2013年11月20日
秋の夜長は“BIG BAND JAZZ”
秋の夜長は“BIG BAND JAZZ"
~原信夫とシャープス&フラッツ プロフィール~
1951年9月、10人編成で「シャープス&フラッツ」をスタート。短期間で現在と同じ17人編成のビッグバンド・スタイルを取り入れ、アメリカのスイング・ジャズからモダン・ジャズへの推移をその敏感な感覚で捉えてきた。ダンス・バンドからコンサート・バンドへと脱却を図り、「デューク・エリントン」「カウント・ベイシー」「スタン・ケントン」「ウディ・ハーマン」等の本場のトップクラスを射程におさめた積極的な音楽活動を繰り広げてきた。
1958年には初リサイタルを成功させ、「NHK交響楽団」「日本フィルハーモニー交響楽団」や国民的スターの「江利チエミ」や「美空ひばり」との共演、1967年には「アメリカ・ニューポート・ジャズ・フェスティバル」への出演を果たすなど、その音楽性は高く評価され、常に時代を切り開いてきた。「クインシー・ジョーンズ」「サミー・デイヴィス・Jr」「ダイアナ・ロス」「ナット・キング・コール」等ら海外アーティストとの共演も数知れず、これほど多くのアーティストと共演を繰り広げたビッグ・バンドは世界でも類を見ない。
ソース:http://www.amazon.co.jp/LAST-FOREVER-Tokyo-Bunka-Kaikan-11-02-2008/dp/B001NDR57O/ref=pd_sim_m_1
僕が初めて「原信夫とシャープ&フラッツ」を聴いたのは・・・・・
かれこれ50年前のこと。
当時は群馬音楽センターには音協とかの主催のトップアーティストのコンサートが。
ブレンダ・リー、ヘレン・メリル、ビッグバンドでは「シャープ」をはじめ、
「ペレスプラード」、「東京キューバン」、「ニューハード」。
もちろん「ナベサダ」も「日野てる」等など、何れも15、6才の頃。
まあ、群馬音楽センター完成からまだ2年足らずの頃・・・・・・
2000人からを収容する「音楽ホール」は地方都市では初めてだったのではないだろうか。
その後のエレキブーム、僕が18、9の頃、まさかその音楽センターの舞台に立ち、
超満員を沸かせるとは想像もしていなかった。
音楽センター完成から10年くらいの頃のことだった。
当時、僕は高崎にあった某「大型キャバレー」でのドラマー時代・・・・・・
その音楽センターに「シャープ&フラッツ」が演奏公演に来た。
その時、たまたま、一緒にプレイしていた先輩「やまちゃん」が、
その「シャープ&フラッツに」にトランペッターの友人がいるとかでゴトシの合間に音楽センターへ。
名前は失念したが、その「やまちゃん」の友人とかの・・・・・・
たしか舞台では「ビッチ」とかのあだ名でバンマスの原信夫さんから紹介されていた人、
そのトランペッター、つまり「背が低い」。まあ、ギョーカイ用語、
なんでも言葉を反対から言うので「ちび」を「ビッチ」と言って、まあ、としの頃なら当時30歳?
で、公演が終わって楽屋でチョッとご挨拶して僕らゴトシに戻ると「やまちゃん」が・・・・・
「ゴトシ、ネーハしてから、あいつ、ビーアソで来るって」
なんと、あの「原信夫とシャープ&フラッツ」のトランペッターが一緒に演奏してくれるという。
そうすると、僕らが演奏中にその「やまちゃん」の友人のトランペッター氏・・・・・
ささっと、ステージに上がってきて、一緒に演奏し始めた。
まあ、レベルが違うというか、僕のすぐそばで吹くそのトランペットは何とも言えなかった、至極。
おかしなもので、僕のドラムまでいつになくリーノしちゃってゴキゲン(笑)。
まあ、「原信夫とシャープ&フラッツ」にはそんな遠い日の思い出があります。
で、「原信夫とシャープ&フラッツ」半世紀の歴史に幕を閉じちゃいましたね・・・・・
それはそうと、最近はあまり聞かないけど「日野てる(71歳)」とかは健在でしょうか?
それよりも「ナベサダ(80歳)」、生「ナベサダ」聞いておかなくちゃァね。
秋の夜長は“BIG BAND JAZZ"
~原信夫とシャープス&フラッツ プロフィール~
1951年9月、10人編成で「シャープス&フラッツ」をスタート。短期間で現在と同じ17人編成のビッグバンド・スタイルを取り入れ、アメリカのスイング・ジャズからモダン・ジャズへの推移をその敏感な感覚で捉えてきた。ダンス・バンドからコンサート・バンドへと脱却を図り、「デューク・エリントン」「カウント・ベイシー」「スタン・ケントン」「ウディ・ハーマン」等の本場のトップクラスを射程におさめた積極的な音楽活動を繰り広げてきた。
1958年には初リサイタルを成功させ、「NHK交響楽団」「日本フィルハーモニー交響楽団」や国民的スターの「江利チエミ」や「美空ひばり」との共演、1967年には「アメリカ・ニューポート・ジャズ・フェスティバル」への出演を果たすなど、その音楽性は高く評価され、常に時代を切り開いてきた。「クインシー・ジョーンズ」「サミー・デイヴィス・Jr」「ダイアナ・ロス」「ナット・キング・コール」等ら海外アーティストとの共演も数知れず、これほど多くのアーティストと共演を繰り広げたビッグ・バンドは世界でも類を見ない。
ソース:http://www.amazon.co.jp/LAST-FOREVER-Tokyo-Bunka-Kaikan-11-02-2008/dp/B001NDR57O/ref=pd_sim_m_1
僕が初めて「原信夫とシャープ&フラッツ」を聴いたのは・・・・・
かれこれ50年前のこと。
当時は群馬音楽センターには音協とかの主催のトップアーティストのコンサートが。
ブレンダ・リー、ヘレン・メリル、ビッグバンドでは「シャープ」をはじめ、
「ペレスプラード」、「東京キューバン」、「ニューハード」。
もちろん「ナベサダ」も「日野てる」等など、何れも15、6才の頃。
まあ、群馬音楽センター完成からまだ2年足らずの頃・・・・・・
2000人からを収容する「音楽ホール」は地方都市では初めてだったのではないだろうか。
その後のエレキブーム、僕が18、9の頃、まさかその音楽センターの舞台に立ち、
超満員を沸かせるとは想像もしていなかった。
音楽センター完成から10年くらいの頃のことだった。
当時、僕は高崎にあった某「大型キャバレー」でのドラマー時代・・・・・・
その音楽センターに「シャープ&フラッツ」が演奏公演に来た。
その時、たまたま、一緒にプレイしていた先輩「やまちゃん」が、
その「シャープ&フラッツに」にトランペッターの友人がいるとかでゴトシの合間に音楽センターへ。
名前は失念したが、その「やまちゃん」の友人とかの・・・・・・
たしか舞台では「ビッチ」とかのあだ名でバンマスの原信夫さんから紹介されていた人、
そのトランペッター、つまり「背が低い」。まあ、ギョーカイ用語、
なんでも言葉を反対から言うので「ちび」を「ビッチ」と言って、まあ、としの頃なら当時30歳?
で、公演が終わって楽屋でチョッとご挨拶して僕らゴトシに戻ると「やまちゃん」が・・・・・
「ゴトシ、ネーハしてから、あいつ、ビーアソで来るって」
なんと、あの「原信夫とシャープ&フラッツ」のトランペッターが一緒に演奏してくれるという。
そうすると、僕らが演奏中にその「やまちゃん」の友人のトランペッター氏・・・・・
ささっと、ステージに上がってきて、一緒に演奏し始めた。
まあ、レベルが違うというか、僕のすぐそばで吹くそのトランペットは何とも言えなかった、至極。
おかしなもので、僕のドラムまでいつになくリーノしちゃってゴキゲン(笑)。
まあ、「原信夫とシャープ&フラッツ」にはそんな遠い日の思い出があります。
で、「原信夫とシャープ&フラッツ」半世紀の歴史に幕を閉じちゃいましたね・・・・・
それはそうと、最近はあまり聞かないけど「日野てる(71歳)」とかは健在でしょうか?
それよりも「ナベサダ(80歳)」、生「ナベサダ」聞いておかなくちゃァね。
秋の夜長は“BIG BAND JAZZ"
Posted by 昭和24歳
at 13:23
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