2013年12月04日

青春のエピローグ

青春のエピローグ

青春のエピローグ

僕らは、明らかに一つの時代の終わりに目覚めた。

1977年(昭和52年)1月19日・・・・・

昭和41年、日本政府は一回に500ドル以内の持ち出しを条件に国民の海外渡航自由化を認めた。

僕が初めて海外、香港へ行ったのはそれから6年が経った昭和47年2月。

「70年安保の終焉」とともに、騒然とした時代が終わりを告げようとしていた・・・・・

そんな何とも言えない空虚な時間を僕らは持て余していたそれ。

それは「若者」が「オヤジ」に変化しようとしているそんな時、つまり、幼虫が羽化するその瞬間の時代。

時代はそんな「若者」を二つに分けた。

ひとつは社会というその坩堝の中に埋没させる、いわゆる「フツー」という種類の若者。

翻ってみれば、社会保険料(年金)を満額支払い、今、そこに悠々自適の年金生活を迎えた?

まあ、残念ながら時代が「そうは問屋が卸さない」ではないが・・・・・

55歳定年から支給されるそれも60歳から、さらに満額は65歳からと(^^ゞ

そしてそこに見る「受験戦争」を戦い抜いた「企業戦士」が24時間働けますかと高度経済成長を仕上げた。

今日のこの国の姿はその猛進した時代の轍に軋んでいるかのようで気も重いが。

もう一つは「社会」というそれからはみ出し、よく言えば「個性的」とでも言うのだろうか、

「カタカナ」で綴られる職業を編み出し、当然それが社会、もっと言えば日本経済が求めた「文化産業」とでも。

それは、イラストレーター、服飾デザイナーから工業デザイナーまで・・・・・

そして、カメラマン、コピーライター等々、それらを教授する専門学校の百花繚乱を創り出した。

その間、およそが、正味30年だろうか。そこのにある企業の「終身雇用制」も打ち止めされ、

それどころか、近年、その企業群も解体、商法の改正とともに「資本」と「経営」が分離された。

つまり、これまでの「経営のための資本」ではなく「資本のための経営」。

当然のように「人的資源」もそうならざるを得ず、「資本」のためなら、その「糧」の供給も制限される。

それは「資本家」、「経営者」、そして「労働者」という「階級社会」に。

時代は進んで、振り返ってみれば「戦前回帰」の国民生活を赦すことになってしまった。

その意味で、そこにある二つに分けられた「若者」という群像はただただ時間を消費するに止めたに過ぎない。

洋々とした時代を過ぎ、敷き詰められた枯葉を踏みしめながら冬空を歩く・・・・・

喧騒を極めた街景も、今はその影すら見ることがない。

僕らは、明らかに一つの時代の終わりに目覚めた。

僕らはあといくつ、この枯葉を踏みしめることができるのだろうか?

先を急いだ君を想うとこの枯れ果てた街景も愛おしい・・・・・

青春のエピローグ




Posted by 昭和24歳  at 15:20 │Comments(0)

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