2013年07月29日

40年ぶりの再会“奥様はジャズシンガー”。

40年ぶりの再会
“奥様はジャズシンガー”。




今は無きカッパピアのオープンショーで来園の、
「沢知美」さんと記念撮影に興じる“ザ・プラネッツ”の面々。
アレから40有余年の歳月が流れちゃいました・・・・・

「あっ、いましたいました、あの頃のジョージが!!」
前列左より、マネージャーの「クニ」さん、コレで22歳でしたから(^^ゞ
そして僕、ボーカルの「KENちゃん」、そして顔だけ覗かせているリードギターの「ジョージ」。
そのお隣が当時「11PM」のカバーガールで人気を博していた「沢知美さん」。
で、ベースの「KENJIさん」とサイドギターの「Nさん」・・・・・
若かったですね、なにせ二十歳でしたから、ボクとジョージ。



正確には43年ぶりだろうか。

高崎で「プラネッツ」と言えば知らない若者はいなかった。
まあ、当時のお話ですけど、それは昭和44年、その頃は「GSブーム」の真っ只中、渦中。
リードギターだった「ジョージ」はボクと同い年、とにかくその腕前は抜群だった(あの頃は)。
別に今がどうだこうだというわけではないのだが(^^ゞ

先日、とあるイベントでジョージの兄さん、KIYOちゃんと偶然に、これも43年ぶりに。
チョイの間、話すうちにその「43年」という時間ははあっといむ間に蘇った、つまりタイムトリップ。
そのKIYOちゃんも、高崎ではならした「マイティーズ」というバンドのリーダーだった。
そのマイティーズだがグヤトーンのエレキ合戦で優勝している・・・・・
まあ、ベンチャーズの「キャラバン」とか、寺内とブルージーンズの「津軽じょんがら節」、
当然、この高崎あたりでは右に出る者はいなかった。

そうだ、その「KIYOちゃん」たるや、その趣は「動かざるは山の如し」つまりアレ、
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」で、ちょっと砕けちゃうとその風貌たるや、アレ、
「ジャイアント馬場」の如しというかなんというか・・・・・・
まあ、ソレ、KIYOちゃんにとって褒め言葉となるかは如何になんだがご本人いたって真面目に、

「モノマネが出来なくちゃあ一人前じゃあない」

が、「座右の銘」というか、人生いろいろですし。
で、初めて知ったのだが「ジャイアント馬場」のモノマネはそのKIYOちゃんが元祖なんだとか。
なんでも、高崎のビヤガーデンで、ご案内の「マイティーズ」出演の折、
当時ではまだ、若手落語家だった「桂米丸師匠」と共演、そこでKIYOちゃん・・・・・
「ジャイアント馬場」をご披露、至極、米丸師匠に受けたらしくその後それが関根勤こと、
「銀座ナウ」のラビット関根に継承されたんだとか、世の中分かりません(^^ゞ

そんなわけsw、KIYOちゃんとは近々の再会を約束してひと月、ふた月、思わぬところでKIYOちゃんとのそれが実現。
なんと、それは、僕のイベントの打ち合わせで、ジョージの小洒落たオフィスを訪ねたその日だった。
で、ジョージ、その翌日(昨日)の日曜日川場村でのイベントのリハーサルの真っ最中だった。
実に、熱のこもったリハーサルで、期待していたのがジョージの往年のギターテクニックだったが。
まっ、それはそれとして・・・・・

「あっ、KIYOちゃん、来るからさぁ(西毛地区上州弁)」

と、言い終わるか言い終わらないうちに、KIYOちゃん「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」で、参上!!
まあ、そんなわけで「中川家」ならぬ「KANEYA家」のショータイムとなったわけなんだが、

「これねぇ、あの当時、まだ売り出し中だった頃のジャイアント馬場だったよなぁ、なぁジョージ???」

そう、で、KIYOちゃん席に着くなり「モノマネができなくちゃあダメ」っていうやつで・・・・・
その矛先をジョージに。

と、思わぬところで矛先を向けられたジョージだったが、また、この兄弟のコンビネーションがグンバツ!!

「そっさ、モノマネが出来なくちゃあダメなんさぁ」

と、見事な西毛地区独特の上州弁で切り返す。昔とちっとも変わっていない。
まあ、まさに高崎の「中川家」だろうか「KANE家」(チョッと洋風に洒落る)。
とはいうものの、そのジョージのそれはついぞ聞いたことはなかったんだが・・・・・

そんなわけで、KIYOちゃん、それが芸風なんだろうかそのジョージのバンドのリハーサルに、
褒めたり、「たり」で休まない。

「で、さぁあっ、どうなんだいねこのバンド、売れそうかいね?」

と、突然僕にふってきた、KIYOちゃん。

「ああっ、結構イケルんじゃない、ジョージファミリーバンド!!」

僕がそう言い終わるか言い終わらないかのうちにすくっと立ち上がると。
まさに、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」で、

「皆さぁ~ん、先生がOKだそうです。明日は川場はやめて東京へ新幹線でオーディションに」

と、いつの間にか先生にされてしまった僕に一瞥もせず、すかさず・・・・・

「ああ、旅費は実費だかんね」

と、ジョージ&KIYOちゃんの掛け合い。
リハ中のメンバーは、「また始まった」というような顔をして苦笑い。

実は、この「ジョージ・ファミリーバンド」のセンター(今風に)はジョージではない。
ジョージの“奥様はジャズシンガー”の「YUKA」さんであるようだ。
いや、それにしても久々に聴いた、無理のなな声圧って言うんだろうか、どちらかというと。
地方レベルだと、それなりのシンガーは何故か男も女も「マッチョ」に歌いたがる。
音域もかなりのもので、ファルセットに全く無理がない、あの細身からどうしてあそこまで?

まあ、そんなこんなでリハが進行するうちに「ジョージ」にお声がかかった奥様はジャズシンガー”から。
今回の持ち歌は「ブルーハワイ」だという。
そういえば、ジョージ、高校時代は某工業高校建築科、ハワイアン部に所属だったとかを記憶の端に。
まっ、往年の、と言ってはなんだが19歳の頃の「ジョージ」とはその趣。
別に、いい悪いを言ってるわけではないが、その「天然パーマ」には更に磨きがかかり、
そこへ、サスペンダー付きのパンツ、あっ、今はなんでもズボンのことを「パンツ」というのだそうなので、
ここではそうするが、まあ、その往年の倍はあろうかという体躯、それを持て余し気味にマイクを握る。

イントロが終わり、ジョージが歌いだす。

「おおっ、なかなかご機嫌じゃあないか」

そういえば、ジョージ、プラネッツ時代は「俺は歌は」といって、ついぞ聴いた記憶はなかった。

ジョージのそれはなんとなく「勝新太郎」を彷彿とさせる低音、ハスキーで、バッチグー(古い)。

「KIYOちゃん、ジョージの歌、ご機嫌じゃあないですか!!」

「そらそうさ、KENちゃんだって歌ってたんだから」

KENちゃんとは、その伝説のバンド「プラネッツ」のリーダー、リードボーカル。
KIYOちゃん、そのKENちゃんにどんな韻を含んで言ってたんだろうか?

「KENちゃんだって」て・・・・・

それにしても、“奥様はジャズシンガー”の「YUKA」さん、その歌唱はご機嫌!!

「恋のバカンス」まあ、ポップスの古典です(笑)。

完コピで行くのかアレンジで行くのかはともかく、基本は2ビートでスネアはツイスト打ち。
で、サビに入って16乗りの8ビートなんだけど、そのサビの途中で「インツー」に(^^ゞ

「真夏の夜の夢」イントロはアレンジでもいいと思う・・・・・

オリジナルは、ドラムの「サーティーンストローク」から、っていうかアレ、ボンゴだと思う。
で、ベースソロにギターが絡んでいく。リズムパターンはバスドラは4分を重く2拍、右手は、しっかりしたタップ気味の8ビート。
左手は、引っ張ったオフビートの、2、4。
テンポは147くらいだし、バンド全体のグルーブ感がポイント、でもユーミンはある意味難しい。
ビブラートないし、白玉ないし、アレンジしちゃうと、別物っていう感じに(^^ゞ

しかし、“奥様はジャズシンガー”の「YUKA」さん、「ウィスキーが・・・・」をあそこまで行っちゃうんなら、和モノもジャズコードでやったらご機嫌かも。

僕的には、ベット・ミドラーがフェヴァリットです。
ベット・ミドラーの歌って、物語ってるっていう感じ、もちろんロージーをカヴァーっていうのも、
べット・ミドラーをファヴァリットっていう大きな理由だけど・・・・・

ジョージのボーカルもいいね。「想い出のサンフランシスコ」なんかいいんじゃないかと。

そんなわけで、ジョージ、11月3日のライブは一曲歌って!!

40年ぶりの再会
“奥様はジャズシンガー”。





Posted by 昭和24歳  at 18:43 │Comments(0)

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