2014年03月04日
戦争体験者と戦後世代
戦争体験者と戦後世代
私は戦争を体験した世代です。
ときどき拝見していて同感。
かって東条英機が八紘一宇、神州日本と国威高揚を高らかに宣言。
元気のよい彼の言葉に国民が昂揚、一挙に戦争に向かいました。
いま、安倍首相の支持率が高く、当時に似てきました。
ただ、今の若者が、われわれの世代のように、
お国に命を捧げる覚悟のある者がどれぐらいいるか・・・
<戦争体験者より>
<以下、昭和24歳>
先日名古屋で車による無差別殺人未遂、13人重軽傷。
「殺すつもりだった」大野木亮太(30歳)。
そして昨夜千葉、柏市で同一犯とみられる「通り魔殺人」、3件発生(内一人死亡)。
>お国に命を捧げる覚悟のある者がどれぐらいいるか・・・
僕の父も、結果、その一人でしたが、34歳で出征。
それは、お国のために命を捧げたのではなく・・・・・
「国家に命を奪われた」
大方の日本国民がにわか仕立ての「現人神」といった、非科学的な現実を納得していたわけではない。
明治維新。その虚飾の上に成立した「大日本帝国」は徴兵により、牛馬のごとく一般国民を狩り立てたのがそもそもの始まり。
歴史書に詳しいし、当然、戦争を体験された「sty様」ならご案内でしょうが「君主」とはおよそ、そんなもんではないでしょうか・・・・・
その意味では「アメリカ合衆国」、移民国家の方がわかりやすい、「弱肉強食」の社会。
「命を捧げる覚悟」とはなんでしょうか?
仄聞では、その最前戦体験者の言葉を借りれば、高級軍人は「戦陣訓」を強制しそこの赤子を弾除けに退却したと。
国家総動員法とその教育によって洗脳されたであろう子供たち・・・・・
だが、成長すれば、普通に「疑問」は湧く。
武家社会の頃だって、大衆、庶民の間では「殿様」は「公」呼ばわりだったと、古今亭志ん生の「たがや」が教えるように、
「センコー(先生)」「エテ公(猿)」「ヤー公(ヤクザ)」といわゆる蔑称でしょうか(笑)。
ぼくらも、やや物心ついた頃、戦後30年代の話ですが近所のお兄さんの真似をして・・・・・
「テンノー屁ーカ」と仕草入りでやってはふざけていた。
「お国に命を捧げる」は、お国に命を「召される」ではないでしょうか。
父母、嫁、子どもを遺して、どうしてそのような覚悟をしなければいけないのか?
よしんば覚悟をしてお国に殉じたとして、その「お国」がどうだったのか?
「一億総玉砕」、国体を守るため「徹底抗戦」を声高に叫んだ高級軍人。
僕の父の場合は敗戦後シベリア抑留で復員したのが昭和22年12月だった。
昭和18年、出征直後に生まれた三女、僕の姉ですけど、その福音したとき4歳になっているはずだったが、位牌になっていた。
父は号泣したそうです。
出征、その間、父の弟、妹二人は、当時の流行病「結核」で死去ともに20代。
まあ、聞けば、ご近所「戦死」の訃報は日常だったとか。
そして、「お国に命を捧げた」挙句が、大空襲、そして広島、長崎への原水爆実験投下。
しかし、今日、国会で言われている「殉じた」とされる「招魂」なのか「招魂」なのか・・・・・
「そうした彼らの犠牲の上に今日の日本の繁栄がある」
まさに、それこそが、「見てきたような嘘を言う」ではないか。
「特別攻撃隊」は政策の上になされた。発令者はその「お国」の奥深いところで・・・・・
「特別攻撃隊」で、死んでは戦にならない。
そもそも、その「戦略」というか「政策」に寸分ほどの「お国のため」はあったのか?
まあ、「靖国神社」を、お詣りする大義を言うなら、そこで切腹とまでは言わないが、頭を丸めるぐらいの覚悟はないのかと言いたくなる。
そこから、久遠ともなる時空を超え、それら末裔が「見てきたような嘘」を脚色する。
今日の、参議院予算委員会を見聞しても居並ぶ閣僚、各面々の自信のなさそうな趣。
おそらく、現下の「政治」に不信と不安を感じておられるのではないかと・・・・・
それを、「自信満々の総理」に何も言えない、それは総理が「お国」の代理人だからでしょうか。
そして、今日、子どもたちは第三者との直接的会話の機会も奪われ「LINE」でのみ繋がる。
スマホで情報収集して、ヴァーチャル社会にどっぷり浸かる・・・・・
生身の人間と対峙した時、その言葉を知らない。ヴァーチャルな世界での会話が現実の中で起きる。
この、20年。インターネットが普及しその影の部分が知らぬ間に表面化してきた。
「なりすます」が、知らぬ間に「現実」と錯覚。
「LINE」の中で口論のあげく中学生同士が「殺人」へと発展・・・・・
命までが「ヴァーチャル」と錯覚し、「死んじゃった・・・・・」で平然と放置。
まっ、ウルトラマン世代くらいからだろうか、テレビの中での瀬尾着のための「殺戮」は日常。
あれほどのシーンで爆発が起き、家屋が踏み潰されたりすれば相当の死者、被害者が出ているはず。
それも、「平和のため」「地球のため」と円谷プロ(笑)。
>われわれの世代のように、お国に命を捧げる覚悟のある者
お言葉ですが、失礼を承知でお尋ねしたい・・・・・
如何様な「ご覚悟」がおありでしたか、その当時?
そして、その「覚悟」を次世代に求めますか?
戦争体験者と戦後世代
私は戦争を体験した世代です。
ときどき拝見していて同感。
かって東条英機が八紘一宇、神州日本と国威高揚を高らかに宣言。
元気のよい彼の言葉に国民が昂揚、一挙に戦争に向かいました。
いま、安倍首相の支持率が高く、当時に似てきました。
ただ、今の若者が、われわれの世代のように、
お国に命を捧げる覚悟のある者がどれぐらいいるか・・・
<戦争体験者より>
<以下、昭和24歳>
先日名古屋で車による無差別殺人未遂、13人重軽傷。
「殺すつもりだった」大野木亮太(30歳)。
そして昨夜千葉、柏市で同一犯とみられる「通り魔殺人」、3件発生(内一人死亡)。
>お国に命を捧げる覚悟のある者がどれぐらいいるか・・・
僕の父も、結果、その一人でしたが、34歳で出征。
それは、お国のために命を捧げたのではなく・・・・・
「国家に命を奪われた」
大方の日本国民がにわか仕立ての「現人神」といった、非科学的な現実を納得していたわけではない。
明治維新。その虚飾の上に成立した「大日本帝国」は徴兵により、牛馬のごとく一般国民を狩り立てたのがそもそもの始まり。
歴史書に詳しいし、当然、戦争を体験された「sty様」ならご案内でしょうが「君主」とはおよそ、そんなもんではないでしょうか・・・・・
その意味では「アメリカ合衆国」、移民国家の方がわかりやすい、「弱肉強食」の社会。
「命を捧げる覚悟」とはなんでしょうか?
仄聞では、その最前戦体験者の言葉を借りれば、高級軍人は「戦陣訓」を強制しそこの赤子を弾除けに退却したと。
国家総動員法とその教育によって洗脳されたであろう子供たち・・・・・
だが、成長すれば、普通に「疑問」は湧く。
武家社会の頃だって、大衆、庶民の間では「殿様」は「公」呼ばわりだったと、古今亭志ん生の「たがや」が教えるように、
「センコー(先生)」「エテ公(猿)」「ヤー公(ヤクザ)」といわゆる蔑称でしょうか(笑)。
ぼくらも、やや物心ついた頃、戦後30年代の話ですが近所のお兄さんの真似をして・・・・・
「テンノー屁ーカ」と仕草入りでやってはふざけていた。
「お国に命を捧げる」は、お国に命を「召される」ではないでしょうか。
父母、嫁、子どもを遺して、どうしてそのような覚悟をしなければいけないのか?
よしんば覚悟をしてお国に殉じたとして、その「お国」がどうだったのか?
「一億総玉砕」、国体を守るため「徹底抗戦」を声高に叫んだ高級軍人。
僕の父の場合は敗戦後シベリア抑留で復員したのが昭和22年12月だった。
昭和18年、出征直後に生まれた三女、僕の姉ですけど、その福音したとき4歳になっているはずだったが、位牌になっていた。
父は号泣したそうです。
出征、その間、父の弟、妹二人は、当時の流行病「結核」で死去ともに20代。
まあ、聞けば、ご近所「戦死」の訃報は日常だったとか。
そして、「お国に命を捧げた」挙句が、大空襲、そして広島、長崎への原水爆実験投下。
しかし、今日、国会で言われている「殉じた」とされる「招魂」なのか「招魂」なのか・・・・・
「そうした彼らの犠牲の上に今日の日本の繁栄がある」
まさに、それこそが、「見てきたような嘘を言う」ではないか。
「特別攻撃隊」は政策の上になされた。発令者はその「お国」の奥深いところで・・・・・
「特別攻撃隊」で、死んでは戦にならない。
そもそも、その「戦略」というか「政策」に寸分ほどの「お国のため」はあったのか?
まあ、「靖国神社」を、お詣りする大義を言うなら、そこで切腹とまでは言わないが、頭を丸めるぐらいの覚悟はないのかと言いたくなる。
そこから、久遠ともなる時空を超え、それら末裔が「見てきたような嘘」を脚色する。
今日の、参議院予算委員会を見聞しても居並ぶ閣僚、各面々の自信のなさそうな趣。
おそらく、現下の「政治」に不信と不安を感じておられるのではないかと・・・・・
それを、「自信満々の総理」に何も言えない、それは総理が「お国」の代理人だからでしょうか。
そして、今日、子どもたちは第三者との直接的会話の機会も奪われ「LINE」でのみ繋がる。
スマホで情報収集して、ヴァーチャル社会にどっぷり浸かる・・・・・
生身の人間と対峙した時、その言葉を知らない。ヴァーチャルな世界での会話が現実の中で起きる。
この、20年。インターネットが普及しその影の部分が知らぬ間に表面化してきた。
「なりすます」が、知らぬ間に「現実」と錯覚。
「LINE」の中で口論のあげく中学生同士が「殺人」へと発展・・・・・
命までが「ヴァーチャル」と錯覚し、「死んじゃった・・・・・」で平然と放置。
まっ、ウルトラマン世代くらいからだろうか、テレビの中での瀬尾着のための「殺戮」は日常。
あれほどのシーンで爆発が起き、家屋が踏み潰されたりすれば相当の死者、被害者が出ているはず。
それも、「平和のため」「地球のため」と円谷プロ(笑)。
>われわれの世代のように、お国に命を捧げる覚悟のある者
お言葉ですが、失礼を承知でお尋ねしたい・・・・・
如何様な「ご覚悟」がおありでしたか、その当時?
そして、その「覚悟」を次世代に求めますか?
戦争体験者と戦後世代
Posted by 昭和24歳
at 13:32
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