「宇喜代」とやらで一体どんなものを飲ませて食わせてくれるのかは想像もしたことが無いのだから。
酒の銘柄は記憶の彼方である。と云ううより「中熊」。「チュークマ」と呼ぶくらいだから・・・・・
頂くのはもちろん焼酎。ご存知、「ウメ割」。これも矢鱈と逸品である。
分厚いカットグラス・・・少々傷の入ったそんな気取った物ではない「コップ」。皿受けに零れても尚、並々と注いでくれる。
中学で習った・・・?
小学校だったか、元来学習意欲のなかったオキュパイドベイビィの僕だがそれくらいは知っている「表面張力」(笑)。
その「表面張力」とやらに嬉々としながら、それは極上のワイン、ロマネ・ コンティをいただくかのように恭しく厳かに・・・・・
それはまるで儀式のごとく、まずは両手を膝の上に置き徐を装いグラスに口づけ、「チューッ」っとイクッ。
まさに、「チュークマ」である。誰がなんと言おうと「チュークマ」だ。
途中、溢れ零れた皿受けの「ウメ割」を、まるで子どもの頃に駄菓子屋で「さぐり」に中った時のような気分でコップに戻す。
<少し増えている・・・>
その梅割を裸電球に透かして量を確かめ「ニンマリ」。
そうだ、「チュ―クマ」のもうひとつの売りは「濁り酒」だろう。誰とはなしに酒飲みが度胸試しのつもりでそれを覚える。
変な話、胃カメラの時の「バリュウム」のような感じが最初の憶えである。
慣れて来ると確かに美味いに違いは無いが兎に角、足腰に来るのが騒ぎである。僕は2杯目は遠慮する事にしていた。
そんな「チュークマ」も今は遠い昔・・・・・・
キャバレー「ニュー東京」もなくなって、「バー銀」もなくなって、グランドキャバレー「ニュージャパン」は荒城の月。
世の中、進むのもいいが、それはけして進歩ではない。「退化」だ。
今、高崎の街を見渡しても年季の入った、そういった店はどこにも見当たらない・・・・・・
いや、ひとつふたつある。次はそんな、時代の流れには無頓着な「デジャブー」な店の話でもしようか。
そう言えば、旭町、高島屋のところの四角にあった「まづいや」のおでんは美味かった。
高崎でもう二度と食べられない本格的グルメ!!③
Posted by 昭和24歳
at 04:16
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