2013年12月31日

「永山則夫」の時代とは。

「永山則夫」の時代とは。

「永山則夫」の時代とは。


永山則夫
 永山 則夫(ながやま のりお、1949年6月27日 - 1997年8月1日)は、1968年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)を引き起こした刑死者(元死刑囚)である。板柳町立板柳中学校卒業、明治大学付属中野高等学校定時制中退。

1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの間、獄中で創作活動を続けた小説家でもあった。1983年、小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞。

<出典:ja.wikipedia.org>

ETV特集、再放送を見る・・・・・
http://matome.naver.jp/odai/2135102083173376601
<↑詳細はコチラ>

何か、「忘れていたもの」が蘇ってきたような。

その時代背景は、僕らそのものだった「永山則夫連続殺人事件」。

昭和24年6月27日生まれは学年こそ僕より一つしただが、同世代である。

そして、永山則夫刑死者が事件を起こした19歳は、僕も19歳だった・・・・・

その記録からは壮絶な幼児、少年期だったことが想像できる。

それを思うと、僕らは社会に不平不満を募らせつつもなんと安穏とした時間を過ごしていたのかと。

昭和42年、43年といえば学生運動の嵐吹き荒れるそんな世情だった。

そしてそれとは裏腹に、グループサウンズ、猫も杓子も「エレキ」といった・・・・・

現実的には「二律背反」する異形の世相でもあった。

ちょうど、その3年後あたりから「赤軍連続リンチ殺人事件」が発生する。

その意味では、その生まれ育った環境も永山則夫刑死者とは天地の差でありながら。

そして事件のあった昭和43年10月といえば、その時の僕、僕らはまさに昭和元禄を謳歌していた。

今、その事件のあった時代を振り返って、彼がそうせざるを得なかった理由は理解できるが・・・・・・

つまり、通り魔的に4人もの無辜の命を奪ったという事実は覆されない。

それにしても、19歳から享年48歳までの獄中生活はすっかり彼を変えさせていたことが、

その写真から想像できる。約30年弱、彼は初めて「普通の生活」にたどり着いたのではなかっただろうか。

しかし、あえて言うならその、永山則夫刑死者と同じような境遇に育った子供は数知れないだろう・・・・・

それに、様々な事情を抱えつつも歯を食いしばって生き抜いた、僕ら世代も数知れない。

残念ながら、「天運」なのかも知れない。

そこに生まれてしまったこと自体が「不幸」だということ。

そして、時に運に恵まれれば、友人なり、先輩なりという人に巡り合えることも。

正直、僕はそれに救われている。そして30数年前から持ち始めた「家族」にも。

「何のために生まれてきたのか」と、自問自答する永山則夫刑死者だったが、

それなら、永山則夫刑死者に何の関係もなく命を奪われた被害者は・・・・・・

それこそ、「何のために生まれてきたのか」と悔やんでもくやみこれないだろうし、その遺族も。

そして、やはり問題は少しでもこうした「不幸」を生み出さない社会を作ることだと思う。

個人の力が徐々に弱まっている現代社会は、何をするべきかの、その答えは出ているはずだが。

言われる、「貧困の連鎖」と、その中の「児童虐待」ネグレクトは・・・・・・

これほど豊かになったはずの日本社会に蔓延しているのはなぜか、なぜなのか?

既に、祖父祖母世代になった僕らにはその答えは用意できているはずなんだが、どうしたものか。

「永山則夫」の時代とは。




Posted by 昭和24歳  at 05:06 │Comments(0)

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