2014年07月03日
北朝鮮へ帰った「崔くん」という同級生・・・・・
北朝鮮へ帰った
「崔くん」という同級生・・・・・
日活映画「キューポラのある街」より↑
これを逃せば最後に…実効性ある調査望む滋さん
今度こそ拉致問題は進展するのか――。
北朝鮮の「特別調査委員会」に実効性があるとして、独自制裁の一部解除が決まった3日、拉致被害者の家族らは、早期の全面解決に期待をにじませた。一方で、北朝鮮の専門家からは「あくまで結果の検証が重要」との声が上がった。
「これを逃せば(救出の機会は)最後になる。再調査が実効性のあるものにしてほしい」。川崎市内で報道陣の取材に答えた横田めぐみさん(拉致当時13歳)の父、滋さん(81)は、政府にそう要望した。安倍首相が記者団を前に「全面解決に向けたスタート」と述べたことに対し、滋さんは「すべての人が帰ることがゴールです」と強調した。
松本京子さん(同29歳)の兄、松本孟(はじめ)さん(67)は、「日本政府の判断を信じるしかない。早く拉致被害者全員を返してもらいたい」と訴えた。制裁解除については「(日朝間の)約束通り行われるべき。入り口で時間をかけず、早く進んだ方がいい」と望んだ。<引用:読売新聞 7月3日(木)13時1分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140703-00050093-yom-soci
それは確か僕が小学校5年生の時のことだった・・・・・
「みなさん、今度、崔くんはお父さんお母さんと朝鮮人民共和国へ帰ります。みんなで見送りましょう」
担任の柴崎慶子先生が崔くんの方をだくようにして教壇の前で言った。
崔くんは、北通町に住んでいた。
今はもうないが、たしか牛込接骨院があったところの路地の奥待ったところに・・・・・
その崔くんの家には何度か遊びに行ったことがあった。
崔くんは、体格がよくて、とてもおとなしい少年だったように記憶する。
僕は、その「北朝鮮」と聞くとき、必ず、その「崔くん」を思い浮かべてしまう。
崔くん、今頃どうしてるんだろうか、「地上の楽園」と言われた、そこ、朝鮮人民共和国の地で。
>「これを逃せば(救出の機会は)最後になる。再調査が実効性のあるものにしてほしい」。
しかし、これほど政治に翻弄された国民もいないのではないか・・・・・・
「酷い」、その一言に尽きる。
戦後の「55年体制」というやつか、政治家も官僚も「保身」に堕ちた。
その拉致事件が起きている最中にも、自民党、旧社会党の幹部は訪朝して・・・・・
その「拉致事件」を「捏造」だと言い放ち、否定していた。
しかし、それが小泉政権の時、なぜそうなったのかの説明もないまま、「小泉首相訪朝」。
北朝鮮の金正日将軍も、それを、「拉致」を認めた。
「そういう事実があった」と、新聞報道ではその「拉致犯」も処分すると・・・・・
そして、数十年ぶりにその拉致被害者の一部、蓮池薫、地村保志夫妻、そして曽我ひとみさん、5人が帰国。
そして小泉首相(当時)二度目の訪朝においてその蓮池、地村、曽我さんの家族もそれぞれ帰国させた。
で、その間、外務省と官邸との間で「一時帰国」との報道もありましたが現在に至ってます。
それにしてもだ、政府はそれを「拉致」というが、これは明らかにテロ行為で「直接侵略」ではないのか。
つまり、「軍事的攻撃」であって、そのことが放置されたままだったということは国家主権を侵害されたままということ。
そこからすれば、そこには「交渉」の余地はないし、「制裁解除」と、のんきなことを言ってる場合じゃあない。
もし、今、自分の息子娘が敵対する外国勢力に侵略され拘束略奪されたとしたら・・・・・・
それは、国内にあっても「誘拐犯」との交渉にしたって最後は犯人逮捕、あるいは射殺ということもありうるのにだ。
まあ、「主権無き国家」といわざろうえまい。テロ行為を実行したと、その敵対国が認めてるのにも関わらず。
おそらく、そこにはよほどの理由があるのかもしれないが・・・・・・
それが日本という、敗戦国の立場としてだとしたらあまりにも政治が貧困すぎやしないか。
北朝鮮へ帰った
「崔くん」という同級生・・・・・
「崔くん」という同級生・・・・・
日活映画「キューポラのある街」より↑
これを逃せば最後に…実効性ある調査望む滋さん
今度こそ拉致問題は進展するのか――。
北朝鮮の「特別調査委員会」に実効性があるとして、独自制裁の一部解除が決まった3日、拉致被害者の家族らは、早期の全面解決に期待をにじませた。一方で、北朝鮮の専門家からは「あくまで結果の検証が重要」との声が上がった。
「これを逃せば(救出の機会は)最後になる。再調査が実効性のあるものにしてほしい」。川崎市内で報道陣の取材に答えた横田めぐみさん(拉致当時13歳)の父、滋さん(81)は、政府にそう要望した。安倍首相が記者団を前に「全面解決に向けたスタート」と述べたことに対し、滋さんは「すべての人が帰ることがゴールです」と強調した。
松本京子さん(同29歳)の兄、松本孟(はじめ)さん(67)は、「日本政府の判断を信じるしかない。早く拉致被害者全員を返してもらいたい」と訴えた。制裁解除については「(日朝間の)約束通り行われるべき。入り口で時間をかけず、早く進んだ方がいい」と望んだ。<引用:読売新聞 7月3日(木)13時1分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140703-00050093-yom-soci
それは確か僕が小学校5年生の時のことだった・・・・・
「みなさん、今度、崔くんはお父さんお母さんと朝鮮人民共和国へ帰ります。みんなで見送りましょう」
担任の柴崎慶子先生が崔くんの方をだくようにして教壇の前で言った。
崔くんは、北通町に住んでいた。
今はもうないが、たしか牛込接骨院があったところの路地の奥待ったところに・・・・・
その崔くんの家には何度か遊びに行ったことがあった。
崔くんは、体格がよくて、とてもおとなしい少年だったように記憶する。
僕は、その「北朝鮮」と聞くとき、必ず、その「崔くん」を思い浮かべてしまう。
崔くん、今頃どうしてるんだろうか、「地上の楽園」と言われた、そこ、朝鮮人民共和国の地で。
>「これを逃せば(救出の機会は)最後になる。再調査が実効性のあるものにしてほしい」。
しかし、これほど政治に翻弄された国民もいないのではないか・・・・・・
「酷い」、その一言に尽きる。
戦後の「55年体制」というやつか、政治家も官僚も「保身」に堕ちた。
その拉致事件が起きている最中にも、自民党、旧社会党の幹部は訪朝して・・・・・
その「拉致事件」を「捏造」だと言い放ち、否定していた。
しかし、それが小泉政権の時、なぜそうなったのかの説明もないまま、「小泉首相訪朝」。
北朝鮮の金正日将軍も、それを、「拉致」を認めた。
「そういう事実があった」と、新聞報道ではその「拉致犯」も処分すると・・・・・
そして、数十年ぶりにその拉致被害者の一部、蓮池薫、地村保志夫妻、そして曽我ひとみさん、5人が帰国。
そして小泉首相(当時)二度目の訪朝においてその蓮池、地村、曽我さんの家族もそれぞれ帰国させた。
で、その間、外務省と官邸との間で「一時帰国」との報道もありましたが現在に至ってます。
それにしてもだ、政府はそれを「拉致」というが、これは明らかにテロ行為で「直接侵略」ではないのか。
つまり、「軍事的攻撃」であって、そのことが放置されたままだったということは国家主権を侵害されたままということ。
そこからすれば、そこには「交渉」の余地はないし、「制裁解除」と、のんきなことを言ってる場合じゃあない。
もし、今、自分の息子娘が敵対する外国勢力に侵略され拘束略奪されたとしたら・・・・・・
それは、国内にあっても「誘拐犯」との交渉にしたって最後は犯人逮捕、あるいは射殺ということもありうるのにだ。
まあ、「主権無き国家」といわざろうえまい。テロ行為を実行したと、その敵対国が認めてるのにも関わらず。
おそらく、そこにはよほどの理由があるのかもしれないが・・・・・・
それが日本という、敗戦国の立場としてだとしたらあまりにも政治が貧困すぎやしないか。
北朝鮮へ帰った
「崔くん」という同級生・・・・・
タグ :北朝鮮、拉致被害者、直接侵略
Posted by 昭和24歳
at 20:01
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