2014年12月29日
バヤリースと、ララミー牧場。
バヤリースと、ララミー牧場。
バヤリース、きょう最終出荷 30日解散、42年の歴史に幕
沖縄バヤリース(南城市、上間長恒社長)は26日、同社で製造した最後の「バヤリースオレンジ」を出荷する。事実上、42年の歴史に幕を下ろす。同社は30日に解散し、パート13人を含む従業員42人は解雇となる。営業権はアサヒ飲料(東京)に譲渡、「バヤリースオレンジ」など4銘柄はアサヒ飲料の子会社「アサヒオリオンカルピス飲料」で製造される。県外飲料メーカーとの競争など度重なる経営難を乗り越えてきたが、老朽化した工場へ設備投資する余裕がなくなり、後継者問題も重くのしかかっていた。
米国生まれのバヤリースオレンジは、沖縄で64年の歴史を持ち、県民に親しまれてきた。1950年、米国の会社とフランチャイズ契約を結び「バヤリース・カリフォルニア・オレンジ(オキナワ)」が設立され、軍人・軍属向けに製造を開始した。60年に地元資本を入れて「アメリカン・ボトリング」に社名変更、民間へも出荷するなど順調に業績を伸ばした。
<抜粋引用:琉球新報 12月26日(金)9時56分配信>
ソース: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141226-00000002-ryu-oki
淀川長治「さよなら、さよなら、さよなら」。
「ジェス・ハーパー」こと、ロバート・フラー・・・・・・
御歳、81歳でご健在だそうです。
で、「スリム・シャーマン」こと、ジョン・スミスは1995年に、肝硬変と心臓疾患で病死してしまいました。享年63歳。
僕の家にテレビが入ったのがたしか小学校6年の冬。親父のボーナスで・・・・・
まあ、釘付けでしたね。毎週木曜日夜8時から。
とにかく洋画は「キスシーン」が多くて、とくに「ジェス」のは濃厚なそれ(笑)。
小学校6年でしたから、まあ、家族で見ていると大変でした。
で、その、スリムの「シャーマン牧場」で爺やとして働いていたのが数々のヒット曲を生み出した、中でも・・・・・・
「スターダスト」と「ジョージア・オン・マイ・マインド」永遠の名曲ですね。
で、庵組スポンサーはアサヒビールとバヤリースオレンジで、チンパンジーの演技に大喜びしたもんです。
で、その「バヤリース」なんだけど、沖縄が発祥の地だったんですね。
当然当時は変換前の沖縄だったわけですけど・・・・・・
その時代には隔世の感がありますね。とにかくテレビは西部劇一色でしたし。
「拳銃無宿」「ライフルマン」「ローハイド」、「ベン・ケーシー」なんていうのもありましたね西部劇じゃあないけど。
あとは、4チャンネルの金曜日のプロレス、高崎あたりは映りが悪くてイライラしたもんです(笑)。
「力道山」「ルーテーズ」「フレッド・ブラッシー」「スカイ・ハイリー」等など・・・・・・
当時、台町にあった「高商グランドへ」そのプロレス興行が。「豊登」「芳乃里」「遠藤幸吉」「吉村道明」等々。
まだ、ジャイアント馬場、アントニオ猪木がデビューする前の時代でしたね。
それにしても「バヤリース」の終焉はひとつの時代の終わりかもしれません、僕らの終わり・・・・・・
バヤリースと、ララミー牧場。
バヤリース、きょう最終出荷 30日解散、42年の歴史に幕
沖縄バヤリース(南城市、上間長恒社長)は26日、同社で製造した最後の「バヤリースオレンジ」を出荷する。事実上、42年の歴史に幕を下ろす。同社は30日に解散し、パート13人を含む従業員42人は解雇となる。営業権はアサヒ飲料(東京)に譲渡、「バヤリースオレンジ」など4銘柄はアサヒ飲料の子会社「アサヒオリオンカルピス飲料」で製造される。県外飲料メーカーとの競争など度重なる経営難を乗り越えてきたが、老朽化した工場へ設備投資する余裕がなくなり、後継者問題も重くのしかかっていた。
米国生まれのバヤリースオレンジは、沖縄で64年の歴史を持ち、県民に親しまれてきた。1950年、米国の会社とフランチャイズ契約を結び「バヤリース・カリフォルニア・オレンジ(オキナワ)」が設立され、軍人・軍属向けに製造を開始した。60年に地元資本を入れて「アメリカン・ボトリング」に社名変更、民間へも出荷するなど順調に業績を伸ばした。
<抜粋引用:琉球新報 12月26日(金)9時56分配信>
ソース: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141226-00000002-ryu-oki
淀川長治「さよなら、さよなら、さよなら」。
「ジェス・ハーパー」こと、ロバート・フラー・・・・・・
御歳、81歳でご健在だそうです。
で、「スリム・シャーマン」こと、ジョン・スミスは1995年に、肝硬変と心臓疾患で病死してしまいました。享年63歳。
僕の家にテレビが入ったのがたしか小学校6年の冬。親父のボーナスで・・・・・
まあ、釘付けでしたね。毎週木曜日夜8時から。
とにかく洋画は「キスシーン」が多くて、とくに「ジェス」のは濃厚なそれ(笑)。
小学校6年でしたから、まあ、家族で見ていると大変でした。
で、その、スリムの「シャーマン牧場」で爺やとして働いていたのが数々のヒット曲を生み出した、中でも・・・・・・
「スターダスト」と「ジョージア・オン・マイ・マインド」永遠の名曲ですね。
で、庵組スポンサーはアサヒビールとバヤリースオレンジで、チンパンジーの演技に大喜びしたもんです。
で、その「バヤリース」なんだけど、沖縄が発祥の地だったんですね。
当然当時は変換前の沖縄だったわけですけど・・・・・・
その時代には隔世の感がありますね。とにかくテレビは西部劇一色でしたし。
「拳銃無宿」「ライフルマン」「ローハイド」、「ベン・ケーシー」なんていうのもありましたね西部劇じゃあないけど。
あとは、4チャンネルの金曜日のプロレス、高崎あたりは映りが悪くてイライラしたもんです(笑)。
「力道山」「ルーテーズ」「フレッド・ブラッシー」「スカイ・ハイリー」等など・・・・・・
当時、台町にあった「高商グランドへ」そのプロレス興行が。「豊登」「芳乃里」「遠藤幸吉」「吉村道明」等々。
まだ、ジャイアント馬場、アントニオ猪木がデビューする前の時代でしたね。
それにしても「バヤリース」の終焉はひとつの時代の終わりかもしれません、僕らの終わり・・・・・・
バヤリースと、ララミー牧場。
Posted by 昭和24歳
at 15:47
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