2014年02月09日

平成「大高崎建設論」はじめの一歩

平成「大高崎建設論」はじめの一歩

平成「大高崎建設論」はじめの一歩



昨夜は、大雪にもかかわらず、高崎市の重鎮をお招きしてアカデミック(?)なミーティングを。

劇的に変わろうとしている「高崎市」のその異形を考察するというそれ・・・・・

人口、実質21万人(34万人)程度の街に1000億円近い投資をしての「箱モノ」行政。

いわゆる「角を矯めて牛を殺す」式の開発とやらです。

高崎市の重鎮72歳、いちじんさん(65歳)、迷道院高崎さん(65歳)、昭和24歳(64歳)、

そして、これからの高崎市を背負って立つ新進気鋭のKさん(44歳)の面々・・・・・

喧々諤々とはいかないが、それぞれがフリーの立場で、一言、「物申す」といった、

そんな趣のミーティングでした。

なぜか、都知事選挙も、オリンピックも「ソチ除け」でしたね、話題にもならなかった(笑)。

そんなことより、一夜明けての高崎から見る榛名、赤城、妙義山、いわゆる上毛三山がどれほど美しいかを讃え合った。

榛名も、赤城も、妙義も単山ではない、いくつかの山からなる「連峰」。

榛名山は、その隙間から見る「榛名富士」が際立ち、そして高崎から前橋に抜ける県道前橋街道、

丁度、貝沢の問屋町駅信号あたりから垣間見る「赤城」はまさにチューリッヒさながら・・・・・・

瞬間だがその朝焼けに金色に染まった雪景色は絶景。

会したメンバーがそれぞれに明朝の高崎市の「雪景色」百景を自慢しあった(笑)。

そう言いつつも、「それにしても、ここには景観」がないなぁ・・・・・

そんな意見を言いつつ、知ったかぶりの僕が、「なぜだろう」と自説を展開する(^^ゞ

「まあ、徳川幕府開闢にしつらえた人造都市、いわゆる井伊直政築城とその一派、近江やら信州からの移民によって創られた城下町だから、土着的愛着の郷土意識は、そのDNAからはないのかもしれない」

つまり、旧市街地、商店街を構成する「商人」のルーツは他所にある分けです。

故に、明治維新での世替わりはそこの名残を全て破壊尽くした「新政府」。

あったであろう、武家屋敷も、幕府行政関連施設も全て今日見る影はない・・・・・・

たかが「5万石」の高崎藩だったが初代藩主がご案内の徳川家康、副審の「井伊直政」が彦根より。

そして、徳川家康の孫でもある、国松、後の駿河大納言「徳川忠長」3代将軍の弟をその高崎城に幽閉させ、

自害までというヒストリアはその徳川幕政における高崎の地政学を物語っているのではと。

因みに、市街中心地の大信寺にその駿河大納言「徳川忠長廟」がひっそりとある。

極めて「徳川色」が濃かったから故、「高崎藩」は徹底的に改竄された。

おそらく、高崎藩士、武家も「所払い」となったのではと。そして今日、高崎藩士の末裔の話はほとんど聞かれず、

著名な、内村鑑三、そして深井英五さんのお話が史記に見るくらいだろうか。

さて、話題は高崎競馬場跡地に「高崎コンベンションセンター」1万6千平米、300億円。

そして、大規模集客施設約10万平米400億円。さらに6000人集客規模のスポーツアリーナが今後5年以内に完成と、

大盤振る舞いなんだが旧街中はスカスカで、ぺんぺん草が生え始めてますといったところに(笑)。

そこで、僕の「コンベンション」論と「コンベンション」体験話を・・・・・

まあ、年間、数万人規模の県内外、外国からの集客となると、いわゆる「オモテナシ」が不可欠ですね。

そこで、なくてはならないのが、その大規模集客施設群とテーマパークです。

まあ、3大都市圏ならその都市そのものがテーマパーク的存在だろうけど、今のところ高崎ではそうはならない。

コンベンションにしてもスポーツ大会にしてもその規模ともなると、最低でも3,4日は高崎に滞在することになる。

つまり、その滞在期間を高崎でどう過ごしてもらえるかが大きなテーマで、経済的にも重要なマターではないかと。

僕が、数年にわたって出店したカリフォルニア、アナハイムコンベンション(LAから60キロくらい)。

そこでの「全米楽器ショー(NAMM)」なんだが、やはりそのアナハイム4日間は最低でも滞在した。

そのコンベンションセンターはディズニーランドに隣接、そして隣町にはナッツベリーファームも・・・・・・

LAまで足を伸ばせばユニバーサルスタジオ、そしてダウンタウンとたっぷり楽しめる。

では、高崎にそれがあるか、ハッキリ言って「無い」。伊香保、水上、草津では無理がある(^^ゞ

さらに、そこに4日間滞在するための宿泊施設は、現存するようなビジネスホテルであってはならない。

僕らはアナハイムでは「モーテル」に滞在した。

その多くが2ベッドルーム、キッチン、プール付きでひと部屋一泊100ドル前後、家族四人で泊まって。

そこいらが、極めて重要なところだろう。

そして、その高崎コンベンションセンターでのBtoBにしても望むところは「国際レベル」ではないだろうか。

さらに、「国際会議」、「スポーツ国際大会」ともなれば、ホテルにしても「滞在型」に欧米並みのルームセットが。

まあ、そのコンベンションでもどんな見本市を承知するかは行政の営業力ですか(^^ゞ

ある程度費用を負担しての「新興国モーターショー」とか、「軽自動車ショー」とか「自転車ショー」とかも。

で、せっかく「音楽ある街たかさき」なんだから、是非ともマーチングフェスティバルに併せた「楽器ショー」も。

まっ、少なくとも「角を矯めて牛を殺す」ことのないような開発を!!

昨夜のミーティングは「子育て論」から「家族論」、そして「街づくり」と、多岐にわたり・・・・・

今後は、月一程度で開催予定ですので、多くのみなさまのご参加を切望します。

平成「大高崎建設論」はじめの一歩





Posted by 昭和24歳  at 10:25 │Comments(1)

この記事へのコメント
高崎出身のものです。
今は県外に住んでいますが離れているからこそふるさとのことが気になります。
年に何回か訪れるたびに変わっていく町を目にします。
私は上毛三山の眺めが大好きです。
目先のことだけでなく長く魅力を放つ街に成長していくことを願っています。

競馬場の跡地はどのように使われるのか目が離せません。
Posted by UTO at 2014年02月09日 18:22
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